同じコンンドに住む日系3世のロイ・オオタケさんから、以前このダウンタウンにも真珠湾攻撃の民間犠牲者がいたことを聞かされていました。日本のゼロ戦の攻撃ではなく、そのゼロ戦に対する米軍の迎撃火砲弾がこのダウンタウンにもたくさん飛んできたそうです。彼の実家の近くにも何発も砲弾が落ちたそうです。

1896年4月6日、オアフ島初の日本語学校、ホノルル日本人小学校が創立されました。2年後の1898年ハワイがアメリカの属領になったことから、アメリカ公立学校の補修的日本語教育に変換するため、ホノルル日本人小学校は布哇中央学院に名前を変えました。

1899年より1941年12月7日までの70年間、ダウンタウンにその学校が存在していました。現在のちょうど、フォスター植物園のヌアヌ通りとヴィネヤード通りの角あたりです。70年前の今日、日本軍の真珠湾攻撃を迎え撃つアメリカの高射砲弾がこの学校に落ちました。日曜の朝で、特別クラスに集まった何人かの日系人の子供たちが犠牲になります。当時軍は、日本の攻撃だったと発表したそうです。真珠湾攻撃の犠牲者は、真珠湾だけの出来事ではありません。

フォスター植物園内には、70年前の今日の事実を英語と日本語で記する碑がひっそり建っています。1982年にハワイ中央学院友の会によって建てられた碑です。この地に学校が存在したことを示す碑です。

70年前の真珠湾攻撃には、昨年に紹介したニイハウ島のゼロ戦パイロットと日系二世のストーリーだけでなく、日本では知られていないストーリーがまだまだハワイにはあります。

園内には幼い子が蝶と戯れる像があります。70年前の今日も、戦争がなかったならば、平和なそんな光景も見られたにちがいありません。女の子の像は、まるで70年前の日本語学校で戯れる子供を見ているような平和な光景でした。

記:夕、虹を見る

真珠湾攻撃に起きた一つの事件

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