ロイヤル・ハワイアン・センターの歴史について 2
2009/08/19(Wed)

前回のつづきです。『ロイヤル・グローブ(王家の庭園)』の中央に、『パウアヒ王女』の像が新しく作られています。
現在RHCがあるあたりは、かつて『ヘルモア』という名前だったことは前回ご紹介させていただきました。ヘルモアは王家の土地でした。そのヘルモアの、王家としての最後の所有者が、パウアヒ王女です。

このパウアヒ王女の像の前で、RHC文化事業ディレクターのマヌ( Manu Boyd )さんにお話をおうかがいすることができました。
マヌさんは、ハワイアングループ『ホオケナ』のリーダーです。そして、クム・フラでもあります。ハワイアンの世界の文化人なのです。すごい方にお話をお伺いすることができて、ちょっと緊張する編集長でありました。

マヌさんは、RHCを所有しているのが、
『カメハメハ・スクールズ』
( Kamehameha Schools )
であることを強調されました。RHCを理解するうえで、それは決して忘れてはならないことである、と。マヌさんもまた、カメハメハ・スクールズの卒業生です。

カメハメハ・スクールズは、パウアヒ王女の遺言によってつくられた学校です。
カメハメハ王朝の末裔だったパウアヒ王女は、亡くなる前に「ハワイアンの子供たちのために学校を建てたい」という遺言を残しました。これにより、王女が所有していた土地はすべて、この学校のために使われることになりました。
王女が亡くなったのが1884年。カメハメハ・スクールズが設立されたのは1887年す。
ここからが重要です。どうして、パウアヒ王女は、そんな遺言を残したのか、ということです。

ハワイが王国となった当時、世の中はまだ、西洋諸国が植民地を開拓している時代でした。大航海時代でもあり、太平洋のど真ん中に浮かぶハワイは、各国から狙われていました。

そんな中、カメハメハ大王は、白人たちを上手に使い、植民地にされるどころか、王国を築きあげることに成功します。多くの島国が植民地となった時代です。それらの歴史を知れば知るほど、カメハメハ大王のすごさ、逞しさがわかります。

ハワイは植民地になることはまぬがれました。が、思いもしないところから不幸がやってきます。
ハワイアンたちは、大洋の中で孤立して生きてきました。なので、免疫がほとんどありませんでした。欧米人たちが持ち込む些細な病気で命を落としていくことになったのです。


上記は、ハワイアンの人口推移です。100年の間に、増えるどころか6分の1に減っています。
白人資産家や移民労働者たちがどんどん増え、ハワイは見た目にもどんどん変わっていきました。パウアヒが亡くなった1884年は、まだハワイは王国として存在していました。が、カメハメハを名乗る最後の王、5世(ロット)も、すでにこの世にいません。
※5世が亡くなったのは1873年のことです。
パウアヒ王女が遺言を残した年、それは、カラカウアが、日本をはじめとする諸外国を表敬訪問したり、イオラニ宮殿をつくったり、フラを復活させたり....ハワイを王国として建て直そうとしている、そんな時期でした。
..........つづく▼



