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カテゴリー:Aunty Genoa Keawe

Aunty Genoa Keave②


Post-209
先週、30分くらいUPした記事です。
もう一度小澤さんに見ていただいてからと思って引っ込めてしまいました。
「デジャブ?」と思われた方、ごめんなさい。
小澤さんに許可を頂きましたので、再登場させます。
よかったら、読んでくださいませ。

Genoa Keaveさんの記事を書くきっかけは何度も書いているように
Shell Lei Hawaiiansの小澤さんから戴いたものです。
5/29Cafe Manoa 204で行われたライブの後、お話を伺うところから始まりました。

また動画を貼りましたので、ケアヴェさんの素晴らししソプラノをお聞きください。



それまで、私なりにですが、ネットでケアヴェさんの事を調べたり
ハワイアンの先輩生徒さんにお話を伺ったりして
ものすごいドキドキしながらインタビューに臨みました。

2時間以上のステージを終えられて、お疲れだったはずなのに
ほんとうに嫌なお顔一つせずお話をしてくださいました。
「アンティは僕にとってハワイそのものなんです・・・」
という言葉から始まりました。

S「ケアヴェさんとの出会いを教えてください。」

O「1983年、ケアヴェさんが日本に見えた時、
僕の大恩人にお世話を頼まれたのがきっかけでした。
その時僕は家の事業に携わっていましたが
若かったんですね、これは絶対にやらなければ!
と思って仕事、放り出しました。」

S「どんなお世話をなさったんですか?」

O「車の運転、食事の手配8泊10日、
すべてのスケジュールのお世話をしましたね。」

S「小澤さんは英語が堪能でいらっしゃるんですか?」

O「いえいえ、だめだったんですよ。ただ何ていうんでしょうね。
何も言葉を交わさなくても、わかり合えるものがあったんですよ。」

S「それは、何か前世からのご縁を感じたとか?
(と、不思議おばさん炸裂か???)」

O「いえいえ、まったく違いますね。無なんですよ。
まるで無の魂と魂がそこでぶつかったような。」

小澤さんのこの言葉は、私にとってほんとうに衝撃的でした。
今まで準備していたすべての質問が空虚で安っぽいものに思えて
何も言葉が出てこなくなってしまいました。

小澤さんには失礼だったかもしれないんですが
この後は、小澤さんに自由にお話いただこう、
私なんかが奇を衒った様な質問をすることではないんだ!

小澤さんがケアヴェさんのお写真を
ほんとうにいとおしいお顔をしながらご覧になってます。
「アンティが亡くなってから、初めて見ますよ。
southshoreさんが僕の古い思い出を
日の当たるところに出してくれたんですよ。」と・・・

私はその時、自分が小澤さんのとても大切な部分に
入り込んでしまったのに気づきました。
自分で、お話を伺いたいと持ちかけながら、「どうしよう!」と思いました。
頭の中に「どうしよう!どうしよう!どうしよう!・・・・・」が渦巻いてます。
でも、もう後戻りはできませんでした。

こうなったら、少しずつでもいいからお話を伺って、
私にできる範囲で書かせていただこう!

何も質問が出てこなくなっている私の事を
小澤さんが気遣ってくださって色紙を見せてくださいます。



「これはね、アンティが僕に言葉を残したいからって
色紙を買ってくるように言ってくれたんですよ。
浅草まで色紙を買いに行って帰ってくると
これを書いてくれましてね。
僕は当時よく英語が理解できなかったんですが
できる奴に聞いたら、凄い事が書いてあるよ!って。」

またまたsouthshoreのへたっぴ和訳ですが・・・・

心から愛を込めて、決して忘れない

親愛なるわが息子へ

とても素晴らしい時でした。

私にとってここは紳士的な、楽しい場所でした。

———–愛しています———–

いつもあらゆることで、あなたは自分を褒めていいわ。

いっぱいの愛を、心を込めて。

私の息子、ヤスノブ・オザワ

ママと呼んでね

ジェノア・ケアヴェ

凄い信頼関係ですね。
小澤さんも、ケアヴェさんの事を母のような存在と言っていらっしゃいます。
「ジェノアのハグはね、抱き合うだけじゃないんですよ。
頬と頬をくっつけてね。
その時はジェノアの大きさに、まるで母に抱かれた気持ちになりましたよ。」



そして、こうも言っていらっしゃいました。
「いつもハグしてもらうのは、僕が一番最後なんですよ。
僕の勝手な解釈かもしれないけど、必ずお互いを見詰め合って・・・
ジェノアにとっても、僕への特別な思いが伝わってくるんですよ。」

「ジェノアはね、ステージに上がるとものすごい方なんですがね
家に戻って、部屋着に着替えられると、
割烹着が似合いそうな普通のおばさんなんですよ。」

この時はジェノアさんをお呼びした方のご自宅に寝泊りされ
ハイヤーなども使わず小澤さんがボランティアで運転手をなさり
その浮いたお金と、主催なさった方の大切なマーチンのウクレレを
ジェノアさんが帰られる時に差し上げたそうです。
最初は拒んでいらしたようですが、
皆さんのお気持ちが伝わったんでしょう。
とてもとても喜ばれて帰られたそうです。

その後小澤さんがハワイに行かれると
喜んで駆けつけていらして楽しくお食事などをされたそうです。
その時のケアヴェさんと小澤さんの笑顔のお写真を拝見するだけで
お2人の再会の喜びが伝わって来ました。

小澤さんのほかのお写真、
ハワイアンミュージックの神様みたいな方たちが
たくさん写っていらっしゃいます。
小澤さんって、改めてすごい方なんだなぁと思わずには居られませんが
でもどなたとお知り合いじゃなくてもその実力とお人柄に大尊敬の
私の大切な方です。

取材をさせていただいたお礼のメールのお返事です。

「私の古い思い出に日を当ててくださってありがとう。
southshoreさんのお陰で、
忘れかけていたハワイアンを歌うときの心を目覚めさせていただきました。
アンティが言ってました。上手く歌わなくてもいい。
ほんとにハワイアンが好きなら
その心が歌に乗り移るからって。」

こんな素敵な方です、小澤さん。
私はお話を伺ってみて、私はケアヴェさんという偉大なシンガーとともに
小澤さんのハワイアンを伺いたかったのではないかと・・・

私もこの大先輩の後を
一生懸命に勉強しながら少しずつ付いて行こうと思いました。

まだお知り合いになって半年くらいの私に、ここまで胸襟を開いて
ALOHAなお気持ちを下さった小澤さんを心から尊敬し
お礼申し上げたいと思います。

BIG MAHALO 

Aunty Genoa Keawe ①


Post-202
この間からブログに書いていました
ジェノア・ケアヴェさんの記事を書き始めたいと思います。

この動画は、アンティの代表曲の一つパパリナ・ラヒラヒです。
経歴を調べて私なりにまとめましたので、
アンティを偲んで歌声を聴きながら
読んでいただけたら幸いです。



Genoa Leilani Keawe
(1918年10月31日 – 2008年2月25日)
経歴

オアフ島、カカアコに生まれ、ライエで幼少期を過ごす。

小さい頃から歌う事が大好きな少女で12歳からはモルモン教徒教会の聖歌隊に所属する。

1935年に、故エドワードプニワイケアウェ-・アイコと結婚し12人の子どもをもうける。

プロとしての始まりは1939年、ジョージ・ホオカノと彼のバンドとともに歌った
カイルアにあるキオスクショークラブ、軍の役員クラブからだった。

ラジオで彼女の歌が流れ、有名になってからでも歌で生計を立てるのは難しく
レイを売ったり、タクシーの運転手をしていた時期もあった。

その後、テレビに定期的に出演、人気ラジオ番組「ハワイコールズ」にも数多く出演。

ハワイのネイティブスピーカーの義母を通して言語を習い、保存していく事を誇りにし、

数多くのハワイアン歌手同様、耳からハワイアンを覚えたと思われるが

その言語に対する姿勢が、数多くの幅広いレパートリーを残したと思われる。

ジェノヴァケアウェレコードを、彼女の家族や友人の音楽彼女の音楽を記録するために設立。

20枚のアルバムと150枚ものシングル版を世に残した。

有名になってからも、積極的に活動し、世界中を旅して歌い、日本を訪れる事もしばしばあった。

またハワイでもたくさんのステージを精力的に行った。

後進の指導にも熱心で、数多くの著名なソプラノ歌手の指導をしたという逸話が、
いくつも残っている。

2005年、功績を認められ、ハワイ大学から名誉博士号を受ける。

亡くなる直前まで数多くのステージで歌い続けていたが

2008年2月25日、パパコレアの自宅にて永眠。


英語力のない私が何日かかかって調べられたのはここまででした。
徐々に肉付けをしていくつもりですが間違いや追記する事、教えていただいて
ウィキペディアではありませんが、
アンティに近づいて行けたらいいなぁと思っています。
どうぞご協力ください。




ハワイアンソングを習ってもう3年(まだ3年?)を過ぎているのに、
ほんとうに恥ずかしいお話ですが、私は、この記事を書こうと思うまで
ハワイアンの偉大なシンガーアンティ・ジェノア・ケアヴェの事をあまり良く知りませんでした。

その方の事を知ろうと思ったきっかけは、
皆さんに何度も読んでいただいていると思います。
私が大好きなハワイアンバンドShell Lei Hawaiiansの小澤さんと出会ったことでした。

Shell Lei Hawaiiansの演奏を初めて聴いて大感激した私が
「ブログに書かせていただいていいですか?」と伺い、
それを喜んでくださった(大人の方なので :emojiface_settledown: 喜んで見せてくださってるんですが)
Shell Lei Hawaiiansの方たちと少しずつ親しくなりました。
といっても、あちらはステージの上の方たちです。
ゆっくりお話ができたのは小澤さんがワイキキ最後の夜に私を誘ってくださった時でした。
同じテーブルに小澤さんと唐沢さんがいらして、
ワイキキが閉店じゃなければほんとうに夢のような時間でした。
その時小澤さんが少しだけジェノアさんのお話をしてくださったんです。

その後、ワイキキは閉店。(ちょっとだけでしたが・・・)
私は完全に目標を見失っていました。
自分でもおかしい位何やってるんだかわからない行動をしていました。
ブログもやめてしまおうと思っていました。
パパとの週末遠足にカフェ・マノアに伺った時
そこが偶然小澤さんの行きつけのお店で、
そこの奥様から、ジェノアさんと小澤さんのお話が出たとき
「これかも :emojibulb: 」って何か思うものがありました。

すぐ「小澤さぁん!今、カフェ・マノアに居るんですよ~!」とメールをしましたら
暫くすると「今、○×▲園で、 :emojibird: 山さんとか、
○X▲川さんとか○×▲部さんとかの前で歌ってましたよ!」とメールが入りました。
Shell Lei Hawaiiansの方たちは失礼ですが私より一回りくらい上の方たちです。
ワイキキの閉店だって、私なんか以上に残念なはずです。
でもこうやって、立派にステージをなさってる。
私は何をやっていたんだろう!とすんごい遅まきながら我に返りました。

その時、私は自分らしいブログを書いていこう。
Shell Lei Hawaiiansの方たちが演奏なさっている限り、私は追っかけ続け、
演奏を拙いブログで紹介させていただこうと思いました。

そしてこれは私にできるかどうかわかりませんが、小澤さんにお話を伺いながら
アンティ・ジェノア・ケアヴェの事を書かせていただこうかと思うようになりました。

お世話になったお返しじゃなくて、またお世話になるんかい!っていうお話ですが、
そこはそれ、私ですから :emojiface_glad2:

この後、小澤さんとの思い出や、彼女の病気との闘いのこと
また、ハワイに行ったらその時に調べられた事。
ゆっくりと書いていきたいと思います。