
今日は、ハワイ王朝最後の王、リリウオカラニ女王の生誕を祝うイベントが、ダウンタウンのイオラニ宮殿で開催されました。
イベントは10時に、ロイヤル・ハワイアンバンドの演奏でハワイ王朝の国歌、今はハワイ州歌になってる「ハワイ・ポノイ(偉大なるハワイ)」で始まります。
例年、このイベント中はイオラニ宮殿の1階が無料で公開され、宮殿内に入ることができます。宮殿前のガーデンではステージが設けられ、それを囲むように人が集まり、その外にハワイの文化を紹介する10以上のテント、ポイやレイを作る実演、フードテントなどがありました。ハワイにとって、大切なイベントの一つですが、訪れる人は、決して多くなく静かにイベントが進められました。
リリウオカラニ女王は、1838年9月2日にカラカウア家の娘として誕生しました。ワイキキの大通りの名前にもなっているカラカウア王の妹です。1891年兄の急死のあとを継いでハワイ王国の君主になりました。背景にハワイの歴史が大きく動いた時代があり、リリウオカラニ王女は激動の日々を過ごします。反乱の首謀者の容疑で逮捕され、イオラニ宮殿に幽閉されました。在位はわずか2年足らず、1898年ハワイはアメリカに併合されます。
ハワイの代表曲「アロハ・オエ」は、1878年にリリウオカラニ女王が作った曲で、今も世界の多くの人に親しまれています。「アロハ・オエ」は、アメリカに併合されていく祖国ハワイへの別れの歌だとも、またそのことを悲しんでハワイを去っていく人に捧げた歌だとも言われています。
イオラニ宮殿の裏に一人の女性の像が立っています。観光客は、宮殿前の初代ハワイ王のカメハメハ王像を訪れますが、最後のハワイ王、リリウオカラニ女王像を訪れる人は多くはありません。その存在を知る人が多くないからでしょう。カメハメハ王像から歩いて5分も離れていないのに、なぜか寂しい気がします。
学校で学んだ「アロハ・オエ」の最後のフレーズが記憶から甦ってきます。
アロハ・オエ ♪ アロハ・オエ ♪ さらば、ふるさと ♪
「アロハ・オエ」の生演奏は、毎週金曜の午後12時から、イオラニ宮殿でロイヤル・ハワイアン・バンドがフラ付きで聞かせてくれます。寂しい憂いを持ったハワイアンの名曲を聴いて、リリウオカラニ女王を偲びたいと思います。
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コメント
tiggerさん、こんにちは。
スチールの優しい調べを聴きながら記事を拝見いたしました。
今、リリウオカラニの生涯を書いた本を
(と言っても簡単な本ですが)読んでいます。
'ONIPA'A・・・調べてみましたら、しっかりした、とか
揺るがないとかいう意味でした。
リリウオカラニの生き方を言葉にしたものなのでしょうか?
tiggerさんに教えていただいた、リリウオカラニの像、見てきました。
ほんの少しだけハワイの音楽をかじっているせいでしょうか、
彼女が見下ろす視線から、立ち去りがたいような、
なんとも言えない感情に囚われました。
ありがとうございました。
今年5月のハワイでは、イオラニ宮殿日本語ツアーに参加しました。
金曜に参加して、ロイヤルハワイアンバンドのコンサートを楽しみにしていたのですが、土砂降りで…残念。
リリウオカラニ像、それにダミアン牧師の像にも訪れてきました。
リリウオカラニ像は…なんとも寂しげな顔で、手に持っている楽譜を大切に持っている気がしました。音楽が救いだったのでしょうか。
全然関係ない場所ですが、毎週火曜のハワイシアターツアーにも参加したのですが、そこでリリウオカラニの話を聞きました。
毎日、花を届ける少年の話です。
少年は花を包む紙、当日の新聞紙にして渡していたそうです。廻りに気付かれずに新聞を読んで貰うために、メ一杯の工夫だったのだと思いました。
リリウオカラニは…リディアは、国民に愛されていたのでしょうね、時代が違えばきっと素敵な女王だったのだと、私は思っています。
southshore さん、アロハ!
リリウオカラニのモットーが、'ONIPA'Aだったそうです。意味はその通り、remain steadfast です。彼女の生き方そのものです。
以前はただの銅像でしたが、今では意味のある貴重な銅像になっています。このイオラニ宮殿には、彼女の深い想いがまだ残っているような気がします。私も彼女のバイオグラフィを呼んでみたくなりました。
えしゃにぃ さん、アロハ!
新聞紙の話は有名な逸話ですね。2年もの間あの2階の角部屋で幽閉されている話を聞いて、いつもイオラニ宮殿を見るたびに、2階の部屋に目が行きます。
ダウンタウンは、歴史がいっぱい詰まった空間があってとても興味深いです。そんな歴史も少しづつ紹介できたらと思います。