201708 Alfreida
ノースコナの村ホルアロアに観光客に人気の土産物店キムラ・ラウハラ・ショップがある。ラウハラという植物の葉で編んだ帽子や鞄などを売っている。そこの主のアルフリーダ・フジタさんが7月16日に亡くなった。享年90歳。土曜日の午前中に急に具合が悪くなり翌日の午前中に静かに息を引き取ったそうだ。

アルフリーダさんはこの農園便りにもよく登場する日系人コミュニティーのリーダーのモーリス・キムラさんのお姉様。日系3世で流暢な日本語を話す。コーヒー農園で生まれ育った。コナコーヒーの歴史の生き字引で、私も度々お話を伺った。

彼女の祖父母は1894年に山口県大島からハワイ島へ移住してきた。祖父母はコーヒー畑を営む傍ら、キムラストアーを開き、近所の農家に雑貨を提供した。農家はツケで日用雑貨を買い、収穫時期にコーヒーの実をキムラストアーに売って支払いに代えた。そうしてキムラ家は近隣農家のリーダーとなった。畑も買い増した。標高の高い畑ではコーヒーを、標高の低い畑では綿花を育てた。余った綿で座布団や布団を作り店でも販売した。また、ラウハラの葉を編んで帽子や籠などの日用品を作り販売した。戦後、三世の時代になると日系人は社会進出を果たし、コーヒーに生活を頼らなくなった。キムラストアーもラウハラ製品に特化して観光客相手の商売に変化していった。

キムラ家は繁栄し、親戚が百人近くいる。既にコーヒー栽培から手を引いているが、キムラ家の初孫(三世)のアルフリーダさんはキムラ家発祥の地で築100年を超す店を守ってきた。彼ら一族のパーティーに招待されると、今は高齢の三世たちはコーヒー摘みは辛いので二度とやりたくないと、新参コーヒー農家の私はからかわれる。しかし、一族最年長の彼女は、コーヒーがあったからこそ、一族がこの世に存在すると笑顔を絶やさない。長年コナコーヒーフェスティバルの役員を務め、コナコーヒー業界の重鎮だった。

キムラ家の人々はコーヒーは辛いが綿花摘みに比べればましだと語る。標高の低い綿花畑は暑い。炎天下で腰をかがめての作業は辛かったそうだ。花弁がとがっていて擦り傷が絶えない。彼女は子供の頃、叔父叔母たちが黒人奴隷の詩を歌いながら綿花摘みをするのを手伝った。歌詞の意味は分からないが一緒に歌うのが楽しかったそうだ。早朝暗いうちから作業を始めるとコオロギの音がきれいとか、朝日に真っ白に輝く綿花が美しいなど、苦しい生活の中の楽しい部分をよく覚えていて皆に語る。そういう明るい人だった。

1941年12月7日以前の日系人の子供達は平日はアメリカの学校へ行くかたわら、夕方は日本語学校に通った。土曜日はShu Shin(修身)の授業。親らはアメリカの学校よりも日本語学校での成績が良いと喜んだらしい。平日はアメリカの価値観を、夕方と土曜は日本の価値観を学ぶので、こんがらがったであろう。まして、ある日を境に突然敵国になってしまい、差別もされた。アルフリーダさんはそういう時代に育った。それでも日本人に親切に接してくれる。日本人の中に自分の両親・祖父母の面影を見るからだろうか。コナの日本人で彼女を知らない人はいない。誰もがお世話になった。我々日本人の心は昭和を経て平成に変わっていったが、明治に移民した祖父母に日本の心を教わった彼女は、まるで明治のままのようなところがある。

昔はこういう日本びいきの方々が多くいた。日本人が観光地としてハワイを好きになったのは、ひとつには彼ら日系二世・三世のお陰だ。彼女より10年若い世代は少し違う。戦前の修身教育を受けていない。まして、四世になると日本語を話さない。

日本びいきの米国人がまた一人逝ってしまった。