モーハワイ☆コム

アーカイブ: 2010年7月

ワイキーキー鳥探索   コウカンチョウ


Post-577頭が赤い鳥。
そんなに人を警戒せず、人にも近づくけれど、
愛想はない。

そして、この鳥は外国の鳥っていう顔をしている。
鳥は種類が同じなら同じような顔なので
区別をするのは難しいけれど、
このコウカンチョウはそれぞれ違った顔をしているので
面白い。

ハワイには1928年~1929年ごろに
南米からペット用に連れてこられたんだって。
実際にオアフ、マウイ、カウアイ、ラナイ、モロカイなど5島の島全体に
多く分布するようになったのは今から50年ほど前かららしい。
ハワイ島とニイハウ島では見かけないんだって。
ニイハウで見かけないのは理解できそうだけれど、
ハワイ島にいないのって何だか不思議な感じ。

この鳥、たまに頭が黄土色の子も見かけるけれど、
黄土の子はまだ幼いコウカンチョウ。

日本は田舎は別にして、
都会の生活では鳩、スズメ、カラスを見るのがメインで
キレイな色の鳥を見ることがないので
日本人はハワイでこの鳥を見たら可愛いって思うよね。


目が合ったところでパチリ :emojicamera:



終わり。

ワイキーキー植物散策   Pua kulaunu


Post-575Pua Kalaunu (クラウン・フラワー)。
Kulaunuは英語のクラウンをハワイ語表記に置き換えたものです。
ハワイ語の名前はありますが、
ハワイでも一般的にはクラウン・フラワーと呼ばれています。

花は薄いパープルと白の2色があります。
この花はインド、インドネシアが原産地で、
ホノルル・アドバタイザー紙によれば、
ハワイには1871年頃にパープルの花が輸入され、
1920年代に入ってから白い花が入ってきました。

この花で一番に思い出すのは
昨日のブログにアップしたリリウオカラニ女王。
彼女の一番愛した花はクラウン・フラワーだったそうです。
このお気に入りのクラウン・フラワーを
たびたびレイにしていました。
彼女が好んでいたのはパープル。
何故かというと、残念ながら女王は白い花を見ていません。
彼女の死の数年後にハワイにやってきたから。
きっと白も見たかったんじゃないかな。

この花の形って変わっていますよね。
本当のクラウンみたい。
花の上に星があるようで、とても可愛いです。

この花はよくガーデン、公園に植えられるので
ハワイの何処でも見られます。
そうそう、ダウンタウンのワシントン・プレイス(リリウの住居だった場所)の庭には
数本のクラウン・フラワーがあります。
ここのフラワーは一本の木に白・パープルが入っているように見えますよ。

この花を摘むと、白い液が出ます。
この白い液は皮膚炎を起こす成分が入っているので
取り扱いには十分な注意が必要です。
この花に限ったことではなく、
ハワイには毒性のある花も多いので注意は必要ですが・・・。


終わり。

Ku`u Pua i Paoakalani


Post-574数え切れないほど沢山のお気に入りハワイアン・ソングがあります。
どれが一番好き?と聞かれても答えられません。
今日は、先日のAloha noに続き、
多くのお気に入りソングの中から美しく心に響く、
Ku`u Pua i Paoakalaniという曲の話を
皆さまにシェアしたいと思います。

この曲はハワイ王朝最後の女王、クイーン・リリウオカラニが作詞作曲。
彼女は8人の兄弟姉妹がいましたが、
彼女を含めその中の4人のアリイ、(カラーカウア、レレイオホークー、リケリケ)は
特に音楽の才能に優れていました。
彼らはそれぞれに素晴らしい曲をいくつか作っていますが、
その中でもリリウオカラニは生涯に渡り160を超える曲を残しました。

このKu`u Pua i Paoakalaniはハワイ王朝が崩壊後、
パレスに8カ月幽閉されていたときに作られたMele Inoa(人にささげられた曲)です。
リリウのもとに自ら幽閉生活を共にした女性、イブリン・タウンセンド・ウィルソンの息子、
ジョン・ウイルソン(後のホノルル市長)のことを歌った歌だと言われています。

リリウは幽閉時、外部との接触はもちろん、新聞の閲覧でさえ禁止され、
世の中の様子が全く分からない状態に置かれていました。
当時、少年だったジョンはリリウに届ける花をこっそり新聞で包んで
毎日届けていました。それで彼女は世の中やハワイ、ハワイアンの様子を
伺い知ることができました。
少年ジョンがリリウに運んだ花は、
彼女のパウオア・バレーにあったガーデン、ウルハイマーラマからの
ものだったと言われています。
リリウオカラニはそんなジョンを思い、自分のガーデンを懐かしみ、
この曲を作りました。

この曲はところどころ、単語が英語に置き換えられていて
とても面白い歌詞になっています。
詩の中にPaoakalaniという単語が出ていますが、
この意味は高貴な香りのこと。

ワイキーキーにはリリウの住居がありました。場所はハモハモといって
今でいえばパオアカラニ(リリウオカラニ・コンド、キング・タワーあたり)付近です。
しかし、この曲はこの場所のことを歌った曲ではありません。
でも、曲にはこの場所を懐かしむ気持ちが込められているかもしれませんね。
なぜなら彼女の沢山の曲はここでも作られたから。

1894年のハワイ語新聞によると、リリウが所有していたガーデン、
ウルハイマーラマにカフナによって植えられた木や植物の一部のリストと
その意味(木の意味ではなく木を植えた意味)が記されていました。
木の種類のみ一部あげてみると、
コウ、タヒチのハラ、ククイ、アワ、サトウキビ各種、アぺ、ポーポロなどがありますが、
きっと他にも香りのある植物も植えられていたのでしょうね。

残念ながらこのガーデンは、王朝が崩壊したときに壊されてしまったので
今は土地の一部しか残っていません。
しかし、この曲を聞くと、美しかったパウオア・バレー、
そして、このウルハイマーラマのガーデンの香りを感じることが出来ます。
シンプルな曲ですが、流れるようなメロディー・ラインが印象的で
クラシック音楽を聞いている錯覚になります。
うっとり、しっとり、そしてしみじみと美しい曲です。

Ku`u Pua i Paoakalani
Na Liliuokalani

E ka gentle breeze a pa mai nei
Hoohalialia mai ana ia`u
E ku`u sweet never fading flower
I pua i ka uka o Paoakalani

Hui
Ike mau i ka nani o na pua
O ka uka o Uluhaimalama
`A`ole na`e ho`i e like
Me ku`u pua i ka la`i o
Paoakalani

Lahilahi kona ma hiona
With softest eyes as black as jet
Pink cheeks so delicate of hue
I ulu i ka uka o Paoakalani

Nane `ia mai ana ku`u aloha
E ka gentle breeze e waft mai nei
O come to me ka`u mea e lia nei
I ulu ika uka o Paoakalani

(※ オキナ・カハコーは必要最低限の表示にしています)

この曲はいろいろな人に歌われていますが、
ドラマティックな歌い方は好みではありません。
私がこれはおすすめと思うのはこの2つです。

1つ目はかつて私も在籍していたナーフル先生のハワイアン・コーラス。
いつものことですが、ナーフル先生のコーラスのアレンジは最高に美しく、
メンバーのしなやかながら美しい歌声には鳥肌も立ちます。
(ここには私はいません)



2つ目は2005年のメリー・モナーク・フラ・フェスティバルの映像。
スノーバード・ベント先生のハーラウからミス・アロハ・フラで出場した
チェリッシュ・カマさんのアウアナです。
今年、オラナ・アイ先生のハーラウでもこの曲が使われましたが
この2005年が私のお気に入りです。
この時のミュージシャンはスペシャルなんです。
メインはスノーバード先生、アーロン・サラ、演奏はナー・パラパライ。
踊りもこの上なく素敵な上、このミュージシャンも最高。
歌唱力のある2人、アーロン、スノーバード先生はドラマティックに歌っていません。
彼らの歌声は、ただただ感情がストレートに伝わってきます。
上手い。

http://www.youtube.com/watch?v=Ih04_HM1bC4&feature=fvw

この2つの映像は見る価値ありです。
聞きたい、聞いてみたいと興味を持った方は是非聞いてみてくださいね。

写真はワイキーキーのリリウが住んでいたとされる場所付近で撮影。

終わり。

Kanikapila


Post-572Auhea `oe? e カイマナヒラさ~ん♪




カイマナヒラさんに報告です。
今さっき、カニカピラの前を通り過ぎたら
ウェルドンのアナウンスが・・・
「いずみちゃん」って。

2曲歌いました。
「Alika」と「He Ui」。

カムエラのダンサーが集団で来ていて(いずみちゃんと一緒に来たのかな?)
He Uiをいずみちゃんの歌で踊っていましたよ。
今年のミス・アロハ・フラのミカさんもいました。
アリカを歌いかけた時は人がそんなに集まっていませんでしたが
歌のうまさに人が沢山集まってきて、歌い終わった時は大喝采。
He Uiの時はダンスも加わったので
ひと際盛りあがっていました。
生いずみちゃんの歌、初めて聞きましたが、
とても上手いですね~。


お粗末な写真ですみません。

ワイキーキー植物散策  Loulu(ロウル) 2


Post-5711の続き。
ロウルの花はこんな感じ。

写真の中で花についている虫はかなぶんですが、
他にもミツバチなどが沢山食事に来ます。


終わり。

ワイキーキー植物散策  Loulu(ロウル) 1


Post-570うちわのように見える葉が印象的なLoulu(ロウル)。
グッズや生地のモチーフにされることも多く、
日本人には親しみのある木です。
この木は他にもHawane(ハーワネ)、Noulu(ノウル)、Wahane(ワーハネ)などの
呼び名がありますが、私がよく聞くのはロウルかハーワネです。

ハワイ固有種。ヤシの木の仲間。
黄色か白の花が木の種類によって咲きます。
甘いのかな、どの花にも蜂やかなぶんなどの虫が遊びに来ています。
木の種類は島それぞれにあるんですよ。
乾いたニイハウやニホアにも珍しいロウルがあります。
ロウルは育てるのが簡単で、一度はなくなりかけたニホアでも
今は沢山育っているようです。

ロウルの木には赤や紫、黒っぽい色の小さいフルーツが沢山なります。
今ではこの実を食べるのは豚などの家畜ですが、
古代ハワイアンはこの実の若いものを食べていました。
皮をむいた若い実は柔らかく、ココナッツの味に似ているそうですよ。
実を見ただけではココナッツ味だとは想像がつきません。
他には、かたい木は槍、葉は屋根に使われていました。
今はこの木の使い方は昔とは違って、
葉を利用した帽子、種を利用してレイが作られています。


終わり。

アメリア・イアハート


Post-566ロイヤル・ハワイアン・ホテル内、海側の一角で今、
アメリア・イアハートの写真を含めた展示がされています。

アメリアは日本ではあまり名前は知られていませんが、
アメリカではとても有名な飛行家です。
女性の活躍が難しかった時代、
彼女は知的でとても魅力のある女性だったので、
とても人気がありました。
没後70年以上経った今でも、彼女はアメリカで人気者です。
少し前の話になりますが、
ヒラリー・スワンクが主演した「アメリア」も記憶に新しいです。
映画内のヒラリーは実物にとても良く似た風貌でした。

彼女は女性初の大西洋横断飛行を成し遂げ、
1937年5月の赤道上世界一周飛行に旅立ちますが、
その途中7月に、南太平洋において行方不明となりました。

この展示にはハワイでのアメリアの様子、
デューク・カハナモクとの交流写真なども展示がされています。
興味がある方は是非。


こうして写真を見ると
あらためてデュークって大きいって思いました。



終わり。

youtubeで


Post-564昨晩、久しぶりに夜更かししたので、今朝はいつもより1時間寝過ごしました。
いつも朝は早起きなのでちょっと残念な1日の始まり。
ハワイでは朝早く起きないともったいない気がするのは私だけでないはず。
しかし、夜更かししたのには理由があり、
昨晩はとーっても楽しいことがありました。

聞きたい曲があったからいつもがごとくyoutubeで探していたのだけれど
その曲をミュージシャンが歌っている映像は3つしかなく、
その中の気になった映像をチョイス。
これは著名なクム・フラが友人の家で家族や友人たちとカニカピラをしているもの。
ふつうにナネアしながら、皆で演奏し、歌っているのだけれど、
これがめちゃくちゃいい。
あー、カニカピラって本来はこんなものなんだと思えるもので
ハーモニーも絶妙。

この映像のコメントを読んでいたら、
1つ素敵なコメントが書いてあって、その人のハンドル・ネームをクリックしたら
ハワイアン・ネームが出てきました。
珍しい名前ではなかったのだけれど、なぜが気になりましたが、
それは置いておいて、その人のお気に入りのラインアップを見たら
何~!!っていうくらい私のお気に入りと同じで驚きました。
ハワイアンはもちろん、私がハワイアン以外に大好きなブラジルの歌手たち、
マオリ関連などそれはもう共通点がいっぱい。
挙句の果てに、私も出ているパフォーマンスをしている映像も出てきたからびっくり。

そう、その人は私のよく知る学友でした。
いつもクラスでは彼の隣に座っていました。
すごく優しいし、怠け癖はあるけれど、頭が良いし、大好きだったから。
パフォーーマンスは彼もメンバーだったから出ていたのです。
彼はフラもとても上手いのですが、
彼のナヘナヘ・ボイスは耳が壊れるほど上手い歌をきかせてくれます。
ハワイの名門家出身でハワイ語のレベルもかなり高い。
何か懐かしくて嬉しくなって、自分の映像や興味のある彼のラインアップを
見いってしまいましたよ。だから夜更かし。

それにしても本当に偶然の発見でした。
最初に聞きたかった歌はあまりにも投稿されていなかったし
私がクリックしたもの以外は、
なんとなくハワイアン・テイストではなかったので
彼を見つけられたのかもしれません。
それにしても良い映像が集められれいるので
また今日も彼のお気に入り映像で夜更かししそうです。

何時会えるかわからないけれど、今度彼に会う時が楽しみ。




終わり。

美しいステンド・グラスがある教会


Post-563前の記事に名前が出てきたカメハメハ4世、アレキサンダー・リホリホと
彼の妻、エマ。
このステンド・グラスは実物にそっくり。

アメリカ嫌いだった彼らはダウンタウンに
英国教会、セント・アンドリュース大聖堂の建設を始めましたが
残念ながらカメハメハ4世は完成を見ないまま他界、
この教会の名前の由来は彼が死亡した日が
聖アンドリューの日でしたからこの名前が付けられました。
彼らのステンド・グラスは礼拝堂正面入ったところにあります。
ステンド・グラスは教会内に沢山あって、それぞれキレイですが、
彼らのステンド・グラスがある、この一角だけは
ハワイのモチーフが多くて、好きです。


この辺りはロイヤル・スクール、ワシントン・プレイス、
YMCA(現、州立美術館)、YWCA、パレス、などなどハワイの中では古い
西洋建築の歴史的建造物が沢山あります。
西洋といっても地中海、ドイツ、英国風などいろいろありますよ。
これらの建造物の近くにあるリチャード通りは1840年代には
あったそうですよ。
お散歩も楽しいので時間がある方は是非。


終わり。

Epidemic 1848


Post-562先日、OHAが発行している印刷物の中に
1848年、10月からハワイで広まった
伝染病の様子がうかがえる記事がありました。

ミッショナリー、外国の人たちがハワイに入植して以来、
さまざまな病気がハワイに持ち込まれ、
病気の免疫、抵抗力のなかった多くのハワイアンは
亡くなり、人口は急速に減少、
ハワイの人を何とか病気から守りたいとの思いで
ハワイで初めて施設の整った病院を設立した
カメハメハ4世(1854即位)&王妃エマの時代には
外国人の本格入植後、約30年ほどしか経っていないのに
入植前のハワイアンの人口30万人に対し、
彼らの時代には6分の1の約5万人になっていました。

この印刷物は1848年の新聞「Ka Elele Hawaii」(ハワイ語)を
引用した内容を書いていますが、
この内容を見ると、いかに急速に人口が激減して行ったか
理解することができます。

1848年、10月に大流行した伝性病は2種類、はしかと百日咳。
この時、ハワイ全島で約1万人のハワイアンが命を落としました。
もちろん、これ以外にも大きな病気の流行はあったのですが、
この時の流行はハワイの歴史に残るほどのものだったそうです。
1848年の12月にマタイオ・ケクーアナーオアが警告した
(ケエリコーラニ、カメハメハ4世、5世の父、カマーマルの父)
レポートした内容は11月の1週と2週、
オアフのコナ地区・アフプアア(カハウイキを除くモアナルアからハワイカイ)だけで
380人、1日平均で25人の死亡報告があったとの内容。
場所別に見たら、ワイキーキー71名、ホノルル271名、
カパーラマ(カリヒ・ウカ)7名、カリヒ24名、モアナルア7名・・・。
コナ地区だけでこんな感じです。

これは一つの例ですが、
いかに伝染病がハワイ全島で急速に広がったかが理解できるとともに、
いかに病気の免疫、抵抗力を持たない
ハワイアンの人口が急速に減少していったかが
この内容によって理解出来ますね。



終わり。