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ダウンタウンにあるハワイシアター隣にちょっとした公園があります。この公園はチャイナタウンの入り口にあるので通称「チャイナタウン・ゲートウェイ・パーク」と呼ばれていました。しかし、この3年前に名前が変わりました。新しい名前は「孫逸仙(Sun Yat-sen)メモリアル・パーク」です。日本では孫文の名前で知られている人物の記念公園です。

1879年、13歳になる少年、孫中山(スン・ヂョンシャン)は、ハワイにいた兄の孫眉を頼り中国広東省からハワイにやってきました。イオラニ高校を卒業し、オバマ大統領を生んだプナホウでも学びます。孫中山はアメリカの合理性、平等性、民主主義を学びます。兄や母が西洋思想に傾倒する少年を心配し、彼が18歳になると中国に戻します。 多感な少年時代をハワイで過ごした孫中山は、後に「近代中国の父」と呼ばれる人物になります。台湾では100元紙幣にもなっています。

1894年日本と中国の清朝との間で日清戦争が勃発します。同じ年、13歳でハワイに渡った一人の男が28歳になり、ハワイに戻ります。清朝を倒して民主的な中国を目指す革命団体「興中会」をハワイで結成します。ダウンタウンのベレタニア通りとビッショップ通りにあるホンダ・ディラーがある場所で、その歴史的第一声を20人の同士を前に発しました。以後、生涯にわたって中国の民主化を目指す革命に従事します。

ちょうど100年前の1911年、中国で辛亥革命が起きました。268年間の清朝、2000年を越える中国王朝時代の終焉です。広東地方の貧しい農民の家に生まれ、ハワイで学んだ少年は初代中華民国臨時大総統になりました。

ダウンタウンにはその孫中山、孫文を育てた空間があります。孫文を語るとき孫文を育てたハワイ抜きでは語れません。辛亥革命から100年が経った3年前、孫文の足跡をしのぶイベントがここハワイでも開催されました。ホノルルでは、、孫文の数々の写真を見ることができます。

チャイナタウンの西外れのヌアヌ川沿いには、孫文の晩年の立派な銅像が一際目立って建っています。孫文の卒業校イオラニ・スクールには、公園と同じ少年像が建っています。日本にも亡命していた孫文ですが、ハワイが育てた孫文をハワイに住む中国移民が誇りと思うのも当然なことでしょう。

孫文の少年像が建つ公園の中央にあった憩いの池が埋め立てられました。大きな岩が組まれ、岩間から水が流れ落ちてくる憩いの池が無くなったのは残念です。私の記憶では、私がダウンタウンに引っ越してきてから整備された人工池でした。この数年で公園は増えるホームレスのたまり場になり、ホームレスの格好の公衆トイレ化した公園の構造を変える工事でした。

緑の中に少しでもせせらぎがあるといいものです。池の端にあった香港オーキッドの大きな木が残されていますが、池の無くなった公園は寂しいものになっています。公園にはこれから芝が張られ、ベンチが何脚か設置されるのでしょうか。

注:日本で孫文と呼ばれ、一般に中国では孫中山、アメリカでは、孫逸仙(Sun Yat-sen)と呼ばれています。

つづきは

「楽園ハワイと私」(ライブドア・ブログ)

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