カテゴリー:昔話

御岳山噴火


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社会人になってしばらくした頃、
ぶらっと木曽へ行き、御岳山へ登りました。
サンダルで山頂まで行きました。
とっても晴れていた日やったので、山頂では涼しくていい気持ちでした。
後からそれはとてもラッキーだったことを知ります。
天気が悪くならなくてよかった…

それから登山にはまり、
南アルプス、中央アルプス、八ヶ岳、と登りました。
御岳山は、信仰の対象でもあるので、
なんか、他の山とは違います。
下駄を履いて登ってくる人なんかもいます。
一番好きな山でした。

噴火したニュースを聞いて、
最初は自分の耳を疑いました。
死火山じゃなかったのか?
確かに、山の麓には温泉がありました。
でも、え? まさか。
たくさんの方が亡くなられているのを知り、
ほんまにびっくりしています。

ご冥福をお祈りいたします。

ジュニアの生演奏


ota

2013年8月10日&11日
ハーブ・オータ・ジュニアは、ユニットを組み、
東京駅前のCOTTON CLUBでライブを行います。
そのPRでモーハワイ☆オフィスへ遊びにきてくれました。
せっかくなので一曲お願いしたら、弾いてくれました。
これは、動画に収めるめし!
というわけで、簡単動画にしてみました。いやしかし、ジュニアの演奏ええですなあ。

簡単動画はこちら▼

ライブの詳細はこちら▼

ひとまず終了



すがっちドットコムと知り合って、
ボクはモーハワイを作り始めることになります。
この話は、昔どこかで書いたことがありますし、
まだ現在進行中のことでもあるので、
ひとまず「昔話」は終了とさせていただきます。
ハワイへ上陸してから、とんでもない目にいっぱいあってますが、
それはモーハワイが成功するなり失敗するなり、
とにかく結果が出たときにでも書かせていただきます。
人でなしたちのしょうもない営業妨害の数々は死んでも忘れませんでー。
(別に誰も読みたくないか。はは)
これからも、モーハワイをよろしくお願いいたします。

すがっち



関西支社にインターネットチームができました。
スタッフは3人だけという小さなチームです。
世の中はまだ「インターネットって何?」という時代でした。
1年働いて、ボクが受注したWEBサイトは3社だけ。
「あのチームは遊んでいる」と、陰口をたたかれてるのも知ってました。
が、ボクがチームを任されることになった翌年には、
会社がインターネットにシフトし始めます。
インターネットチームは、WEBサイト制作ではなく、
顧客へのインターネット啓蒙を行う仕事を担うことになります。
営業同行が増え、企業の社長・採用担当者を集めての
インターネット勉強会も行われるようになりました。
勉強会でボクは、毎日、スーツを着て講師をしていました。
(今からは想像できんけど)
メインでなくなったとはいえ、WEBサイト制作の仕事は時々入ってきます。
そういう場合、インターネットチームは、外部の協力会社へ仕事をふります。
その仕事を請けようと、いろんな会社が売り込みにやってきました。
まだ、WEBサイト制作を本格的にやってる会社が少ない時代です。
妙な会社が多かったです。中に、ポルシェのネクタイをした男がいました。
初対面から男は飛ばしていました。
「まいどっ、すがっちでーす」

勝負



震災後、神戸の営業所でリーダー職に復帰しました。
復興がすすむ神戸で、がむしゃらに働きました。
あるとき、ホームページを作りたいといってる会社に出会いました。
作ったことがないのに、受注しました。
今から考えたら(今から考えなくても)ひどい話です。
独学で勉強していたホームページ制作の腕試しじゃ!
と作り始めました。
まだホームページが一般的でない時代の話です。
当時としては、そこそこのものやったと思います。
よっしゃ、もっと作ったるぞ!と思いましたが、
そんな話はしょっちゅうあるものではありません。
と、今度は、社内で、インターネット技術者を養成するための勉強会が
頻繁に行われるようになりました。もちろん、すべて参加しました。
そして、関西にインターネットチームができると決まった時、
真っ先に異動願いを出しました。
何人かの後輩から「コウコクを捨てるのか!」と言われました。
そんな風に言われたら、さすがに心に響きましたが、
ボクはもう「クリエイター」ではないのです。

29歳



避難所を訪問していろんなことを学びました。
一人では何もできないということ。
何をするにも「仕組み」を理解してないといけないということ。
目が覚めたような気がしました。
1年後、ボクは社内で表彰されます。
かつてボクは「コウコクの表現がおもしろい」ことを評価されていました。
そういう人間を社内では「クオリティが高い」とか、
「クリエイター」みたいな呼び方をするわけですが、
今回評価された内容は違います。
求人雑誌の神戸ページで、神戸の企業のコウコクを山ほど作ったこと。
復興に取り組む企業の記事をたくさん書いたりしたこと。
神戸の復興に貢献しようと努力した点が評価されたのです。
「おもしろいコウコク」はほとんど作っていませんでした。
もう、おちゃらけた求人コウコクは作れない…..
自分の価値観もすっかり変わってしまってることを知りました。
この受賞のちょっと前から、
ボクは独学でインターネットの勉強を始めていました。
初めて買ったのはマッキントッシュのパフォーマーでした。

インターネット



ボランティア活動をするために被災地の避難所を訪れました。
ボクたちが訪れた避難所は小学校でした。
避難所の人たちは、一丸となっていろんな活動を行っていました。
食品、医療品、衣類の各メーカーから物資がどんどん届きます。
自衛隊がテキパキと動いています。
そしてそこには、泊り込みでボランティア活動をする学生たちがいました。
物資を運ぶ手伝いなどをしましたが、学生たちの動きを見ていて、
日帰りでやってきた自分たちを恥ずかしく思いました。
これでは遠足気分で遊びにきたみたいです。
勝手がわからないので活動にも上手く溶け込めず、
最後は避難所の子どもたちの遊び相手になるしかありませんでした。
ほんまに何をしに来たのかわかりません。
途中で掲示板を見にいきました。
尋ね人、物資到着、物資交換希望などの情報が書かれた紙が、
学校の廊下の壁いっぱいにはっつけてあります。
と、学生がその中のいくつかをメモして部屋に入っていきます。
何してるんや? 部屋を覗いたら、学生がパソコンを開いていました。
ボクが初めてインターネットと出会った瞬間です。
1995年の1月のことでした。

使命感



地震があと2時間ほど後に起こっていたら、
運良く助かったみんなの中で、ボクだけが運悪く死んでいたわけです。
急にいろんな思いがこみ上げてきました。
被災地を自分の眼で見てしまったことも関係あるかもしれません。
ボクは昔からアホで、単純でした。
ちょっと前まで神戸へ行くことを反対していたくせに、
神戸のために何かせねば、と思うようになりました。
それから毎日、数時間かけて神戸へ出社し、
オフィスの整理からはじめました。そして、
会社としても被災地に何かせねば!と強く思うようになりました。
「被災地神戸に支社を持つ会社として何かしませんか!」
会社にかけあいますがいい返事は返ってきません。
今思えば、情報誌出版なんて仕事は「衣食住」のどこにも関係しません。
すべてを失っている被災地に、会社としてできることなんかないのに、
ボクは駄々っ子のように騒ぎました。
で、有志とともに、被災地へボランティアに出かけることにしました。
情報誌出版という仕事をしているのです。
せめて、「情報」という面で何かできることはないのか?
それを見つけたい、という気持ちもありました。

神戸へ



神戸支社長が「神戸支社へ行こう」と言い出しました。
神戸支社の人間として、神戸がどうなっているか見なければ、というのです。
ボクは反対しました。もう一度大きな地震が来るかもしれなかったからです。
が、そんなことりも、せっかく拾った命を失いたくない、
という気持ちがありました。長男はまだ2歳にもなっていません。
が、それはちっとも正論ではないわけで、結局、神戸へ行くことになりました。
大阪から行けるところまで電車に乗り、そこからバスで港へ。
港から船で元町へ向います。
被災地の奥へ進めば進むほど、体から力が抜けていきました。
元町について、泣きそうになりました。なんで泣きそうになったのか。
怖かったのかもしれません。街がおもちゃのようにつぶされています。
クルマが、ミニカーのように海に落ちていました。
百貨店の2階がなくなっていました。道路に散乱するガラスの破片。
廃墟の中を三宮まで歩き、支社ビルまでやってきました。
ビルは無事でした。なんと、三宮で無傷だった数少ないビルのひとつでした。
「これなら出社してても助かったかもしれんなあ」
そう話しながらオフィスがある階へ。
オフィスはぐっちゃぐちゃになっているものの無事でした。
ただ、ボクの席だけ、天井が落ちてきていました。

阪神大震災



その「揺れ」は今も体で覚えていますが、直後の記憶がありません。
次の記憶は、その日の朝にとびます。
食器棚の中身がリビングの床に全部飛び出していました。
食器たちは粉々になって、ただのガラス片となって散乱しています。
停電が回復してやっとついたテレビに、神戸の街が映し出されています。
高速道路の高架が横倒しになり、
見覚えのあるビルが2階,3階を失ってちょっと低くなり、煙を出しています。
どうしていいかわかりませんでした。
嫁と息子は、ここよりも神戸に近い実家に泊まりに行っています。
心配です。なのに、頭の中が真っ白になって、
何もできず、ただテレビを眺めていたことを覚えています。
ボクは基本的に、思い立ったらすぐ行動、というそそっかしい人間です。
が、その日はまったく何も思いつきませんでした。
昼ごろ、嫁とは連絡がつき、無事であることが確認できました。
でも、実家のまわりでは家がいくつも倒壊したそうです。無事でよかった。
次の日、神戸支社の人間は、大阪支社に集合しました。
もちろん、集まることができる人間だけです。