アーカイブ: 2005年10月

フラミンゴ



西田くん(下に写ってる男)と、朝飯を食べに行ったのであります。何でもいいというので、久しぶりにフラミンゴへ行きました。フラミンゴといえば、ナンバー4です。フライドライスに目玉焼きとポルチュギーズソーセージが乗っかってる朝食スペシャルであります。さてさて、ナンバー4はべしべしオアフ島にも載せてますが、ボクは、「食べ続けてやがて飽きる」というどうしようもない性格なので、西田くんを連れてきておきながら、これっておいしかったっけ?と、ちょっと不安になってきておりました。どう?
西田くん「うまいなあ、これ」
よかった。

西まさ



ハワイ島から、マサシさんと西田くんがいらっしゃってました。マウナケアの山頂で夕陽を星空を見るツアーの会社の社長がマサシさん(奥)、特攻隊長が西田くん(手前)。ちなみに、西田くんはボクと同じ年です。今日は、秘密の相談をしたあと、少しだけオアフ島の観光スポットへ行きました。二人とも、どこも行ったことないんすよ。で、ミセスの真似して、ヌアヌパリ展望台へ行ってきました。風、強っ

ロイヤル工事



ロイヤルハワイアンショッピングセンターの工事が進んでいます。今日、昼飯食べに久しぶりに行ったんですけど、びっくりしました。横に長いショッピングセンターがあちこちで分断されていて、廃墟みたいになってたからです。人の流れがとまってしまって、営業中のお店にとっては、かなりのダメージだと思います。いやしかし、どう生まれ変わるんでしょうね。

金閣寺



ハワイに平等院があることを知ってる人は多いと思うのです。では、金閣寺があることは どうでしょう? わしは今日まで知りませんでした。金閣寺があると聞いてびっくりしました。小さなニセモノを想像しながら金閣寺を見にいきました。そこには、ほんものと同じ大きさ(多分)の金閣寺がありました。色あせてましたが、ちゃんと金色に塗ってありました。三島由紀夫がこれを知ったら、小説にしたかなあ。

世界一周 



この前、モーハワイで求人コウコクを出してました。そしてついに、シンゴ21に後輩が出来るのであります。その名も「世界一周アヤ」(仮名) 11月からモーハワイの新しい戦力となるのであります(多分)
ちなみに、モーハワイの採用基準は、常に人生に前向きであるかどうか。自分を持っているかどうか。技術とか経験はどうでもいいのであります。おかげで、一から教えないとあかんのやけけど(涙)

きなこもち



日本からのお客様に、お土産をいただきました。チロルチョコひと箱。ユニークなお土産やね、と、ヒトクチ食べてびっくりしました。チョコレートの味ではないです。何じゃこら? 見ると「きなこもち」と書いてあります。なるほど、きなこの味か! かんで再びびっくり。中にモチが入っているのです。やわらかいもちです。で、チョコはきなこの味。ほんまにきなこもちを食べてるような気分です。すごいぜ、チロルチョコ!

責任は我に在り



題名■大東亜戦争の真実
版元■WAC
編■東条由布子
大東亜戦争A級戦犯の東条英機が、東京裁判に入る前にまとめた供述書を、現代語につづりなおした本です。当時、日本が置かれていた環境が、はっきりと見えてきます。戦後の「東条英機は悪者」と教え込まれてきた多くの人々は、「何をウソを並べとるのか!」と思うかもしれません。が、疑って読んだとしても、ここに書かれている内容に矛盾はありません。理路整然としています。そして、アメリカの本屋で普通に売ってる本にも、当時日本が追い込まれていたことは書いてあったりするのです。ろくに調べもせず、意味もわかってないくせにA級戦犯を批判するだけの日本人たちよ。まずはこれを読むべし。

へなちょこカー



2代目へなちょこカー、ホンダ・エレメントです。初代は、スズキ・トラッカー(日本名エスクード)の屋根がホロのタイプでした。このエレメント、妙なクルマです。エレメントになって、クルマのサイズは一回り大きくなったのですが、4人乗りです(涙) 意味ないし。ちなみに、シートが防水なのが気にいってこれにしました。海パンのまま座ってしまえます。あと2年ほどしたら、ハワイ諸島がフェリーで結ばれます。これを運転して、ハワイ島を走る日が来るのが待ち遠しいです。

おみやげ



べしべし編集担当前島さんからお土産をいただきました。キーボードマガジンの楽譜集です。ううむ、しぶすぎる。ちょうど、チャラの「あいのうた」の楽譜が見つからないので断念したところでした。いやいや、「あいのうた」のコード進行だけはインターネットで見つけて弾けるようにはなったんすよ。さてさて、この前島本。「青い影」が入っております。よっしゃ、まずはこの曲からチャレンジしよう。あ、どうしよう、編集記書いてない。まあ、ええか。

逃げる



38歳の頭で、19歳の自分を見れば、
青臭くて中途半端で情けないわけです。
何をどう考えたらそうなったのか、今ではわかりません。
ただ、死ぬほど悩んだことだけは覚えてます。
「ボクはもう無理。帰ります」
バンドのみんなに謝って、
ボクは荷物をたたんで大阪へ逃げ帰りました。
どうして生まれ故郷の若狭ではなくて大阪なのか、
これも今ではわかりません。
初めて田舎を離れて住んだ大阪の街が、
とても懐かしく思えたことだけは覚えています。
そこからが大変でした。
まだ、フリーターという言葉もない時代です。
大学を中退し、バンドも1年で挫折した
中途半端で根性なしの男の居場所なんか、
どこにもありませんでした。