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カテゴリー:大人の自由研究

大人の自由研究~HALEIWA HOTEL③~


Post-295
またまた、ご無沙汰いたしました。
ハレイワホテルの自由研究も、すっかり間延びした感はありますが
今回で自由研究は一旦おしまいです。
後は今、ハレイワの町で物議を醸している事がありますので
そんな事のさわりをおまけに書いてみようかと思っています。

今回はスライドショーを作ってみました。
機械音痴の私にとって、高いハードルでしたが
やり始めたら、今のソフト、超親切です。
Na Palapalai の歌っているHALE’IWA HOTE を見つけましたので
BGMに入れてみました。
本当はCDを買ったら歌詞カードが付いて来るので、
それを訳してみようかと思ったんですが
16曲中、HALE’IWA HOTE だけ歌詞がない・・・
なんでぇ~????

そんなでしたが、よろしかったら見てやってくださいませ。




ハレイワホテル、現存時の鳥瞰図


現在のハレイワ、
ハレイワホテル跡地には、ハレイワジョーズがある



:emojibook: ・・・ :emojibook: ・・・ :emojibook: ・・・ :emojibook: ・・・ :emojibook:

ハレイワホテルの1階にはパーラー、

台所、食堂と事務所がありました。


島特産の美しいパネル材で作られた、パーラーは広大でした。
左手がホテルフロントです。


印象的な階段は、2階へ続き、


左手の手摺が階段です。

その先には、オーシャンビューのシングル・ルーム、

またはマウンテンビューのスイートが用意されていました。


ハレイワホテルは自家発電を敷地の側に設備し、

電気照明を提供して、

各々の部屋は、電話も備えられていました。

4つの個人用の部屋も、利用することができました。

男性は、ホテルのコテージのうちの1つで、

ブランデーと葉巻を楽しみ、

食後にビリヤード室へ行くこともできました。


スポーツマンには、5マイル離れたワイメア湾の内陸にある、

素朴な「男性用のロッジ」MAUKAで射撃を楽しみました。

その建物は、

ハワイの古いシャクという小屋をイメージしたものなのか

草でふかれた屋根で、木の丸太でできていました。


道の向こうには厩舎があり、

砂糖工場の馬での旅行をすることができました。


アナフル川の流れを利用して、カヌー、

そして、ボートをレンタルすることができました。



1940年代までには、9ホールを備えたゴルフコースは、

ホテルの隣にありました。


多くの古いハワイの歌とフラは、ハレイワホテルを賛美しています。

しかし、時は経ち・・・

1929の世界恐慌の前にさえ、

大損失を出していたハレイワホテルは、

より新しくて、より大きいワイキキホテルとの戦いに敗れました。


ホテルは私立の浜辺クラブに改造されて、

そして世界大戦の間の陸軍士官の

レクリエーションセンターとして用いられました。


また、第二次世界大戦中に、

日系アメリカ人に対する人種差別政策である

日系人の強制収容を支持し推進した人物、

アール・ウォーレンカリフォルニア知事のための

レセプションのための開催地にもなりました。

旧式ではありましたがノースショアではまだ唯一の、

エレガントな会議室でした。

老朽化した建物は利用されることもなくなり・・・

ハレイワホテルは、

美しい農園の町にハレイワという名前を残し、

1952年にその歴史を閉じ、取り壊されました。



:emojibook: ・・・ :emojibook: ・・・ :emojibook: ・・・ :emojibook: ・・・ :emojibook:

この自由研究を始める時は、もっと簡単に、
もう少し納得の行くものができるんじゃないかと思っていました。
しかし現実は厳しく、壁にぶつかりどうしでした。
その壁を乗り越えるような知識も根性もない私は
見なかった事にするというお得意の手法でスルーしましたが
その結果、やはり小2レベルに・・・

こんな稚拙な記事にはなりましたが、
自分ではすこぶる楽しく、久しぶりにワクワクしながら辞書をひきました。
え~!とお思いの方もたくさんいらして当然ですが
楽しかったから、やってよかった!!!

このような自己満足な、拙い自由研究を
お読みくださいましてありがとうございました。

:emojiheartsmall: BIG MAHALO! :emojiheartsmall:


大人の自由研究~ HALEIWA HOTEL②~


Post-292


この2枚の写真は同じ絵葉書に彩色を施したものだと思われます。

上の写真は、博識コメンテーターのふみふみさんが
私の最初の記事を見てくださって
「色の付いたものがあったらイメージなさりやすいのでは・・・」
とご苦労の末探してくださり、
温かいコメント、今後のヒントと共にお送りくださったものです。
ふみふみさん、ありがとうございます。

下の写真は私がアメリカの写真サイトから取り寄せたものです。
まあ、ご存知の通りの英語力ですから、
ペイオフの手続きをするだけで四苦八苦 :emojiface_sad:

同じ写真でも屋根の色などでずいぶんイメージが違いますが、
どちらも優雅なヴィクトリア調の建築様式のホテルが蘇って来ませんか。

写真で素敵なホテルをイメージなさっているところに
またまた小2レベルの訳文で、甚だ恐縮ではありますが・・・・
性懲りもなく自由研究に入らせていただきます。

Amy Hanaiali’i のHALEIWA HULA を
聴いていただきながらお読みいただければと思います。
アンティのものを探しましたが、
あまりいいものがなかったので
ハレイワフラでは定評のあるエイミイさんのものにしました。




:emojibook: :emojipencil: :emojibook: :emojipencil: :emojibook:


カメハメハ・ハイウェイを海に向かって進み、

左に行くとハレイワ・アリイビーチパーク、

右に進むとアナフル橋を経てハレイワビーチパークに行く分岐点、

現在のハレイワジョーズの辺りに
1899年、ハレイワホテルは、建設されました。
(モアナホテルはホテルとしての営業は1901年)





この写真は数日前のハレイワジョーズです。
ハワイに行くayukoりんが「ハレイワに行きますけど、
資料など、お使いするものがあったら言ってください。」
との、嬉しいお申し出に、図々しくも
「前を通ったらハレイワジョーズの写真を撮って来て~。」
とお願いしてしまいました。
添付メールで送ってくださったこの写真、
ハレイワの匂いがプンプンします。
ayukoりん、ありがとうございます。

ハレイワホテルにお客様を運ぶのに、

ディリングハムが鉄道を敷いた事は

前回の記事に書きました。

その連結ナンバー22と言われた列車の運賃と1泊の料金は

$10だったと言うことです。




ハレイワホテルから駅舎を見る

約100年前ののハワイの$10の貨幣価値は

どんなだったのでしょう?

資料にはこの料金は法外とかまさかの等と書いてあります。

調べてみましたが、これまたはっきりとはわかりませんでした。

ただ興味深い資料に出くわしました。

日系移民1世の方々の過酷な労働は、

みなさまご存知のことと思います。

その方たちの月給が26日勤務、10時間労働で、


男性$12.5、女性$10だったそうです。

アメリカ本土の平均年収は$500という記録がありました。

こう考えてみると、ハワイの方々にとっては勿論、

アメリカの方にも庶民には高嶺の花だったに違いありません。

しかし日曜日にだけ運行されていたせいか、

ホノルルからハレイワへの55マイルの旅の客車は、

しばしば満員になっていました。


ここで今日の自由研究はおしまいです。

今日のこの記事を書いていて思った事がありました。
私の薄っぺらい自由研究が、みなさんのALOHAで膨らみました。
もし、ハレイワホテルの情報がありましたり
私の情報に誤りがありましたら教えてください。

自己満足かもしれませんが、こんなページが作れて本当に嬉しく思います。

最後にふみふみさん、ayukoりんBIG :emojihearts: MAHALO です。


また次回、続きをお読みいただけたら有難いと思います。

大人の自由研究~HALEIWA HOTEL~


Post-289
2010.7月に行ったハワイは、
何回も言いますが海外初めてのkyonちゃんと行きました。

どんなところが楽しいのかなぁ・・・と考えた結果、
とりあえずJALのわくわくアロハ計画の
無料プログラムに参加することにしました。
一人2つのプログラムに参加できます。

一つはご紹介した「ハーブ・オータJr.」に学ぶウクレレレッスン。
もう一つは「フラソングで巡るバスツアー」です。

ハワイで観光バス!初めての経験です。
でも、以前OHANA’sのayukoりんも
参加されてて良さそうだったので
行ってみることにしました。


ビーチウォークに朝9:00に集合。

大型観光バスに乗り込みます。

JALの係りの方とガイドの女性がお世話して下さいます。

ワイキキ

↓♪モアナルア

モアナルアガーデン

↓♪パーリーシェルス

ドールプランテイション

↓♪パイナップルプリンセス

ハレイワ

↓♪ハレイワ・フラ
↓♪ククイツリー
↓♪メハメハ
↓♪ホワイトサンデイビーチ
↓♪アロハ・オアフ

ワイキキ

こんな形でそこの土地に因んだ
ハワイアンソングを説明を交えて流してくれます。
知らなかったお話がたくさん聞け、感心しきり!
の割には正確に覚えてなくて・・・
でも日本に帰ってきてからも
心に引っかかっていることがありました。

それはハレイワのハレイワホテルのお話・・・
目からウロコでした。

ご存知の方も多いのかもしれませんが、
私はそんなホテルがハレイワにあったなんて
ハレイワってそんな町だったなんて、
第二の故郷とか言いながら、まったく知りませんでした。

ガイドさんの説明はこんなものでした。

富豪ディリングハムは、ワイキキかワイアルアに

リゾートを作る計画を立て、ハレイワをその地に選んだ。

そして、ハレイワホテルを建設し

ホノルル港に着いた旅行者を

蒸気機関車でハレイワに運んだ。

そのホテルは贅を極めた造りであったが、

ホノルルからの時間がかかることなどから

ワイキキに人気が集まり、衰退してしまった。

しかし、豊かな町だったことを知っている住民は

とても町に誇りを持っており

ワイアルア地区の中にあるが

敢えて自分たちの町をハレイワと呼んでいる。

そしてこのホテルの名前が

今のハレイワの町の名前の元になっている。と・・・


そのお話を聞いた途端、私の頭に浮かんだのは
日本のクア・アイナで見たポートレート。
TOP画像です。
皆さんも見たことありませんか?
私は日本でクア・アイナに入るたびに、
これはアリイのところの地形だよなぁ。。。
と思っていました。
貴婦人のような人も写っています。
アリィという名前からリリウオカラニとか
貴族の別荘か何なかなぁと思っていました。

そういうことだったのかぁ!!!
何年も思っていたことの答えが出て、すごく嬉しくて

日本に帰ってきたら、またバタバタと忙しいとは思いましたし
私が調べたところで
大して成果は上がらないのはわかっていましたが・・・

ん~、私の知りたい病は抑えられず・・・
資料探しが始まりました。

ハレイワの町でも売っていた町の本をみつけ、
ネットで取り寄せましたがそれだけで2ヶ月以上かかり・・・

それからまた日にちは経ち、
その本を横目で見るたびに、心が痛い
そしてやっと何日か前から、
お得意の今一な翻訳ソフトと、辞書を使って
調べ始めました。

やりだすとこれが面白い!!!
だからといって英語力が上がる訳もなく、
疲労困憊しながらやっと取っ掛かりの部分だけ
文章にすることができました。
小学校2年生レベルの文章力ですが
文をいじると意味までちがくなりそうですので
すみませんみなさま我慢してお読みください。(なんてヤツだ!)

ハレイワホテルは

ベンジャミン・フランクリン・ディリングハムによって建てられました。

商船隊員としてハワイに滞在していた彼は

落馬によって足を骨折し

1875年にホノルルで取り残されることになりました。

不運に見えたその事故は「幸運」そのものでした。

後にディリングハムは大成功しました。

1888年に、彼はオアフに唯一の

蒸気機関車鉄道線路を築き上げました。

そしてホノルル町とノースショアを通り

カフク砂糖プランテーションまで運転されていました。


彼のO’ahu Railroad and Land Companyは、

いくつかの自身のものを含む9つのプランテーションから

町にサトウキビを運搬しました。

1890年代後半までには、彼は160マイルの線路を敷設しました。

彼はパイナップルをも

サンフォードドールのプランテーションから運ぶために

島の中央に線をワヒアワまで運行する予定でした。

それに加えてディリングハムはサトウキビに加えて

人々をハレイワの町に呼び寄せることを考えました。

当時ノースショアには「都会人」が滞在する場所がありませんでした。

ディリンガムは、1899年に、最新のビクトリア朝のスタイル、2階建て、

40室の保養の為の部屋を持つハレイワホテルを開業しました。

彼は、それにHale’iwa(anahulu流れに沿った神学校の女性の寄宿舎)

の名をとって名づけました。


ガイドさんが言ったハレイワの町の名前の元になったのがハレイワホテル。
え?神学校の寄宿舎の名前じゃないの?
軍艦鳥の集まる家って言う意味の・・・
でも自分で調べていくうちにどちらも正解だったんではと思いました。

ディリングハムはこの寄宿舎からハレイワという名前を貰い
住民はそのハレイワホテルの栄光あるハレイワという名前を受け継いでいる。

今日の収穫でした :emojiface_glad: :emojigoo:

まだまだ続きますが、次回は・・・未定ということで