モーハワイ☆コム

カテゴリー:ハワイの歴史

ハワイの歴史を知るツアー



先週ハワイ王朝最後の王、リリウオカラニ女王の生誕を祝うイベントが、ダウンタウンのイオラニ宮殿で開催されました。 そのイベントの一つに「歩いて学ぶ1893年歴史ツアー(Mai Poina Walking Tour) があります。一昨年、昨年ツアーに参加しましたが、昨日のツアーは残念ながら参加できませんでした。

1893年1月17日は、ハワイ王朝最後のリリウオカラニ女王が在位した最後の日になります。その日を迎えるハワイ王朝の出来事を、当時の服装を身に着けた役者たちが、著名な舞台脚本家(Victoria Kneubuhi) の指導の下、イオラニ宮殿を中心に場所を変えて当時の状況を熱演します。役人、商人、庶民、日本移民など、さまざまな立場の人が登場します。

イオラニ宮殿を中心に歩きながら場所を6ヶ所移動して、当時を語ります。イオラニ宮殿にあるバンド・スタンドの建物からも見える、現在郵便局がある場所にあったオペラハウスの方向を指差し、銃を手にしたアメリカ軍団がどのようにやって来たのかを生々しく語ります。もちろんリリウオカラニ女王の登場もあります。

ハワイ王朝は、かつては立派な独自性をもつ独立国でした。当時の強い外圧の状況を、役者の中には熱演のあまり、声が上ずり涙ながらに語る人もいます。その当時のハワイの出来事を、今あたかも起こっているかのように熱く語ります。彼らは、まるでタイムマシンに乗って1893年のイオラニ宮殿からやってきたかのようです。当時のハワイの人の熱い気持ちが伝わってきます。

1893年1月16日、王制派と共和制派が共に大集会を開き、ダウンタウンは騒然とします。危機感を持った共和制派は、アメリカ公使の要請によりアメリカ海兵隊がイオラニ宮殿を包囲します。翌17日、共和制派が力づくで政庁舎を占領し、ハワイ王朝が廃止され臨時政府が樹立しました。リリウオカラニ女王が、女王である最後の日でした。

リリウオカラニ女王像が、凛としてイオラニ宮殿裏の外に建っています。女王の左手には「アロハ・オエ」の楽譜が握られています。女王が作ったお馴染みのハワイアン・ソング「アロハ・オエ」の最後のフレーズが記憶から甦ってきます。

アロハ・オエ ♪ アロハ・オエ ♪ さらば、ふるさと ♪

リリウオカラニ女王の作った歌の重みが伝わってきます。歴史を知ると、ハワイの土地の重みも少し理解できるようになります。

*Mai Poina とは、ハワイ王朝がどのように終焉したかを「忘れるな!」という意味を持ちます。


*いつも応援クリックありがとうございます。 ブログを続けられるのも、みなさんの応援があるからです。
*アロハストリートのハワイブログランキングに参加しています。
 応援クリックよろしくお願いします。マハロ



















 ハワイブログランキングに参加中!クリックお願いします。マハロ

4219

リリハにある「癒しの泉(Kunawai Springs)」



1943年の映画「聖処女(The Song of Bernadette)」で「カサブランカ」のイングリッド・バーグマンを退けアカデミー主演女優賞を受賞したのが、清らかで美しいジェニファー・ジョーンズでした。素朴で純粋なベルナデッタの人生を演じるジェニファー・ジョーンズは言葉にならないくらい美しく、彼女のアカデミー賞の受賞は当然でした。

ナポレオン3世の第二帝政期の時代1858年、フランスとスペインの国境になっているピレネー山脈のふもとにある小さな村ルルドでいくつもの奇跡が起きました。伝説の少女ベルナデットが造った泉は霊泉になり、現在でも多くの巡礼者が訪れる「ルルドの泉」になっています。わずか人口1500人ほどのルルドに、年間500万人もの人が訪れるそうです。

ダウンタウンからも歩いていける距離にあるリリハ地区に「伝説の泉」があると聞いていました。昨日のリリハのイベント会場に、この地区の歴史が説明されていました。その一つ「伝説の泉」は、リリハ・ベイカリーから、人一人通れる獣道のような細い道を抜けて歩いて3分もかからない所にありました。静寂の公園の中の泉の湧き水は冷たく、しばらく瞑想の時間を過ごすことができました。

泉を守る古代ハワイの「モー」と呼ばれる神からの使者の子孫と云われる女性カフナ(神官)が、1880年代になると癒しの泉を管理しました。この地域には幾つもの泉が存在していて、有名な6つの泉がありました。泉の底の粘土層と湧き水には治癒効果があるとして知られていて、湧き水に浸かると、病の邪悪を流し落としてくれると信じられていたようです。また当時湧き水は、ヌアヌの下域のタロイモ畑への水の供給をするものにもなっていたようです。

現在は、開発によってこの「クナワイの泉」しか残っていません。「クナワイの泉」は、1960年代に整備され公園になっています。底の大部分はコンクリートで固められていますが、今も冷たい水がこんこんと湧いています。泉脇のブッシュからも透明な水が湧いています。コウラウの山で降った雨が、土の中を流れここに湧いているのでしょう。

かつて「イオラニ・ルアヒネ」と呼ばれた有名なフラダンサーが、この泉でオリ(チャント)を唱えた時に突然水が湧き上がり、水量が増えて、その場にいたたくさんの人を驚かせました。リリハの「クナワイの泉」には伝説があります。

「伝説の泉」と聞いて、私は「ルルドの泉」を連想しました。フランスとハワイはずいぶん離れていますが、時はほぼ同じ頃。場所は違っても、当時の人々に何かを訴える目に見えない魔力がそれぞれの泉にあったことは確かです。世界から年間500万人も訪れる「ルルドの泉」と違って、ハワイの「癒しの泉」はひっそりとした住宅街にたたずむ公園になっていました。

*いつも応援クリックありがとうございます。 ブログを続けられるのも、みなさんの応援があるからです。
*アロハストリートのハワイブログランキングに参加しています。
 応援クリックよろしくお願いします。マハロ




















 ハワイブログランキングに参加中!クリックお願いします。マハロ

5914

レイのセレモニー(フラ)



昨日は、レイデーの生花レイをロイヤル・ファミリーのお墓に(モザリウム)収める儀式を紹介しました。今日は主役のレイではなく、そこで踊られたフラについて紹介しましょう。

ハワイアンのライブ音楽に合わせフラガールが舞い、厳かに美しいレイがモザリウムに収められました。フラはハワイ文化の大きな一つです。2012年のレイ・クイーンLenore klein さんが、優雅にフラを踊ります。昨年はフラダンスがありませんでしたが、今年は、レイ・クイーンの他に、3人のCourt Princess も優雅なフラを見せてくれました。

フラがハワイのさまざまなセレモニーの中で披露されるのはいつも見る光景です。フラがハワイの人の生活に根付いていると感じさせるのは、子供たちのフラです。フラガールのフラの前で披露された小学生のフラに、私は感動しました。

小学生のフラは、自然や神に対する礼拝を込めて詩(チャント)と唱えながら踊るカヒコ(古典フラ)です。大きな声をしっかり出しています。先生のイプヘケ(打楽器)に合わせて、ステップなども間違えることなく、普段からフラを踊っているのがわかります。この日のための、短期間の特訓の披露とは違います。視線もしっかりして、それぞれが自分のフラの世界で踊っています。キョロキョロしている子供はいません。

ハワイの子供の中には、小さい時からフラを習い、アロハの精神、ハワイ文化、フラの歴史なども同時に教えられています。小学生、中学生、高校生たちのそれぞれのフラを見ていると、ハワイの文化はこのように伝承されているのだと改めて思い知られます。

ハワイの神聖なロイヤルファミリーの眠るMauna 'Ala(マウナ・アラ)、王室霊廟(ロイヤル・モザリウム)で、子供たちやレイ・クイーンらのフラを見られた贅沢な一日の始まりでした。

*アロハストリートのハワイブログランキングに参加しています。
クリック応援よろしくお願いします。マハロ











ハワイブログランキングに参加中!クリックお願いします

4760

ワイマナロのMEL’S Market(メルズ・マーケット)



オアフ島の東回りのドライブでは、必ずトイレ休憩に立ち止まるワイマナロのマクドナルド。その隣にあるのが、ローカルに愛されているMEL'S Market。

ワイマナロという土地は、昔から何代もの住民が住んでいて、その70%以上がハワイアンと言われています。昔ながらのハワイが感じられる貴重な場所です。その中でも、ワイマナロにある地元住民にはなくてはならないコミュニティーの中心にもなっている個人経営のマーケットがメルズ・マーケットです。

生鮮食料品の野菜、肉、魚はもとより、家庭生活用品から薬まで何でも置いてあります。中には埃がかぶった棚には賞味期限が微妙な商品もあります。大規模な会員制大量販売店も存在するオアフ島ですが、メルズ・マーケットはワイマナロで生活する人には貴重な地元のお店です。

日本にも昭和30年、40年代には、どんな小さな町にもこんなお店があったものです。経済の高度成長と共にそんなお店は消えていきました。日本では、メルズ・マーケットのようなお店はほとんどなくなってしまいました。

1952年(昭和27年)創業の、今も冷房のないメルズ・マーケットの店内に入ると、まるでタイムマシーンで過去の世界に足を踏み入れたような錯覚をします。お店を捜せば、50年代の製品が出てきそうです。店頭の方耳の折れてしまった10セントで乗れるアンティークな木馬も、まだ現役のようです。この木馬にまたがったのは、親子二代、いや三代の人もいるかもしれません。

そんな時間がゆっくり流れるマーケットで、今度は、名物のココナッツミルクでつくったプディング、ハウピアを食べながらノスタルジーに浸ってみようと思います。

*ブログアップ後、オーナーの急遽により閉店

*アロハストリートのハワイブログランキングに参加しています。
クリック応援よろしくお願いします。マハロ







ハワイブログランキングに参加中!クリックお願いします

6270

ラビット・アイランド(ウサギ島)に想う



昨日の画像の中にもあるワイマナロ・ビーチから見える、かつてウサギがたくさんいた通称ウサギ島、ラビット・アイランド(マナナ島)で思い出したことがあります。

ワイキキにプリンセス・カイウラニ・ホテルがあります。ホテルの名前の由来は、ホテルのある一帯は、かつてカイウラニ妃が住んでいた広大な場所でした。

ハワイ王朝の崩壊に、最後まで王朝の復活に奮闘したハワイ最後のプリンセス、カイウラニ妃(1875〜1899)の23年の短い生涯の伝記映画「プリンセス・カイウラニ」があります。2007年から撮影が始まった映画は昨年封切られ、ハリウッドの本格的な映画でハワイでも話題になりました。

映画は、オフフ島のイオラニ宮殿やイギリスで撮影されていました。。その映画の中で、カイウラニ妃が大好きな乗馬をする場面があります。また、海に入っていく場面など、何度かスクリーンに映るのが、このワイマナロ沖に浮かぶウサギ島でした。映画の予告編のオープンニングにも出ています。ワイマナロ・ビーチは、この映画が撮影された場所でもあります。

砂糖キビ産業が盛んだった頃、おびただしい数の蒸気機関車がハワイの各島を走り回っていました。このワイマナロにも、WSC(Waimanalo Sugar Company)と云うワイマナロ砂糖会社が砂糖キビ畑からビーチまで蒸気機関車を走らせていました。100年以上も前の古い写真に写る蒸気機関車の後方には、確かにワイマナロ・ビーチとあのウサギ島が見えます。

静かなワイマナロ・ビーチで、目の前の青い海を楽しむのもいいでしょう。でも、歴史を少し知ると、さらに楽しくなるワイマナロ・ビーチです。


*アロハストリートのハワイブログランキングに参加しています。おかげさまで、総合月間ランキングで首位になることができました。みなさんの応援のおかげです。ありがとうございます。
 これからも、応援クリックよろしくお願いします。マハロ







 ハワイブログランキングに参加中!クリックお願いします。マハロ

2740

オアフ鉄道の墓場(ハワイアン・レイルロード・ソサエティ)



オアフ島エバにある非営利の「ハワイアン・レイルロード・ソサエティ」には、鉄道の一部が保存され日曜には列車に乗ることもできます。またオアフ鉄道(OR&L)の古い蒸気機関車が保存されて、公開されています。

先週にハレイワのビーチに淋しく置きざらしになっていた鉄の塊が、本当に列車の車輪であるのかを確かめてきました。古い錆びた車輪が、一箇所にいくつも集められています。確かに、車輪の内側が、ハレイワで見た車輪と同じ形状をしています。ハレイワの鉄の塊が、かつてオアフで活躍した蒸気機関車の車輪に間違いありません。

敷地内の停車場に放置されている車両は、屋外博物館の展示物になっていますが、風雨にさらされて朽ちるのを待つだけの鉄のクズになっているのが残念でなりません。廃車となって、長い年月朽ちるのにまかせ放置されているのでしょう。赤錆が、歴史を生き抜いてきた列車たちが流す涙と血が混ざった物のように思えます。貨車の側板は半分朽ちて、まるで鉄枠がガイコツのように見えます。

オアフ鉄道の博物館となっていますが、博物館とは程遠いお粗末な施設です。私には列車たちの淋しい墓場のように思える屋外博物館でした。列車の運行を除いては、子供たちにとって夢を与えてくれるような場所ではありません。

子供たちにとって、人気の「機関車トーマス」のように、列車たちは感情を持つ生き物になっています。この博物館を訪れる子供は、ジャンクヤードの朽ちていくトーマスとその友達の列車たちを見て、どう思うのでしょう。また、「機関車トーマス」はこの車両たちを見てどう思うのでしょう。

カリフォルニアにある列車博物館には、オアフ鉄道(OR&L)の客車が屋内博物館で展示されています。これから生まれてくる子供たちのためにも、オアフ島で走っていた蒸気機関車の雄姿を見せられるよう、せめて3台の蒸気機関車だけでも朽ちないよう屋内展示されるようになればと思います。夢を持ってワクワクしてやって来る子供たちを見て、そんなふうに感じたオアフ鉄道の一日でした。

*アロハストリートのハワイブログランキングに参加しています。おかげさまで、総合月間ランキングで首位になることができました。みなさんの応援のおかげです。ありがとうございます。
 これからも、応援クリックよろしくお願いします。マハロ


1889年製オアフ鉄道第一号車「Kauila 6」

1890年ハワイ製の第一号車「Ewa 1」1947年まで運行























 ハワイブログランキングに参加中!クリックお願いします。マハロ

3374

オアフ鉄道の旅(ハワイアン・レイルロード・ソサエティ)



オアフ島エバにある非営利の「ハワイアン・レイルロード・ソサエティ」には、鉄道の一部が保存され日曜には列車に乗ることもできます。またオアフ鉄道(OR&L)の古い蒸気機関車が保存されて、公開されています。先週のハレイワの車輪のブログで予告したようにエバに行ってきました。

長い間廃墟となった停車場に放置されていた列車を、1970年愛好家たちが見かねました。彼らはボランティアでこつこつ時間をかけ、路線と列車を直しました。列車は、彼らの手で線路の上を動くようになりました。そして、手造りの列車営業が始まりました。トロッコのような手造りの客車は、背中合わせの板張りのベンチです。貨車に乗せられたれたような乗り心地は、快適なものとは程遠いものですが、時代を感じるにはぴったりです。100年前の砂糖キビと人を積んでを走っていた蒸気機関車の時代を、ひととき感じることができます。

オアフ鉄道は、1889年ホノルルーアイエア(パールハーバー)間の鉄道が開通して、1897年にはハレイワまで延びています。きっと1890年過ぎには、すでにこの辺りを黒い煙を吐きながら、蒸気機関車が走っていたのでしょう。現在は、煙の出る蒸気機関車ではありません。ガソリンで走る1944年製のディーゼル車がトロッコのような客車を引っ張っています。週に2回だけ、日曜の午後1時と3時だけの運行です。4両の客車には、一回につきおよそ100名が乗車しています。思ったより人気があるようで、ほぼ満員です。

単線なので、方向転換ができません。行きは、ディーゼル車が後ろから客車を押しての出発です。見た目は列車がバックしての運行です。エバの原っぱを抜けると、新しいカポレイの住宅地が右手に見えてきます。時速24kmと自転車の速さで、開発中の住宅地を抜けて列車は走ります。

カポレイのコスコ、スター・アドバタイザー新聞社の横を通り過ぎコオリナのゴルフ場の中を抜けると、タイムシェアの高層ビルが左手に見えてきます。8月にオープンしたディズニーのホテル「アウラニ」の裏を通って行きます。コオリナを過ぎるとすぐ左手に海が見えてきます。マカハのHECO(ハワイ電力)前にあるカヘ・ポイント・ビーチパークまで片道45分の鉄道の旅でした。 折り返しは座席の交代をしますので、海側山側のどちらの景色を楽しめます。今度は機関車が客車を引いて、来た道を戻ります。

道中マイクで車内放送による説明があったのでしたが、オープンの1両目の客車に乗ってしまったのでディーゼル音にかき消され、ほとんど説明が聞けなかったのが残念でした。これから乗る人は、先頭のディーゼル車から離れた後方の車両に乗られた方がいいでしょう。行きの先頭になります。

昨日の13時からの運行には、2組の日本人観光客が目に付きました。おばさんグループの一人は、禁止されているのにもかかわらず、乗車中に立ち上がり身を乗り出して写真撮影をされていました。英語による禁止事項の案内が理解できなかったのでしょう。危険なことです。もう1組は、杖をつく高齢の親をつれての乗車でした。こちらは、夫婦でプロ並みの大きなカメラで激写されていました。

ハワイのガソリンの値段は、高値止まりして安くなりそうもありません。列車運営もガソリンの高騰はありがたくはないでしょう。乗車料がこの夏、10ドルから12ドルに値上げされたようです。私にとって、12ドルでも安いと感じる90分、約20km(往復)のオアフ鉄道の旅でした。

*アロハストリートのハワイブログランキングに参加しています。おかげさまで、総合月間ランキングで首位になることができました。みなさんの応援のおかげです。ありがとうございます。
 これからも、応援クリックよろしくお願いします。マハロ



























 ハワイブログランキングに参加中!クリックお願いします。マハロ

3448

リリウオカラニ女王「歴史ツアー」(1)



昨日ハワイ王朝最後の王、リリウオカラニ女王の生誕を祝うイベントが、ダウンタウンのイオラニ宮殿で開催されました。 そのイベントの一つに「1893年歴史ツアー(Mai Poina Walking Tour) があります。昨年に続き今年も週末のツアーに参加します。

1893年1月17日は、ハワイ王朝最後のリリウオカラニ女王が在位した最後の日になります。その日を迎えるハワイ王朝の出来事を、当時の服装を身に着けた役者たちが、著名な舞台脚本家(Victoria Kneubuhi) の指導の下、イオラニ宮殿を中心に場所を変えて当時の状況を熱演します。イオラニ宮殿にあるバンド・スタンドの建物からも見える、現在郵便局がある場所にあったオペラハウスの方向を指差し、銃を手にしたアメリカ軍団がどのようにやって来たのかを生々しく語ります。もちろんリリウオカラニ女王を演じる役者も出てきます。

ハワイ王朝は、かつては立派な独自性をもつ独立国でした。当時の強い外圧の状況を、役者の中には熱演のあまり、声が上ずり涙ながらに語る人もいます。さまざまな立場の人が、その当時のハワイの出来事を、今あたかも起こっているかのように語ります。まるで、タイムマシンに乗って、イオラニ宮殿に降り立ったような錯覚さえします。当時のハワイの人の熱い気持ちが伝わってきます。

1983年1月16日、王制派と共和制派が共に大集会を開き、ダウンタウンは騒然とします。危機感を持った共和制派は、アメリカ公使の要請によりアメリカ海兵隊がイオラニ宮殿を包囲します。翌17日、共和制派が力づくで政庁舎を占領し、ハワイ王朝が廃止され臨時政府が樹立しました。リリウオカラニ女王が、女王である最後の日でした。

学生時代に習った、リリウオカラニ女王が作ったお馴染みのハワイアン・ソング「アロハ・オエ」の最後のフレーズが記憶から甦ってきます。
アロハ・オエ ♪ アロハ・オエ ♪ さらば、ふるさと ♪
リリウオカラニ女王の作った歌の重みが伝わってきます。歴史を知ると、ハワイの土地の重みも少し理解できるようになります。今年は、ツアーに新にチャント(祈り)が加わってどのようになるのか楽しみです。

*Mai Poina とは、ハワイ王朝がどのように終焉したかを「忘れるな!」という意味を持ちます。

*アロハストリートのハワイブログランキングに参加しています。
 応援クリックよろしくお願いします。マハロ










リリウオカラニ女王を演ずる Nyla Fujii Babb さん






 ハワイブログランキングに参加中!クリックお願いします。マハロ

3315