Post-289
2010.7月に行ったハワイは、
何回も言いますが海外初めてのkyonちゃんと行きました。

どんなところが楽しいのかなぁ・・・と考えた結果、
とりあえずJALのわくわくアロハ計画の
無料プログラムに参加することにしました。
一人2つのプログラムに参加できます。

一つはご紹介した「ハーブ・オータJr.」に学ぶウクレレレッスン。
もう一つは「フラソングで巡るバスツアー」です。

ハワイで観光バス!初めての経験です。
でも、以前OHANA’sのayukoりんも
参加されてて良さそうだったので
行ってみることにしました。


ビーチウォークに朝9:00に集合。

大型観光バスに乗り込みます。

JALの係りの方とガイドの女性がお世話して下さいます。

ワイキキ

↓♪モアナルア

モアナルアガーデン

↓♪パーリーシェルス

ドールプランテイション

↓♪パイナップルプリンセス

ハレイワ

↓♪ハレイワ・フラ
↓♪ククイツリー
↓♪メハメハ
↓♪ホワイトサンデイビーチ
↓♪アロハ・オアフ

ワイキキ

こんな形でそこの土地に因んだ
ハワイアンソングを説明を交えて流してくれます。
知らなかったお話がたくさん聞け、感心しきり!
の割には正確に覚えてなくて・・・
でも日本に帰ってきてからも
心に引っかかっていることがありました。

それはハレイワのハレイワホテルのお話・・・
目からウロコでした。

ご存知の方も多いのかもしれませんが、
私はそんなホテルがハレイワにあったなんて
ハレイワってそんな町だったなんて、
第二の故郷とか言いながら、まったく知りませんでした。

ガイドさんの説明はこんなものでした。

富豪ディリングハムは、ワイキキかワイアルアに

リゾートを作る計画を立て、ハレイワをその地に選んだ。

そして、ハレイワホテルを建設し

ホノルル港に着いた旅行者を

蒸気機関車でハレイワに運んだ。

そのホテルは贅を極めた造りであったが、

ホノルルからの時間がかかることなどから

ワイキキに人気が集まり、衰退してしまった。

しかし、豊かな町だったことを知っている住民は

とても町に誇りを持っており

ワイアルア地区の中にあるが

敢えて自分たちの町をハレイワと呼んでいる。

そしてこのホテルの名前が

今のハレイワの町の名前の元になっている。と・・・


そのお話を聞いた途端、私の頭に浮かんだのは
日本のクア・アイナで見たポートレート。
TOP画像です。
皆さんも見たことありませんか?
私は日本でクア・アイナに入るたびに、
これはアリイのところの地形だよなぁ。。。
と思っていました。
貴婦人のような人も写っています。
アリィという名前からリリウオカラニとか
貴族の別荘か何なかなぁと思っていました。

そういうことだったのかぁ!!!
何年も思っていたことの答えが出て、すごく嬉しくて

日本に帰ってきたら、またバタバタと忙しいとは思いましたし
私が調べたところで
大して成果は上がらないのはわかっていましたが・・・

ん~、私の知りたい病は抑えられず・・・
資料探しが始まりました。

ハレイワの町でも売っていた町の本をみつけ、
ネットで取り寄せましたがそれだけで2ヶ月以上かかり・・・

それからまた日にちは経ち、
その本を横目で見るたびに、心が痛い
そしてやっと何日か前から、
お得意の今一な翻訳ソフトと、辞書を使って
調べ始めました。

やりだすとこれが面白い!!!
だからといって英語力が上がる訳もなく、
疲労困憊しながらやっと取っ掛かりの部分だけ
文章にすることができました。
小学校2年生レベルの文章力ですが
文をいじると意味までちがくなりそうですので
すみませんみなさま我慢してお読みください。(なんてヤツだ!)

ハレイワホテルは

ベンジャミン・フランクリン・ディリングハムによって建てられました。

商船隊員としてハワイに滞在していた彼は

落馬によって足を骨折し

1875年にホノルルで取り残されることになりました。

不運に見えたその事故は「幸運」そのものでした。

後にディリングハムは大成功しました。

1888年に、彼はオアフに唯一の

蒸気機関車鉄道線路を築き上げました。

そしてホノルル町とノースショアを通り

カフク砂糖プランテーションまで運転されていました。


彼のO’ahu Railroad and Land Companyは、

いくつかの自身のものを含む9つのプランテーションから

町にサトウキビを運搬しました。

1890年代後半までには、彼は160マイルの線路を敷設しました。

彼はパイナップルをも

サンフォードドールのプランテーションから運ぶために

島の中央に線をワヒアワまで運行する予定でした。

それに加えてディリングハムはサトウキビに加えて

人々をハレイワの町に呼び寄せることを考えました。

当時ノースショアには「都会人」が滞在する場所がありませんでした。

ディリンガムは、1899年に、最新のビクトリア朝のスタイル、2階建て、

40室の保養の為の部屋を持つハレイワホテルを開業しました。

彼は、それにHale’iwa(anahulu流れに沿った神学校の女性の寄宿舎)

の名をとって名づけました。


ガイドさんが言ったハレイワの町の名前の元になったのがハレイワホテル。
え?神学校の寄宿舎の名前じゃないの?
軍艦鳥の集まる家って言う意味の・・・
でも自分で調べていくうちにどちらも正解だったんではと思いました。

ディリングハムはこの寄宿舎からハレイワという名前を貰い
住民はそのハレイワホテルの栄光あるハレイワという名前を受け継いでいる。

今日の収穫でした:emojiface_glad::emojigoo:

まだまだ続きますが、次回は・・・未定ということで