アーカイブ: 2005年6月

日米開戦



題名■陸軍省軍務局と日米開戦
版元■中央公論
著者■保阪正康
この話は、東条英機が首相に指名されたところから始まり、真珠湾攻撃の一報が入ったところで終わります。開戦へと追い込まれていく日本の様子がよくわかります。日本が立ち上がったことで、民主党アメリカは国内世論をまとめることができ、念願の世界大戦参戦を果たします。イギリスはアメリカの参戦を望んでいたので大喜び。背中を気にしていたソ連も大喜び。孤軍奮闘していたドイツも大喜び。列強はどこも日本の参戦を望んでいました。もちろん、日本と対峙していた中国も喜びました。日本は、その思惑にはまってしまいました。勘違いされるとややこしいので書いておきますが、だから日本は悪くないと言ってるのではありません。裏とオモテがある各国の思惑を考慮できないほど、日本の首脳陣はいろんなことが見えていませんでした。でもって、軍部に振り回されていました。ある意味、現代も同じ状況だと思います。各国の思惑をどこまで理解できているのか。いろいろ考えてしまう本です。

京都



モーハワイ改造の打ち合わせをするために、京都へ行っておりました。役員すがっちドットコムの会社は京都三条にあるのです。ちなみに、モーハワイのサーバーも京都にあります。ハワイのサイトなのに、表示が速いのはこのためです。さて、京都についたら、雨が降っておりました。やっと梅雨らしくなってきましたな。

哀愁の曽根崎



太陽が傾くと同時に梅田へ向かう毎日が続きました。
お店をあけて、掃除して、お客さんが来たら酒を飲む日々。
みんなはとても優しく、
「しゅんちゃんはノンけやから」
と、そっち方面の危険もまったくありません。
大人の世界は楽しいなあ、と青二才のボクは思ってしまいました。
ある夜、マネージャーのシンちゃん(仮名)が
お客さん(おっさん)の股間に顔をうずめているのを目撃してしまいます。
いつも優しいシンちゃんがゲイだということは最初からわかっていたことです。
が、実際に現場を見るのはショックでした。
そして別の夜。
先輩のタケちゃん(仮名)が、カウンター越しに女性客と話しをしていました。
ボクはいつもの調子で
「いっただっきまーす」と、グラスを持って近づいて足を止めました。
二人は泣いていたのです。傷をなめあう男と女。
毎晩、いろんなドラマを見ているうちに
いつまでもここにいてはいけないような気になってきました。
そして、ボクはある決心をしました。

エアコン



ボクはエアコンが大嫌いなのであります。ハワイでも、クルマは窓をあけて走ります。家では窓をあけて寝ます。偏固なので、エアコンなんか使うから、都市は逆に暑くなるねん!ネクタイと背広を廃止し、みんな浴衣で出社したらええねん!と非現実的なことを考えてしまいがちです。
さて、昨夜、暑さに耐え切れず、エアコンのスイッチを押してしまいました。25度に設定したのですが、まず表示されるのは、現在の室温。で、びっくらしました。30度(涙) 夜やのに(嗚咽) 大阪ってこんなに暑かったんや。。。。。

へなちょこ島



モーハワイを作る前は、ボクはFLASHサイトで食っていこうとしていたのであります。あまりにもへなちょこなので諦めましたが。そのサイト「へなちょこ島」は今でもあります。でもって、時々更新しております。最後に更新したのが今年の2月。忙しいのにこんなもん作ってヒマなんか!と叱られそうですが、時々いじらないと、いろんなことを忘れてしまうのですよ。で、昨夜、日本にいるあいだに更新してみようかな、と、いじり始めたのですが、見事にいろんなことを忘れておりました(涙) 参考書はハワイにあるので、もう何もわかりません。ううむ、もう歳です。脳みそが固まり始めてるんでしょうなあ(嗚咽)

取材メモ



手帳がいっぱいになったので、新しい手帳を買いました。で、必要なものだけ書き写していたら、442部隊を取材したときのメモが出てきました。
そのときの記事です▼
ボクは基本的にメモをとりません。いいか悪いか別にして、いい話って、メモとらなくても、頭に残ります。逆に、つまんない話はメモとっても頭に残りません(ほんまにわし、偏固な人間よなあ・涙)
なのにこの取材では、メモをいっぱいとっております。頭に残る言葉が多すぎて、でもって、残しておくべきことが多すぎたからです。ちなみに、モーハワイのページにはほとんど反映されていません。

横浜



ハワイで結婚する話2の取材をしに、横浜は桜木町まで行ってきました。いや、桜木町はJRの駅名で、このあたりは「みなとみらい」と書いたほうがええんかな? ようわかっておりません。で、デジカメで写真撮ってる編集長を、いつの間にかラジパパが撮影してくれてました。というわけで、仕事中です。仕事中に見えないけど。

のんケ



曽根崎のお店もスタッフは男ばかりということでした。
前の店も男ばかりだったので、ボクは何の違和感も持ちませんでした。
未成年のアルバイトはボクだけで、まず任されたされたのは
開店前の厨房の準備、店内の掃除でした。
黒いスラックスに白いシャツを着て掃除をしていると
次々にスタッフが出社してきます。
店長が、誰かが出社するたびに紹介してくれました。
「しゅんちゃん。18歳やで」
「えー、18歳でこの世界に来ちゃったの?」
「あかんよ、この子はのんケやから」
は? のんケって何?
後で先輩が教えてくれました。
「ホモかどうかってことよ」
まじで!!!(嗚咽×号泣×30)
そのお店は、オーナー、店長、マネージャー、が同性愛者でした。
従業員も半分は同性愛者、もしくは男も女もどっちもOKさん。
じゃあお客さんも? と思いますが、不思議なことにホモは少なくて、
曽根崎署の怖い刑事さんとか、阪神百貨店で働く売り子さんとか、
梅田界隈で仕事してる普通の人ばかりなのでありました。

うなぎ



おやじは栃木県小山市出身なのであります。が、おいらが育ったのは若狭。で、小さい頃は年に2回、新幹線に乗っておばあちゃんの顔を見にいってました。車内販売で食べるうなぎが美味くて、いつしかうなぎ好きになってしまいました。いやしかし、最近のうなぎはうなぎの味がしませんな。うなぎの味を求めると、どうしても高くなってしまいます。おかげで滅多に食べれません。さて、今は北浦和に住んでるおやじを尋ねたら、うなぎを食わせてくれました。南浦和の「すなが」というお店です。今まで食べた中で一番好きかも。

シベリア抑留



新宿は住友ビル(三角のカタチ)の31階に、平和記念展示資料館というのがあるのを聞いて見に行ったのであります。入場無料。昭和に入り、日本が戦争に追い込まれていくところから、戦後、大陸で戦った兵士たちが、ソ連軍に連行され、強制労働させられたことまでが、しっかりと展示されていて、久しぶりに感動(施設に対して)しました。ホームページ▼

マイナス30度という極限の世界で強制労働させられた日本人は約60万人。6万人が亡くなっているので、10人に1人の計算になります。命は助かっても、凍傷で手足をなくした人もいらっしゃいます。普通に暮らしていそうなおじいちゃんが、当時のことを語る映像を見て、ちょっち涙出そうになりました。先輩たちの努力の上に、今の日本はあるんですよね。

さて、この日は高校生たちが見学に来ていました。で、奥のビデオ室では、高校生が作ったビデオが流されていました。気になったのが、高校生の発言が「反戦」で止まっているところ。

「戦争」は「外交」の究極の状態です。地理と国境線と歴史が切っても切れない関係なのと同じで、政治と外交と戦争は切っても切れない関係です。反戦だけ唱えてるような無責任な大人にならないよう、日本が戦争に走ってしまった背景や他国の思惑についても言及してほしかったなあ。とは、おっさんになった今だから言えることでもあって、ううむ、難しい。