ハワイ史13 カラカウア王登場

ハワイ史13 カラカウア王登場

ルナリロ王がなくなり、ハワイ王国は、再び王様を選挙で決めることになりました。ここで、カラカウア王が立候補します。カラカウア王が立候補するのは2回目でした。カラカウアは、ルナリロが王様になった初めての選挙でも立候補しているんですよね。
カラカウアは、カメハメハに滅ぼされたオアフの王さまの血を引いてるみたいです。まあ、そんなこんなで王位につく資格というか地位はあったみたいですね。
さてさて、カラカウア王が立候補すると、対抗馬が現れました。なんと....

カメハメハ四世の奥さま、エマさんが立候補したのです。ハワイタイムマシーンにも書かせていただいてますが、選挙の結果、カラカウアが七代目のハワイ王に就任し、その結果に対してハワイアンが暴動を起こしています。
これ、時間ができたら調べてみたいと思いつつ未だに調べられていません。カメハメハスクールズが出してるカラカウアの本には、この暴動のことが書かれていません。
カラカウアはオアフ島の王様の系列なわけで、オアフ島の人々からすれば王になっても文句はなかったように思うのです。なのに、どうして暴動が起きたのか。

この暴動は、アメリカとイギリスの海軍の力を借りて鎮圧されています。カラカウアは白人勢力を味方につけていたってことなんでしょうかね?
クイーンエマ夏の宮殿で、これに関する情報がないか調べてみようと思ったことがありました。が、ここは、王家の遺品が展示してあるだけで、歴史を知るヒントはありませんでした。あ、いや、あるのかもしれませんけど、わたくしは見つけることができませんでした。
ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてくださいまし。

じゃあ、カラカウア王は、白人贔屓やったのか?というと、違いました。王様に就任するなり王国のために精力的に動き始めます。 ■1876年、アメリカとの貿易を自由化する協定を締結! これにより、さとうきびプランテーション事業が勢いづきますが、結果として儲かったのはプランテーション事業主だけでした。 ■1877年、自分の土地を開放し、カピオラニ公園とする! カピオラニ公園って、もともとはカラカウアの土地やったんですね。カラカウア、なかなか偉いですね。

■1879年、イオラニパレス改装工事着工!
左の写真は、もともとあったイオラニパレスです。この一代目のイオラニパレスは、ハワイ王朝の首都がマウイ島ラハイナにあったころに建てられています。カラカウアは、これを立派な宮殿に造りなおして、ハワイ王朝のシンボルにしようと考えました。

■1881年、カラカウアは世界一周の旅に出ました。当時の太平洋の状況は左の図をご覧ください。ほとんどが列強の植民地になっています。

カラカウアは日本で、側近たちの目を盗んで皇室に縁談を持ち掛けました。姪のカイウラニを皇室の山階宮定麿親王に嫁がせようとしたのです。が、日本はこの縁談を断りました。列強からの侵略を免れ、なんとか自立したばかりの日本です。ハワイ王国との縁組は、危険だと判断したってことでしょうか。 皇室との縁組は上手くいきませんでしたが、日本政府との間に移民契約が結ばれました。
■1885年、日本から官約移民が到着。

更新日:2010年01月04日(Mon)

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この記事へのコメント

圧倒的な大差でカラカウアが勝ったことに、
エマ支持者の人々が納得できなくて、
暴動になったとありますね。



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