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カテゴリー:音楽

ビートルズがハワイにやって来る



久しぶりに雨(レイン)でびしょぬれ。夕方ダウンタウンの山側を見ると、普段見える山々が雨雲に隠れて見えません。雨が少し落ちてきました。ワイキキの着くと本降りです。ほんの100mほどを歩くうちにしっかり雨に降られてしまいました。

半年以上も前に購入したチケット、まだまだ先だと思っていましたが、楽しみにしていたブロードウェイのショウがついにハワイにやってきます。

中学になって始めて購入したLPレコードがビートルズでした。洋楽にはまり、ビートルズを毎日聞いていました。記憶をたどれば、1966年のビートルズの東京公演をテレビで見ました。まだビートルズがよくわからない小学生でしたが、日本を襲ったビートルズ旋風はよく覚えています。

映画「レット・イット・ビー」を観に行って、ポスターを買って帰ってきました。当時の私の部屋はビートルズ一色。今も飽きずにビートルズを聴くぎりぎりビートルズ初代になります。若い人にビートルズを聴いているというと、「あぁ、おじいちゃんやおばあちゃんが聴いていたバンド」なんて云う返事が返ったりすると、時代を感じます。

初めてギターで弾き語りができるようになったのがビートルズの「イエスタデイ」。自分の人生の大きな部分を占める存在であり続けています。ポール、ジョージ、リンゴの個別の生ステージを興奮して見ました。ジョンの生ステージがいつか見られると楽しみにしていたのも、1980年の事件で叶わぬこととなりました。

ビートルズのコピーバンドは世界にたくさん存在してきました。過去にもずいぶん人気のあったバンドもありました。今回、ニューヨークブロードウェイで公演されて話題になったビートルズコピーバンド「レイン」がハワイにやってきます。私たちビートルズファンを40年前に引き戻してくれるでしょう。期間はわずか6日間ですが、きっと私と同年代以上のおじさん&おばさん、親子、孫連れのファンで盛り上がるでしょう。

今日は冷たいレイン(雨)に酷い目に遭わされましたが、2週間後にはブレイズデールで感激のレインに出会えるでしょう。そう言えば、お気に入りのビートルズのアルバム・ヘイジュードに「レイン」が入っています。今からレインのコンサートが待ちきれません。

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本物ビートルズの「レイン」

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「えひめ丸」に涙そうそう



「カ・ノホナ・ピリ・カイ(Ka Nohona Pili Kai」)というフラダンスの定番曲があります。ハワイアンのスタンダードになりつつあるこの曲は、日本のヒット曲「涙そうそう」がハワイでアレンジされたものです。

ハワイアンを聞く人なら誰でも知っているケアリイ・レイシェル(Keali’i Reichel)が、日本に向かう機内で聞いたビギンの「涙そうそう」に感動してアレンジしたものです。沖縄出身のビギンのメロディにフォーク歌手の森山良子が、若くして亡くなった兄へのメッセージを歌詞にしたものです。亡くなった人を想う切ない気持ちを歌にしたものです。メロディと歌詞がマッチして日本でヒットしました。

2001年2月9日の「えひめ丸」の事故から12年が経ち、昨日は13回忌の「えひめ丸」事故慰霊式が慰霊碑のあるカカアコの丘で行われました。事故で亡くなった人と家族のみなさんのことを想うと今も胸が痛みます。

そして今日、その「えひめ丸」の記念碑がある公園でウクレレピクニックが開催されました。今年のゲストは「涙そうそう」のビギンでした。陽が西の海上に傾き、日差しもやさしくなる頃、ビギンがアンコールで「涙そうそう」をしみじみ聞かせてくれました。このカカアコの慰霊碑ある場所で歌われるにはぴったりの歌です。「えひめ丸」の犠牲者とその家族を想うと涙なくては聞けない曲です。

あらためて、ハワイの海に眠る犠牲者のみなさんの冥福をお祈りします。

「古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた
いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ
晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
想い出遠くあせても
おもかげ探して よみがえる日は 涙そうそう

一番星に祈る それが私のくせになり
夕暮れに見上げる空 心いっぱいあなた探す
悲しみにも 喜びにも おもうあの笑顔
あなたの場所から私が
見えたら きっといつか 会えると信じ 生きてゆく

晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
想い出遠くあせても
さみしくて 恋しくて 君への想い 涙そうそう
会いたくて 会いたくて 君への想い 涙そうそう」  詩:森山良子

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グラミー賞私のアイドル



アメリカの音楽界で最も権威のあるグラミー賞の授賞式が明日ロサンゼルスで開催されます。

アメリカの都市はそれぞれ特色あるニックネームを持っています。ニューヨークは、Big Apple、ロサンゼルスは City of Angel 。音楽の街、ミュージック・シティと呼ばれるのが、アメリカ南部にあるテネシー州にあるナッシュビル。

今からおよそ12年前、私はある想いを抱きナッシュビルにいました。ナッシュビルはカントリーミュージックの本拠地で、たくさんのシンガーやミュージシャンが住んでいます。ナッシュビルにあるミユージック・ロウと呼ばれる地域には、各種のレコード会社や音楽出版社がオフィスを構えています。

レコード会社や音楽出版社に自分が作ったオリジナルのデモCDを聴いてもらいたいという思いでオフィスを訪ねていたのでした。その頃、レコード契約したいという同じ思いでペンシルベニアからも11歳の少女がデモCDを片手にナッシュビルのオフィスを訪ねていました。

ナッシュビルには、シンガーやソングライターを目指す人が全国から集まり、何千人もの夢見る人たちが住んでいます。ナッシュビルのウエイターやウエイトレスの多くは、そんな将来のスターの卵たちです。11歳の少女は何度もナッシュビルを訪れますが、夢の実現はそんなには簡単ではありません。

6歳の少女は当時人気だった13歳のカントリーシンガー「リアン・ライム」のアルバムを両親にプレゼントされ、音楽に目覚めます。日本でカントリー・ミュージックと言うと、日本の演歌みたいなものと無知な人は言いますが、アメリカの音楽の基本は今もカントリーです。メロディがいいだけでなく、聴いてその歌の世界がはっきりイメージできるのがアメリカのヒット曲の基本です。

11歳の少女は何度もナッシュビルで悔しい思いをします。3年間ナッシュビルに曲のピッチ(売り込み)に通います。14歳になってやっと認められソングライター契約をします。それをキッカケに家族はナッシュビルに引っ越します。

私も何度も足を運んだシンガーソングライターにとっての聖地、ライブハウス「ブルーバード・カフェ」がナッシュビル郊外にあります。薄汚れた狭いカフェには所狭しとテーブルにイスがあります。ここが世界に有名なライブハウスかと疑うような狭いカフェです。マイクナイトの夜には、シンガー&ソングライターが自分のオリジナル曲を披露するためギター片手にライブハウスに並びます。お客さんのなかには有能な新人を探しているプロの音楽関係の人たちがいます。ここから有名になったアメリカの歌手は数知れません。14歳の彼女もこのブルバード・カフェのマイクの前に立っています。

2年後の2006年、彼女は16歳で全曲オリジナルのアルバム「テイラー・スウィフト」でデビューします。彼女のすごさは、すべての曲が彼女自身が作ったオリジナル。このアルバムは全米で300万枚を数える大ヒットとなります。2作目の「フィアレス」は初登場で全米1位になり、2009年に全米で最も売れたアルバムになりました。そして2010年、最年少で最優秀賞を含む4部門でグラミー賞を受賞しました。

3作目の「スピーク・ナウ」は、ミリオン超えで全米アルバム・チャート初登場1位を達成 し、全米アルバム・チャートで2週連続1位を達成しました。全米シングル・チャートの100位内になんと11曲がランクイン。アメリカで生活していると、街角であるいはオフィスで必ず一日に一度は彼女の歌声を耳にします。コンサートでは、同じ世代の人だけでなく幅広い世代に支持されていることがわかります。彼女の人気の秘密は、リスナーが共感を持てる世界が彼女の曲にあるからです。4作目の最新作「レッド」はアメリカでは初週だけで120万枚を売り上げ、ここ10年間でもっとも初週を売り上げたアルバムとなりました。

23才ながらわずか数年ですっかりベテランの域に達したテイラー・スウィフトの勢いは止まりません。私生活では、昨年はジョン・F・ケネディーの甥との交際が破局して話題になりました。歌謡界だけでなく化粧品のコマーシャルなど、さまざまなメディアでの露出度もトップスターです。

12年前私と同じ思いでナッシュビルを訪れたテイラー・スウィフトには特別な思いがあります。シング&ソングライターの才能だけでなく。身長180cmのモデル並みのプロポーションと美貌を持つテイラー・スイフトのこれからのさらなる活躍が楽しみです。

2013年のグラミー賞では、私のアイドルは Record of the Year にもノミネートされています。グラミー賞の授賞式で彼女の生の歌声が聞けそうです。明日のグラミー賞(ハワイKGNB7チャンネル午後7時)が見逃せません。


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ハワイで明日CD発売



1964年の東京オリンピックをきっかけに、日本が大きく変わりました。オリンピック開催に向けて地下鉄やモノレール、ホテル、首都高速道路などさまざなインフラストラクチャーの整備が行なわれました。三大都市圏を結ぶ交通機関の中核として東海道新幹線も開会式にあわせて開業したのが1964年です。

その2年後の1966年にある歌が日本で大ヒットしました。

この道は長いけど歩きながらゆこう♪
石っころだらけでも歌いながらゆこう♪

50代以上の人ならば、今でも上の2コーラスを歌詞を見ないでも口ずさめるでしょう。吉永小百合&トニーズの「勇気あるもの」は誰もが口ずさめるメロディーで大ヒットしてミリオンセラーになりました。

吉永小百合さんは誰もが知っているのに、コーラスをしている当時のグループサウンズ・トニーズを知る人は多くはいません。そして、私もハワイに来るまで知りませんでした。

ハワイの調べ物をしていると必ずヒットするブログがあります。少し変わった名前のブログです「健太のハワイだよ、おっかさん!」。膨大な情報のブログで、とても参考になります。

ハワイ在住42年の先輩、ブログの師匠、ウクレレの師匠、人生の師匠・・・である健太さん。健太さんがレコードのジャケットの吉永小百合さんの隣にいるトニーズのリーダーだったとは・・・それを知ってから、この「勇気あるもの」がいっそう好きになりました。よく聞けば、まさしく健太さんの声です。カラオケの私のオハコの一つになりそうです。

その健太さんが、明日2月1日にハワイをテーマにした新曲CDを発売されます。CDは白木屋内「ブック・オフ」とケアモクの「ジャパン・ビデオ」で発売されます。CDに添付される健太さんのメッセージを紹介します。

『1960年代後半、
グループ・サウンズなるジャンルの音楽がもてはやされていた。
健太はその真っ只中で音楽活動をしていた。
あれから半世紀近い時が経とうとしている。
歌は世につれ世は歌につれ、
さまざまな音楽がその間人々に愛され親しまれてきた。
しかしいつの時代のヒット曲もその底辺には何らかの共通点が見える。
それは時代を超えて伝えたい「人間本来」のメッセージに違いない。
それは言葉によって表されているかも知れないし、リズムによって表されているかも知れないし、時には音質や形態に表されているかも知れない。
一見時代のギャップは到底埋め尽くしがたい「大きな溝」に感じるかも知れないが、突き詰めてその内容を吟味してみれば、
どんな時代も人は「同じ喜び」「同じ悩み」「同じ怒り」を共有している。

今回のこのCDでは、そんな背景を考えながら曲作りをしてみた。
そしてそのテーマは「癒し」に尽きる。
「軟弱」「甘え」「現実逃避」、、、さまざまな非難はあるかもしれない。
しかし21世紀に入ってもなお人類はシビアな状況を目の当たりにしている。
エネルギー問題をはじめ、金融危機、国際紛争、自然災害、、、。
今われわれはその「困難」に飲み込まれることのない、強い自我を育てなくてはならない。
それには先ず自分の足元をしっかり固めることだ。
この説明文で健太の思いがすべて伝わるとは思わない。
しかしこの3曲を聴くにあたって、ぜひ一度考えて欲しいと思う。

健太のデビュー曲は吉永小百合と歌った「勇気あるもの」だ。
運よく当時100万枚を超える大ヒットとなった。
「この道は長いけど 歩きながら行こう、、」と言う歌詞、、。
考えてみれば、すでにあの「勇気あるもの」を歌った時点で健太の願い、伝えたいことは芽生えていたことになる。』

♪赤いレイ 
1.君にささげる赤いレイ バラの花のレイ
  愛と幸せをはこぶ 真心の赤いレイ
  君と二人で肩よせて カピオラニ・ホロホロ 
  微風が頬をなでる ある午後のホノルル
*やさしく愛してあげるから
  ついておいでよ常夏の国へ
  君を強く抱きしめて 感じたいよ愛
  赤いバラの花びらに そっと口つける
2.波の静かな昼下がり アラモアナの海
  渚を歩く二人 頬よせあう二人
  君の明るい微笑みに 小鳥たちが歌う
  虹のかかるマノアの 風に花々揺れる
  真白い雲は青空を飛んで
  遠いふるさとの父母の国へ
  どんなに辛いことでも 乗り越えてゆこう
  この南の楽園 幸せはここにある
   *

私はこの「赤いレイ」の2番の歌詞のサビが大好きです。ハワイ在住の日本人にはこの気持ちがよくわかるでしょう。日本からのみなさん、是非持ち帰って有線放送にリクエストして下さい。「勇気あるもの」のように、日本で大ヒットさせましょう!


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2月1日発売CD「赤いレイ」



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エルヴィスのあのハワイからもう40年



私が始めて買ったEPレコードがエルヴィスで、初めて買ったLPはビートルズです。初めてエルヴィスのレコードに針を落とした瞬間を今も覚えています。彼の甘い歌声が大好きでした。そして、彼のコンサートを衛星生放送で見て感動しました。

1973年1月14日ハワイ・オアフ島で行なわれたエルビスのライブコンサート、「アロハ・フロム・ハワイコンサート」が、全世界36ヶ国、15億人以上に視聴され、コンサートで初めて衛星生中継されました。日本のゴールデン・タイムの午後7時に合わせたものとも言われています。地元ハワイでは午前0時に始まりました。約2時間続いた世界初の衛星放送に、日本国民が釘付けになりました。日本からも、大勢のファンがハワイのコンサート会場におしかけたようすを映し出していました。

エルヴィスは滝のように流れる汗をぬぐいながら、熱唱しました。エルヴィスの額を流れる汗をハンカチでぬぐうファン、汗の付いたタオルをファンに投げるエルヴィス、今でも昨日のようにコンサートの記憶がよみがえってきます。エルヴィスが42歳で亡くなる前の38歳の時のコンサートでした。

コンサート会場は、ホノルルのニール・ブレイズデル・アリーナでした。ホノルルにあるあの円形ドーム会場でした。あの建物を見るたびに、あのエルヴィスのコンサートはここだったんだと思い起こします。ブレイズデル・アリーナの入り口には、その「アロハ・フロム・ハワイコンサート」を記念して、ステージに立つエルヴィス・プレスリーのブロンズ像が再現されています。

伝説のコンサートから、明日の14日でちょうど40周年を迎えます。これを記念して、明日夜7時30分から二ール・ブレイズデル・アリーナで懐かしのエルヴィス・プレスリーをスクリーンで楽しむコンサートが開催されます。日本から、5泊6日のツアーでエルヴィスを偲ぶツアーも企画されているようです。

現在40周年記念に、ニミッツのヒロハッティーとヒルトンでは、エルヴィス特別コーナーが設けられエルヴィスが着ていた柄のアロハシャツやさまざまなエルヴィス・グッズの販売があるようです。今夜は、久しぶりにエルヴィスのCDでも聴いてみましょう。

コンサートで熱唱された23曲のラストソングは、映画「ブルーハワイ」からの「好きにならずにはいられない(Can't Help Falling in Love)」でした。YouTube 動画の1:01後から始まるこの映像をお楽しみください。(0:.07からはビートルズナンバー ジョージのSomething)

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教会でクリスマスキャロル



ダウンタウンの教会で恒例のクリスマスキャロルを聞いてきました。荘厳なパイプオルガンに合わせて、時にアカペラでおよそ20曲のクリスマスキャロルを聞かせてもらいました。

今日はPCの調子がおかしくブログをアップするのに、アップアップでした。また、クリスマスにちなんで、YouTubeに動画をアップするのに手間取ってしましました。

世界の皆さま、素敵なクリスマスをお迎えください!

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ジョンのXmasソング



さまざまなシチュエーションで聞く音楽には音楽以上の不思議な力を持つ場合がある。

先月、久しぶりにカリフォルニアに行った。空港でレンタカーを借りて、すぐにサンディエゴ・フリーウェイに乗るとカーラジオからイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」のドン・フェルダーのギターのイントロが流れてきた。大学時代の思い出の曲で、カリフォルに着いてすぐに聞くイーグルスに鳥肌が立ち涙まで出てきた。

朝焼けのきれいな7日の早朝、真珠湾攻撃の追悼式典でパールパーバーに着くとカーラジオからジョン・レノンの「Happy Xmas」が流れてきた。何というタイミングだろう。

♪みんなが望めば、戦争は終わる War is over if you want it ♪

今ではクリスマスソングのスタンダードになっているジョンの名曲も、アメリカがベトナム戦争に参戦していた1971年の発売時には反戦歌として大きな話題にもなった。簡潔な英語によるジョンのクリスマスソングは、これからも何十年と歌われ続けるだろう。

そんなジョンが1980年12月8日に銃殺されてすでに32年、あの衝撃的なニュースを昨日のことのように覚えている。そんな意識の中、日曜の12月9日にセイバーズ(中古雑貨店)でジョンの写真を見つけた。写真はジョンがちょうど反戦活動をしていた頃の写真だ。NYマディソン・スクエアガーデンでのコンサートで着ていたアーミーシャツとギブソンのレスポール・ギターは1972年の写真に間違いない。ジョンは31歳だった。

真珠湾攻撃の追悼式典前にカーラジオから流れてきたジョンのクリスマスソング、命日の翌日に見つけたジョンの写真、何かスピリチュアルなものを感じる。これからジョンのクリスマスソングを聞くたびに、真珠湾攻撃の日の静かな朝と朝焼けを思い出すだろう。

♪みんなが望めば、戦争は終わる War is over if you want it ♪

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ハワイシアターでクリスマスコンサート



今日は、アメリカ海兵隊のバンド主催のクリスマス・コンサートに行ってきました。今年で5年目になり、ハワイのクリスマス・シーズンのイベントに定着しようとしています。例年会場はブレイズデル・コンサート・ホールですが、今年はNYミュージカル「ウィキッド」の公演のため、ダウンタウンのハワイシアターが会場でした。

アメリカ軍所属のバンドが恵まれない子供たちをサポートする「Toys For Tots(トイズ・フォー・トッツ子供にオモチャを)」、子供たちのクリスマス・プレゼントのオモチャを集めるために開かれるチャリティ・コンサートです。入場料は無料です。入場料の代わりに持参したオモチャを入り口に置かれた箱に入れて、コンサートを楽しむことができます。

1947年カリフォルニアで始まった慈善事業です。きっかけは、海兵隊の奥さんが手作りの人形を恵まれない子供に届けるように海兵隊のご主人に頼んだところ、扱ってくれる団体がありませんでした。海兵隊のご主人が始めたところ大きな反響がありました。翌年、海兵隊が全国的に広めたのが現在に至っています。活動に使用されている列車のロゴは、あのミッキーマウスの生みの親ウォルト・ディズニーのデザインによるものです。

2時間のクリスマス・ソングの数々を楽しみました。軍のバンドのクリスマス・ソングだけでなく、ゲストのクリスマス・ソングなども楽しめます。今回のゲストは、ヘンリー・カポノ などハワイで活躍するミュージシャンです。やはり、生の演奏のクリスマスソングは格別です。

12月の初日からクリスマスツリーの点灯式にクリスマス電飾パレード、そして今日はクリスマスコンサートとすでにクリスマス度100%です。

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HANAウクレレ&ジョージハリスン



日本では販売はしていないかもしれません。ウクレレ好きでも聞いたこともないメーカーかもしれません。注文を受けて生産するカスタムメイドのウクレレがハワイにあります。

2001年、オアフ島のパールシティに住む一人の青年が大好きな元ビートルズのジョージ・ハリスンの為にウクレレを製作しました。ウクレレの音のよさはもちろんですが、そのユニークなウクレレの形に誰もが驚きます。

ヘリコプターの製造会社オベーションが画期的なギターを70年代に製造して大ヒットしました。ギターの本体が木製でなくヘリコプターと同様な特殊樹脂(グラスファイバー)でできています。従来のギターの箱型の形状ではなく、おわん型のラウンドバックの特殊樹脂でできたギターです。ラウンドバックの音響効果のよさに、今では世界の有名ミュージシャンに愛用されるギターになっています。

パールシティの青年の製作したウクレレは、オベーションギターと同じ本体がおわん型のラウンドバックになっています。本体は特殊樹脂ではなく、ハワイらしくコアの木からできています。もちろん、一塊のコアの木をくりぬいたおわん型のランドバックには継ぎ目はありません。コアの美しい木目を見ればよくわかります。オベーションギター同様、おわん型のウクレレからは音響効果のいい音がでます。

青年は自作のウクレレをジョージ・ハリスンに弾いてもらいたいと願い、ジョージの別荘があるマウイ島ハナの町に届けに行きました。残念ながらジョージはマウイ島ハナにいなく、肺がんと闘う闘病生活を海外で送っていました。青年が自作のウクレレを届けに行った年の11年前の今日29日、ジョージは滞在先のロサンゼルスで58歳の人生の幕を閉じました。

その後、このストーリーを知ったジョージの友人やミュージシャン達がウクレレを注文し始めます。その1年後、彼は職人たちとジョージの為に作ったのと同じ形のウクレレを製作し始めました。ウクレレは、ジョージが愛したマウイ島ハナの地名にちなんで「HANAウクレレ」と命名されました。彼の作る手作りウクレレは、その美しい音に世界のアーチストが魅せられ、今静かに世界に広がっています。

去年、カウアイ島でマーチンのウクレレを弾いている人がいました。興味を示すと「お前も1曲弾いてみろよ!」とウクレレを渡され、ジョージ・ハリソンの「Here Comes the Sun」を弾きました。2人で大声で合唱した思い出があります。いつか「HANAウクレレ」でジョージの曲を弾いてみたいと思っています。

ビートルズの4人のメンバーの中で、誰よりもハワイを愛したジョージ。ハワイには確かにジョージの魂を感じるスポットがあります。マウイ島ハナ郊外の小さな部落ナヒクにあるジョージの別荘近くに海を見下ろす場所があります。風の音、木々の葉のすれる音、時々聞こえる小鳥のさえずり、遠くで波がブレイクする音以外何も聞こえない不思議な空間は、まさにジョージの魂が存在した空間でした。

命日にジョージの冥福を改めて祈ります。

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ハワイでのハイキングが2人の運命を変える(Journey with Arnel Pineda)



1996年スティーヴは休暇でハワイに来ていました。ハワイは自然に恵まれた魅力ある島です。彼はハイキングに出かけ、運悪く足を滑らせて骨折してしまいました。その事故が原因で、股関節を悪くします。完治の望みはなく、人工関節にしなければ普通の生活に戻れません。

スティーヴには大切な仕事が待っていました。仕事仲間は、すぐに手術して社会復帰して仕事を続けることを勧めます。スティーヴは、自分の股関節を人工関節にするのをためらっていました。「まだ自分は40代と若い、人工関節にすることを先延ばしにできるはずだ。」

仕事仲間は、1日も早くスティーヴが社会復帰することを望みます。彼がいなくては仕事ができません。
「スティーヴ、一体いつになったら仕事に戻るんだ?早く戻ってくれないと俺たちも困るんだ!」
「頼むからもう少し待ってくれ!」
そんな会話を1年半もした後、仲間との関係がギクシャクしてついに決別します。

1980年代に何曲ものヒット曲を出したロックバンド「ジャーニー」からヴォーカルのスティーヴ・ペリーが、1998年バンドを脱退しました。もとサンタナのバックバンドのメンバーが集まって結成され、ヴォーカルのスティーヴ・ペリーの参入で世界に認められるロックバンド「ジャーニー」になったのに残念な脱退でした。

スティーヴ・ペリーの極めて広い声域とその印象的な熱唱には、多くの音楽関係者や批評家が「百万人に一人の声」「黄金の声」と絶賛しました。彼の当時の人気と実力は、1985年に収録された”We Are the World.” の21人の歌手の1人に選ばれていることからもわかります。

「百万人に一人の声」と言われたスティーヴ・ペリーがフィリピンにいました。2007年、「ジャーニー」のメンバーが、YouTubeに投稿された「ジャーニー」のカヴァーをしているアーネル・ピネダを偶然に見つけて驚きます。かつてホームレスだったアーネル・ピネダのシンデレラ物語の始まりです。18歳若返ったスティーヴ・ペリーの声と歌唱力をもつ元気なアーネル・ピネダの「新生ジャーニー」の始まりです。

アーネル・ピネダの「新生ジャーニー」の旅たち(ジャ−ニー)は上手くいっています。この12月にはハワイにやってきます。12日と14日の2日間の公演です。かつて「ジャーニー」を聞いて涙した人もいることでしょう。YouTubeでもう一度涙してください。

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