モーハワイ☆コム

アーカイブ: 2007年10月

暑いお国のカボチャさま



ハワイなので、日持ちしません。

明日を待たずして、シワくちゃのカビカビになっております。ぬぁははっ!

Jack-o'-Lantern作った 2007



Ms.Gが子供達とJack-o'-Lanternを一緒に作りたいと言ってくれ、週末、焼きたてのチョコレート・チップ・クッキーを持って、遊びに来てくれた。
今年は全てを次男とMs.Gに任せる事にした私はデジカメとビデオを構え、2人を見守った。

Ms.Gは、目と鼻が三角でギザギザお口のよくある定番のかぼちゃの絵を描いてました。それを横で見ていた次男坊が、ずぅ〜と、ずぅ〜〜っと、ずぅ〜〜〜っと(画像のような)ヒドイ顔をしていたので、「どうした?」と声を掛けたら…
Ms.Gに申し訳なさそうに小声で
「こういうのを描くのは、僕のマミーが上手だから、マミーに描いてもらった方がいいと思う…」と言った。
息子の口からそんな発言が飛び出すとは思いもしなかったので、大笑いしてしまった。嬉しくもあったけどね。

ちなみに去年、私が作ったJack-o'-Lanternは→こちら

私と長男はカボチャの中にどれだけの種が入っているか数えて、当てっこしたり、Ms.Gは次男坊から日本語を学んだりして、楽しい時間を過ごした。
ちなみにこのカボチャには430コの種が入ってましたよ。

Ms.Gは私達と知り合った事で、日本の文化にものすごく興味を持ち、図書館から日本が学べる本を借りたりしています。
私も一度、見せてもらった事があるんだけど、昭和50年代の日本って感じで、写っていた女性は見事な聖子ちゃんカットでした。
時代はどんどん流れているのに、図書館の本とKIKU−TVで放送している【そこが知りたい!】とかはあの時代のままです。
今の日本じゃないんだよ…っとイチイチ教えたくなります。以上。

ハワイを感じて



ファブリックマートから生地を買ってきました。
息子のピローケースを作ります。
本土の病院の中でも、ハワイを感じて…と思う母ちゃんの気持ちです。
本当は肌の色がちょっとでも明るく見える、ピンク色がよかったんだけど、息子にピンクは怪しげなのでこの2つに決めた。

水曜日はアロハスタジアムのスワップミートに、イルカが泳いでいる絵の大判のタオルを求めて行ったんだけど、あまりいいのがなくて、お店の中でタオルを眺め、悩んでいたら…
「11ドルだけど、10ドルでイイよ!」とお店の人が言ってきた。
それでも好みのイルカの絵じゃなかったから、悩んでいたら…
「9ドルでイイよ!」と言われた。

9ドルか、ん〜でもヨソのお店にはもうちょっといい絵のイルカがいるかも…っと考えていたら
「8ドルでイイよ!」と言われた。

勝手に値切っていくお店のオバちゃん。
他のお店にお客が流れていかないようにしている。
薄利多売の精神でございますね。

私は結局、8ドルで買いました。
オバちゃんの必死さを買ったのかもしれない。

いやしかし、タオルの原価はいくらなんだろ?

ずっと悩んできた



本土にいる時、東京マラソン事務局からメールが届いた。
【東京マラソン当選】メールだった。
13万人の中から選ばれたのは正直、嬉しかった。
けど、「やったぁ〜、東京で走ってやるぅ〜!」という気持ちにはなれなかった。

せっかく当たったのだから、走りたい。
ホノルルマラソンは、残念ながら本土にいるので100%出場できない。
2月はどうにかなるかなぁ・・・
入金だけしておこうかなぁ・・・

当たったのにも関わらず、すごく複雑な思いで、
旦那にも話せず、ずっと悩んできた。

マラソンは毎年行われる。
でも、息子の病気は待ってはくれない。
走る事にではなく、私は息子に力を注ぐ必要がある。

日本時間の明日(10月26日)が東京マラソンの振込みの期日になっている。
私はやはり諦めることにした。

いつでも走れるさ。


友達が、「今年のホノマラは私と息子の事を思いながら走る!」とメールをくれた。
ありがとう、嬉しかったよ。

マラソンに参加される方々には、
たくさん練習を積んで頑張ってもらいたいです。
私と息子の分も・・・

学校へ行きたい



ハワイに戻ってきてすぐに次男坊は学校へ戻ったけれど、長男が通うには学校関係者との話し合いをしなければならなかった。
っというのも、彼は本土滞在中、大きな発作を起こした。
息子が病院の待合室で眠っていたら、突然、顔を左右に大きく振り、手足は痙攣し、眼球がものすごいスピードで動きはじめた。

尋常じゃない。

大声で「ヘルプ!ヘルプ!!」と叫んだ。何十回言ったか分からないほど叫んだ。

すぐにドクターが駆けつけて、
「ボク達が診ますから、ここにあるイスを全部どかして向こうに座っててください」と言われた。
はじめての発作で私は気が狂いそうになった。

発作から3分くらいで、ドクターやナースが30人以上長男の周りを取り囲み、
待合室は、たちまちERと化した。

病院のファミリー・サポートの人が動揺している私のところに来て、
私の手を握りながら、
「あの緑色のシャツを着た人は○○科のドクターです。
黄色いシャツを着た人は○○科のドクターです、
今呼吸器を取り付けているのは…」っと
子供の手当てをしてくれているドクターを教えてくれた後、
「今、全てのドクターが揃いましたから、もう大丈夫です!」と力強く言ってくれた。

「お母さん、深呼吸をしなさい。あなたに必要なのは今、深呼吸をする事です」
彼女は私と一緒に何度も何度も深呼吸をしてくれた。

長男が泣き始めた。
よかった、意識が戻った。

その後、集中治療室に運ばれ、手厚い看護を受けた。

この大きな発作が自宅や学校、機内、
宿泊先じゃなかったのが一番の救いだと思った。

それから長男は発作止めの薬を服用し始めたので、発作は起きていない。
もし発作が起きてしまった場合というので、
鼻の穴にさすスプレーをこれから常に持ち歩く事になった。

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先週、放課後の学校で、私達夫婦、スクール・カウンセラー、
長男が関係している先生、そしてヘルス・ルーム(保健室)の人、
計10人で話し合いをした。
私達は本土でどういう検査をしてきたか、今、どんな薬を服用しているのか、
長男の病状などを報告した。

「発作止めの薬を飲んでいるので、大丈夫だと思いますが、
これからは万が一の為に発作止めの薬を常に携帯しなければなりません。
鼻にシュッシュってするだけです」と話したら、

ヘルス・ルームの人が
「私はナースじゃないので、出来ません!ルールなのよ…」と言って来た。
正直、何のためのヘルス・ルームなのかと思った。

先生が涙を流しながら、
「じゃあ、ナースのいる学校に通うしかないってこと?
彼はこの学校、友達を愛しているのよ。私達だって、彼を愛してるわ…」

感動した。
息子は幸せもんだと思った。

話し合いを進めていく中で、発作が起きたら、どんな軽いものでも、
911、私、主治医に連絡する…という事になった。

私は今まで以上に行動範囲が狭まった。
発作止めの薬を持っているのは私なのだから…。

息子は今、食事規制もあるので、
毎日、半日で下校させようかな…っと言ったら、
「お母さん、体を休めなさい」とスクール・カウンセラーが肩をなでてくれた。

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結局、息子は私の作ったお弁当を持参し、今日から学校に戻った。
長男を一日中見てくれているスペシャル・エジュケーションのMs.Gが
出迎えてくれた。
長男の笑顔がまぶしかった。
目尻が地面にくっ付いちゃうんじゃないかと思うほどニッコリしてた。

私はお弁当の説明をする為にクラス・ルームに行った。
クラスメイトは息子の姿を見て、すっ飛んで来てくれた。
喜んでくれ、いっぱいハグしてくれ、声を掛けてくれ、
子供達を見守る私達大人は朝から感動の涙でした。


Ms.Gについては今度、書きたいと思っているけど、
息子の手が私の手から離れた瞬間、彼女は息子と手を繋いでくれる。
そして彼女は私に「Have a nice day!」と必ず言う。

私が彼をちゃんと見るから、
あなたは買い物をしたり、TVを観たり、ジムに行ったり、
一人の時間を楽しむといいわ…と以前彼女に言われた事がある。

今までドクターに奈落の底に突き落とされる言葉を数々言われてきた。
こんな地獄があるのかと思うほど。

でも私達にはこうしてサポートしてくれる人達がいる。
だから前を向いて歩いていける。
リフレッシュして、また新しい気持ちで子供達と向き合うことが出来ている。

本土に行くまでほんの少しの間だけど、
今までと同じように学校生活を楽しんでもらいたい。

大切なもの



ハワイに戻ってきました。

私達家族が滞在していたところはもう紅葉の見ごろが終わっていて、すごく寒かった。
吐く息の白さを楽しんだり、野良猫よりも多く見かけるリスを追いかけたりして、ハワイでは出来ない遊びを子供はしていたけど、ちょっとそこらで外食を…と思っても、ご飯ものがなくて、B級でもハワイのプレートランチの有難さを思い知った。

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長男は本土滞在中、何度も何度も検査が行われた。
彼の腕に針が刺さっていく度に、
申し訳ない…という気持ちになった。

私の子供に産まれなければ、彼は病気にならずに済んだ。
・・・病気を疑い出した時からずっとそればかりを考えた。
自分を責め、恨み、憎んだ。

息子とおでこを合わせ、
何度も「代わってあげたい、代わってあげたい、ゴメンね…」
と泣いた。

息子は私のほおをつたう涙をどれだけ拭いてくれただろう。

今まで彼を怒ったこと、
親の力で彼の意見を受け入れなかったこと、否定したこと、
全てを後悔し、反省した。

落ち込みすぎて
車の運転を控えていた時期があった。

眠れない夜がずっと続いた。

長男は病気のせいで6月くらいから
徐々に言葉を発する事が出来なくなった。

コミュニケーションが取れなくなっていく中、
8月の彼の誕生日に
「今日はあなたの誕生日だね。マミー嬉しいよ。」
と言葉を掛けたら、

私の手を力強く握り、
「マ、ミー、 ア、リ、ガ、トウ」
力いっぱい声を出してくれた。

本当の母親になれた瞬間だと思った。

38年間生きてきて、いちばん涙を流した。
また長男の瞳からも大粒の涙がこぼれた。
いっぱいいっぱい抱きしめてあげた。

この子はどんな時でもこの世に誕生した事を
感謝しながら生きている。

私はこの子を産んでよかった。

そう強く思った。

去年の彼の誕生日の話も、もしよかったら読んで下さい。
ココを押してください。


私は、日本の家族、そして友達、皆と喋れない、
電話にも出れない、
顔を合わせる事すら出来ない状態になった。
今でもそれはまだ続いている。

皆を嫌いになったわけじゃない。
大好き。

でも、話したら崩れてしまいそうなんだ。
弱くて、苦しくて、辛くて、切なくて、
いつでも崩れてしまいそうなんだ。

私が話せない状態にいると知りながら、
それでも定期的にメールをくれ、
励ましてくれている友達には本当に感謝してます。

理解してくれて有難う、
支えてくれて有難う、
と伝えたい。

私は長男が病気という事を誰にも言ってなかった。
この一つ前のエントリーではじめて明かし、
友達も私のブログを通して知る形となった。

病気の事をどう説明していいのか、
どんな風に伝えればいいのか、
心の準備、整理がつかなかった。

今、整理がついたという訳ではない。
未だに誰とも話せない状態だし。

このブログをやめようと、何度も思った。

でも私は今、息子を通して“いのちの勉強”をしている。
いちばん大切なものを学んでいる。

子供の持っている優しさや強さ、
命の尊さ、そして重さ、
家族の想い、病気の子供を見守る環境などを
少しでも多くの人達に伝えていきたい。

ちっちゃな事でも感じ取って欲しいという想いから
ブログを続けていく事にしました。

私達は治療が終わり、戻ってきたのではなく、
また本土に行く準備をしています。