ハワイ史14 1880年代

ハワイ史14 1880年代

前回、イオラニパレス改装工事着工!だけ書いて、完成したことを記するのを忘れてました。完成は1882年です。日本から官約移民たちがやってきたころは、すでにイオラニパレスはあったわけですね。 さてさて、カラカウアが日本に持ちかけた移民条約はこんな感じでした。 ■渡航費用はハワイが負担する。 ■契約は3年間。さとうきび畑での労働を行なうのが条件。労働選択の自由なし。 ■日給制/男一カ月$9+食費$6(妻は一カ月$6+食費$4) ■一カ月26日労働/耕地勤務の場合一日10時間労働/工場勤務の場合一日12時間労働 ■移民とその家族は治療費無料。 ■給料の25%は天引き貯金する。

当時の円相場を調べただけでは、この条件がいいのか悪いのかわかりません。当時の日本は、明治を歩き始めたばかりでした。いろんな面でかなり無理をしていたんですよね。移民たちは、ハワイに夢を求めて来ていたようです。

1886年、カラカウアの50歳を祝う式典で、メロディのついた『ハワイ・ポノイ』が唄われ、『フラ』が披露された、とあります。キリスト教宣教師たちによって禁止されていた『フラ』が復活したのはこの時らしいです。なんか、あっさり復活してるのが気になります。宣教師たちとの間に、なんか交渉とかはなかったんですかね?

1887年、白人たちが、ハワイ王国を共和国にすべきだ!と立ち上がりました。クーデターです。カラカウアが『ハワイの復活』に力を入れてるのが気に入らなかったみたいです。これが『フラ復活』の翌年であることを考えると、やっぱりカラカウアは宣教師たちを無視して『フラ』を復活させたっぽいですね。

王国をなんとしてでも守りたかったカラカウアは、白人たちのいろんな要求をのんでしまいます。興味のある方はハワイタイムマシーンをお読みくださいまし。とにかく、そんなこんなで『アメリカとハワイの貿易自由化協定』が更新されます。 アメリカに砂糖を輸出したいハワイ白人勢力と、自国の農業を守りたいアメリカがお互いのメリットを考えて決めたのがこれです。 ■ハワイはアメリカへ関税なしで輸出できる。 ■アメリカは、パールハーバーを自由に使える。 協定が結ばれると、アメリカ海軍はすぐにパールハーバーを開拓しはじめます。

1889年、イタリア留学から帰ってきた若者が立ち上がります。白人勢力に怒りをぶつけたのです。ハワイをどうするつもりやねん!が、彼は逮捕されて、反乱はあっけなく終わってしまいます。この反乱鎮圧に協力したのが、パールハーバーに駐留していたアメリカ軍でした。すでに、パールハーバーはアメリカ化していました。ううむ、悲しい。 ★反乱を起こした若者、ウィルコックスの銅像がダウンタウンにあります

1891年、カラカウアが亡くなりました。療養先のサンフランシスコで亡くなったそうです。ハワイ王朝復活をかけて動き回っていましたが、後半、逆に白人たちを怒らせるというか、団結させてしまうようなことばかりしてしまうことになっているのがなんとも悲しい感じです。
ほんまにこのあたりのハワイ史は悲しすぎます。

更新日:2010年03月07日(Sun)

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