ハワイ史11 さとうきびプランテーション

ハワイタイムマシーンを読んで、ハワイ史に興味を持ってくださった方が増えてるみたいで嬉しいです。ありがとうございます。と、同時に、 「このコーナーを楽しみにしていますが、ハワイタイムマシーン2とあんまり内容がかわらないのが残念です」 という胸が痛くなるご意見もいただくようになりました。ううう、すいません。
というわけで、今回もカメハメハ五世の時代の話の続きですが、ちょっと記事の見せ方を変えてみます。カメハメハ五世の時代、1868年に日本から初の移民がやってきたことは、前回紹介させていただきました。彼らは、労働者として移民契約をした人々でした。さとうきびプランテーション、さとうきび畑で農作業に従事する労働者です。
ハワイアンが、些細な病気で命を落としていくので、労働力が足りなくなっていました。
ハワイ王朝は、最初、中国人を連れてきています。1851年のことです。が、中国人は根っからの商売人のようです。5年の労働契約がきれると、次々に商売を始めました。1860年ごろには、すでにチャイナタウンらしきものが形成されつつあったそうです。現在見ることができるチャイナタウンは、150年近い歴史を持っているわけです。
さとうきびプランテーションは、ハワイ王国の経済を左右する事業になっていました。カメハメハ五世が行なった政策のいくつかは、さとうきびプランテーション事業を助けるためのようなものでした。なので、五世のことを白人の味方だという人もいたりします。が、五世はアメリカ人嫌いだったのです。アメリカ人たちを利用していただけなんじゃないでしょうかね。わかりませんけど。
さとうきびは、大きく硬い植物です。さとうきびの収穫は危険な作業でした。指を落としたり、眼をつぶしたりということがしょっちゅうあったそうです。
日本から元年移民がやってきた1868年は、さとうきびプランテーションが大きく前進し始めたころでした。ハワイ王国は、さとうの輸出先であるアメリカに、さとうの関税をなくしてもらうための交渉を始めていました。
左はハワイ諸島で一番大きな島、ハワイ島です。B地点が、ポリネシア人たちが上陸したといわれている『サウスポイント』です。
左の写真は上のハワイ島地図C地点、『ウィッティントン・ビーチパーク』です。今は何もない公園ですが、かつては移民たちを乗せた船がつく港でした。さとうきびプランテーションの工場もありました。さとうきびを運ぶ列車も通っていました。
先走りました。すいません。五世の頃はまだ、さとうきび列車は登場していません。移民たちはここからハワイ島に上陸し、歩いてパハラ( Pahala )という町まで向かったようです。
五世の頃に起こったことといえば、ハワイ島のカウ( Kau )地方で起こったハワイ史上最悪の地震があります。これも1868年だったようです。大地が割れ、流れ出した溶岩はすごい勢いで集落を人間ごと飲み込みました。そしてそのあと、ツナミがやってきました。地震、溶岩、ツナミ。まさに地獄のような光景だったそうです。このあたりは、よく壊れているようです。左の写真は、A地点で撮ったものです。舗装された道路がなくなっています。この地崩れは最近のものなのです。
1870年、アメリカから「さとうの関税を無くすことはできない」という返事がきます。南北戦争が終わったばかりのアメリカは、自分の国のことで精一杯でした。が、勢いがついているものは、それくらいではへこんだりしません。ハワイのさとうきびプランテーション事業はどんどん拡大していきました。
1872年、五世は重い病気にかかり、この世を去ります。死ぬ前に、五世はかつての許婚、パウアヒ王女に王位を譲ろうとしますが断られてしまいます。これにより、カメハメハ王朝は終わることになります。ちなみに、パウアヒ王女というのは、現在のビショップ財団のルーツとなる方です。
詳しくはこちらを▼
ロイヤル・ハワイアン・センターの歴史について2
更新日:2009年12月13日(Sun)
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