モーハワイ☆コム

アーカイブ: 2009年7月

ぷりん♪ぷりん♪



この間、仕事中ネットサーフィン(って今も言うのかな?言い方古い?)してたら衝撃的な出会いをしてしまいましたぁ。。
そのお相手は。。
エゾアムプリン

最初はお取り寄せをした方のブログをみて一目惚れ。。大人8人分のプリンが素焼の器にはいって送られてくる姿にキュン
そしてHPに行ったときに永遠の恋に落ちてしまった気分でした。最初の宇宙人のまんがといい、日々を綴られている冒険記といい完全にキューピットにハートを射抜かれてしまいました

そして今日、とうとう電話して注文(注文は電話のみ)しちゃいました。。届くのは10月です。待ち遠しいなぁ。。

電話した時はどきどきしすぎて言動がおかしくなっていまい「楽しみに待ってますっ!」とか言ってしまってキモかったかもです。。

東京でも見えた&emojicrescentmoon;



昼前に会社の屋上に出てみたら、雲ごしに日食が観測できました〜〜。
管理人さんに、みずたまりに映ったのを見ると目を痛めないのよ〜って教えてもらったのに、いざ見え始めると興奮してついつい裸眼で見てしまいました(子供が一緒でなくてヨカッタ)でも雲がちょうど良いフィルターになってくれてくっきり見えました。

写真は相変わらずびみょー

ハワイ増殖中



先日、駅前のお花屋さんにずら〜っとハイビスカスが並んでいました。程よい大きさなので、思わず買ってしまいました。
しかもお値段790円なり。お値段もかわいいわぁ〜赤とオレンジと、この子はつぼみばかりで色はよくわからないけれど、なんか黄色みたい〜。。。
で咲いたらやっぱりオレンジっぽかったぁ

店頭でみたオレンジのに比べたら赤がだいぶ少ないような気はするけれど。。むむぅ。。がんばったら黄色に見えなくも。。いややっぱりオレンジにしかみえないかぁ

最近考えていること



最近、あるきっかけで命とか死ぬということとかを考えています。

うちの実家のお寺は臨済宗の禅寺なのですが、法事のときにお坊様に
死んだらどうなるのでしょう?
と尋ねたことがあります。お坊様は
死んだら埋められて虫に食われて土になるくらいですな。
とおっしゃいました。
それでは魂はどうなるのでしょう?と、また尋ねたら、
しまいです。無になります。
とおっしゃいました。
それではどうして人が死んだ後にお葬式や、法事をして魂を鎮めるのかというと、それは魂を鎮めているのではなく、残された人たちの心を鎮めるためにするのだそうです。
幽霊とかはありえないことになりますね・・と言ったら、
それは生きている人の心が作り上げた物で、この世で一番怖いものは人の心です。
とおっしゃっていました。
2006年に友人が亡くなりました。彼女はクリスチャンでした。不治の病に冒されていた彼女は生前、決定的な治療法のない自分の病気や人間の命についてをブログに綴ってくれています。

ここから引用です。

過去はすでに死んだものであり、
そして未来は頭の中の想像にすぎない。
幸せは永遠の中にのみ存在する。
永遠の今という瞬間の中だけに。

ケン・ケイエス・ジュニア

私たち人間は一秒先の未来も読めないし、一秒前の過去も変えられない。今こうして文章を書いていても一文字一文字が過去のもの、すでに終わってしまってるんですね。そして未来は一秒先も含めて全て、現実に起こるかどうか定かでない、頭の中の想像でしかない。

不治の病と生きるということは時に不安で心が押しつぶされそうになります。そんな時いつも思うのです。不安は過去を振り返ったり、良くない未来を想像する心がつくる幻想だと。今以外は全て神様の領分…言い換えれば「今」という瞬間の中には私の自由があり、選択肢がある。

だから、色々悩んだり不安になったりしても最後に行き着くのは「今、良い選択をすること。意識的に目覚めて生きること。」なのだと思います。そんなふうに「今」を意識すると色んなことが楽しく愛おしく思えます。

「楽しいね」「美味しいね」「面白いね」と心から感じる瞬間を誰かと共有できたら、何年経ってもふとその瞬間を思い出したりしますよね。それが永遠なのかなと思うのです。今に注力して生きることができたら、ちっぽけに見える人間にも永遠をつくる事が出来るんですね。

彼女はまた、
「どれだけ生きるかが神様の領分で、どのように生きるのかが人の領分」
とも言っています。

なんだかお坊様も彼女も同じことを言っているみたいに感じるのは私だけなのでしょうか・・・。