モーハワイ☆コム

カテゴリー:Ike Hawaii

Uli Uli


124

 

ウリウリはニウや瓢箪やラアミアの器に種を入れ、

振ってガラガラ(この表現は変ねえ)音を出す

フラの楽器である。普通は片手に持って使う楽器。

 

ハワイのハーラウでは手作りで作っているところも多い。

フラ・カヒコでは特にお店で売っていたりするような

羽根が付いているものを使っているところは少なく、

ハラの葉とイエイエで器の口をとじている。

 

ハワイで聞くウリウリの音色って特に大差がないなって

ずっと思ってきたけれど、(というかあまり考えたことがなかったけれど)

先日、今まで聞いたことがないようなウリウリの音色を聞いた。

手作りは大体アリイポエの種を使っていて、

安い市販のものはプラスティックのビーズを使用している。

今まで聞いたことがないそのウリウリには何が入っているのだろ。

 

ものすごく古いフラを踊るときに使っていたから

アリイポエではないね。アリイポエのようなサラサラした音ではないし、

アリイポエを使うことがポピュラーになったのはカラーカウア時代だと聞くから。

小石かな。多分小石だな。

 

 

だけど、その音色は本当に素敵だったのである。

パフォーマンスが終わったら、そのハーラウのクム・フラに聞いてみようと

演技中ずっと思っていたのに、すっかり忘れていた。

残念なことに、その時はカメラを持っていなかったから

画像にも残っていない。

ハワイでもそのハーラウの演技が見られることは滅多にないのだけれど、

今度その機会が訪れたら絶対聞いてみよっと。

 

ウリウリを使ったフラってオアフが有名と聞いた。

これは知らなんだな。

ウリウリはオアフのフラを象徴する楽器だって。

 

 

本文と写真の関連性は全くありません。

写真はクム・フラ、マヌ・ボイドのハーラウのハウマーナが持つウリウリ。

このウリウリはワイアーホレのカルビン・ホー・スタイルと

マヌは言っていた。

 

 

クーカニロコ


Post-1678久々にワヒアワーのクーカニロコに行きました。

12世紀ごろから王族の出産場所と知られるクーカニロコ。
王族と言っても誰でもここで出産できた訳ではありません。
というのは、カメハメハ王はここでの出産を望んでいましたが、
許されませんでした。
何故かというと、ルアキニを行っていたから。
人の生贄を捧げた人はここで出産はできなかったと言われています。

もともとはナナカオコとその妻カヒキオカラニが
彼らの息子カパワを出産するためにつくられたと伝えられています。
タヒチから来たラアマイカヒキやオアフ王、クアリイ、カークヒへヴァも
ここで産まれたと。

今は普通に一般人がここに来られるのだけれど、
厳しいカプが敷かれていた時代には
王族以外この地に近寄ることすらできませんでした。


赤土の小道をまっすぐに進むと、
正面に妊婦の寝姿に見える山脈ワヒネ・ハーパイ。
ユーカリの木々がある出産場所であった場所は
静寂に包まれています。
わたくしは霊感やパワーを感じるということは
ハッキリ言って全く実感しませんが、
空気が何ともクリーンな感じはしますね。
暗い時にはここのアウマクア「プエオ ふくろう」を
見ることもあるそうですよ。


2年ほど前、めったに経験できない機会に恵まれました。
クーカニロコで出産が終わった後に
王族の子供が洗われた場所に
特別に行くことができたのです。
昔は馬とかもいなかったはずだから
クーカニロコまで出向くのも大変だったと思うのに、
その場所まで、また時間をかけて行ったのかと考えると
気持ちがその時代にタイム・スリップするのが不思議。

Kewalo


Post-1509ケワロからPuowaina(パンチ・ボール)はとっても近く見えるね。
パンチ・ボウルは昔は有名なヘイアウで
カプを破った人、生贄になる人が焼かれた場所だったのだけれど、
最初にそれらの人が連れてこられたのがケワロ。
ここで溺死させられてから連れて行かれた。
そんな意味じゃマッキンリー高校辺りも
似たような場所だけれどね。

別に夏の怪談話を書いたわけではないよ。
まぁ、そんな話はいろいろあるけれどさ。


ケワロは好きな場所。
わたくしには負のイメージはない。
ここは昔から釣り場でフィッシュ・ポンドもあった。
今でも釣り人は多いね。
それに長く続く海岸歩道は散歩するのに気持ちがよい。
近くのマジック・アイランドはウヂャウヂャ人が多すぎるので
こっちの方が好きだなぁ。
サーフィンの初心者とかにも
いい場所なんじゃないかと思うよ。
ハハハ。

もう寝よっと、おやすみ。

マウイの神話に出てくるAlae Ula


Post-1399アラエ・ウラ(赤)。
赤色をしたバンという鳥で
ハワイではオアフとカウアイのみに生息しています。

この鳥は頭、額が赤いのが特徴で、
赤の他にもアラエ・ケオケオ(白)という
頭や額が白い鳥もいます。
このアラエ・ウラやアラエ・ケオケオは
オアフではカイルアに沢山生息。
カイルアにはカワイヌイ湿地やハマクア湿地の
大きな湿地帯があるのでここで良く見かけます。

アラエ・ウラにまつわるハワイ神話を紹介。
ハワイの女神ヒナの息子であり
クプア(半神半人)であるマウイの神話の1つに
このアラエ・ウラの頭が赤くなったお話しがあります。

大昔のハワイには火山の火を持ってくる以外に
人々は火の起こし方というのを知りませんでした。
そのために食べ物を生で食べて体調を壊したり、
寒さをしのぐのに大変な思いをして長く生活をしてきたのです。

しかし、マウイは山の中で火を何度か見たことがありました。
そして火を起こしているのがアラエらしいということを知ります。

アラエに火のことを問い詰めても白状しません。
マウイはアラエが火を起こしている様子を何とか見つけようとしますが、
そのうち、アラエはマウイがどこかに行かないと
火を起こさなくなりました。
それを知ったマウイは出かけたふりをして
アラエを見はりました。
そして、マウイはアラエをとっ捕まえ、白状させようとしますが、
アラエはカロの茎と葉をこするとか
バナナの葉やウルの葉をこすると火が起こせるなど
嘘ばっかりつき、とうとうマウイを怒らせました。

怒ったマウイがアラエの頭を木の枝で激しくこすったことから
アラエの頭は真っ赤になったと言われています。
そして、降参したアラエはマウイに火の起こし方を教えました。
それからハワイの人々が火を使えるようになったと言われています。


アラエは雑食。
小さい虫や水草を食べています。
カイルアの湿地帯はアラエの生息地として最適なわけ。
おならっぽい音が聞こえたらアラエの鳴き声だと思って下さい。
そうそう、ワイアラエの地名もアラエからきているのです。
昔はいっぱいいたのかも知れませんね。
地名を考えると昔の土地の様子や歴史がよくわかりますよ。

Under a Jarvis Moon


Post-1156            http://www.juniroa.com/content.php/jarvis_moon/

今日のブログはとっても長いので興味がある方のみご覧ください。
タイトルは昨年、カメハメハ高校とHIFFで放映された映画です。
その時は他に用事があって行けなかったのですが、
最近あったイベントで観ることができました。

JarvisというのはJarvis島のこと。
この映画は1935年から1942年までハワイから遥か遠くにある
ジャービス島、ベイカー島、ホーランド島にコロニストとして
アメリカ政府からリクルートされたハワイアンを描いています。

これらの島は1857年にグアノ法案でアメリカが所有を宣言した無人島。
グアノとは鉱物資源のことで火薬の材料になるもの。
なのでいろいろな国がこれらの島の全ての鉱物を掘り起こし、
コロニスト達が送り込まれた時には全くなにもない無人島でした。

コロニスト(入植者)としてリクルートされたのは約130人、
50人以上はハワイアンでほとんどはカメハメハ高校、
あとはマッキンレー高校を卒業した男子でした。
何をするか全く知らされないまま、当時としては高額の給金で
雇われたんです。

これらの島はハワイから遠い遠い無人島。
ここまでは軍人も一緒でしたが、島に着いてからはハワイアンを残し、
去ってしまいました。
4人グループで3週間交代、長い人で3年の勤務に付いたそうです。
島には飲料水、食べ物の資源が全くありません。
コロニストたちは定期的に運ばれる生活の糧で日々暮らしていました。
この島にあるものといえば、沢山の海鳥、魚、
そしてネズミとの戦いでした。
ある男性の体験談の中には、ひげをそり落としたのは
ある朝、ネズミがかじっていたからというくだりもあります。
感染症とも隣り合わせの生活でした。

島についた時には家もないので、テントのような屋根が付く
掘立小屋を建てることから始まりました。
彼らが送り込まれたのは第二次世界大戦時にこれらの島を
日本が占領することを懸念したことや、この戦争のための気象データを取ること、
海鳥の生態調査、魚の生息調査です。
実際に気象情報は戦時中、役に立ったと言われています。

ホーランド島では真珠湾攻撃の翌日、空襲があり、
この時、カメハメハの男子2名が亡くなりました。
すこし余談になりますが、このホーランド島、
アメリカの有名な女性飛行家、アメリア・エアハートが
太平洋横断の時のゴール予定だった島です。
ここで彼女をむかえる準備をしている様子も写っています。
しかし、彼女はこの島に到着することなく、この島の付近で
消息を絶ちました。

彼らコロニストが残した島の日々の日記にはハワイを恋しく思う気持ちや、
毎日の変わりない生活が綴られていますが、
酷な島の仕事ながらも、この映画に出てくるコロニストのインタビューの話は
楽しい思い出話のようになっており、楽しいユーモアのあふれるものになっています。
島の写真やコロニスト達の様子を写した写真もとても素晴らしいものばかりでした。

わたくしが、この島々を見て驚いたのは、アトールなので高い場所でも
6メートルから7メートル、実に危険と隣り合わせの状況だったということです。
津波がきたら島は丸ごと無くなってしまうでしょう。
それに、人が住む島とは遠く離れており、何かあってもすぐに対処できない状況です。
こんなところだと知らずにいたコロニスト達が現実を知った時の絶望感は
大きなものだったにちがいありません。


このお話、ハワイでもほとんど知られていません。
この歴史に埋もれそうになった話をドキュメンタリーのフィルムにしたのは
ビショップ・ミュージアムに勤めるノエル・カハヌさん。
彼女のお爺様はコロニストでした。今は94歳。
この話を残しておく必要があるため、映画化しました。

映画の終わりにはパネル・ディスカッションもあり、
コロニスト3人が参加していました。この中の若い人でも87歳でしたね。
ほとんどのコロニストは既に亡くなっています。

このイベントはハワイを代表する政治家3人(アカカ、イノウエ、ハナブサ)の
スピーチ、カメハメハ・グリークラブのコーラス、フラのプレゼンテーションもあり
充実したものでした。
グリー・クラブの演目の中で、コロニストが書いた歌をアーロン・マヒがアレンジして
それにフラが添えられました。そのフラを踊ったのはお孫さんであり、
この映画監督のノエル・カハヌさん。
こちらもとても良かったです。

この映画は木曜日にハワイのPBSでも放映されました。
もう一回観ようと思っていたけれど、
ころっと忘れていました・・・・・。



日本ではハワイの映画と言えばエンターテイメント的なものばかりですが、
こういう映画も機会があったら是非日本の皆さまにも
観ていただきたいですね。


久しぶりの長いブログで疲れました。
というのも2回書いたから・・・・泣。
1回目は動画を観ながらの”ながら作業”だったので、
閉じるキーを押してしまって消えた。
でも書かなきゃ、詳細は記憶から薄れていくのでねぇ。

ということで明日からはまた短いブログになります。
長いのに読んで下さった方、ありがとうございました。

Maluhia


Post-406カリア通りのクロダ・フィールドにある短い通りにこの名前が付いています。
昔からあったのかな?
バスでアナウンスが入るようになって気になりました。
第二次世界大戦時はここには娯楽場があって、
ダンスなどが楽しめる場所だったそうですよ。
それよりずーーーーーーーーーーーーーーーーっと昔は
ここは多分、魚の養殖場だったと思います。
今は緑のグラスが広がって名前のような穏やかな気分にさせてくれる
キレイな公園ですよね。


終わり。

Grow Hawaiian Festival


Post-357一気に夏が来たハワイ。この前までの寒さは何だったのか。暑い :emojisun:
昨日はこんなイベントがあってビショップ・ミュージアムに行った。
カパ作りや植物で作る染料、ポイ作り、ラウ・ハラの工芸品作りなどなど
沢山のデモもあったし、販売もあった。
フラもハワイアン・ミュージック、ワークショップもある朝から夕方までの
ファミリー・イベントでローカルで賑わっていたよ。

昨日は入場料がフリーだった :emojifinger_one:
もちろん無料でも展示は見れる。
一年に何度かはこういった感じのイベントがあって、
その時はカマアイナはフリーになる。
私は展示物を見るのでは最近はお金を払うときに行ったことが無い :emojichoki:

たまたま入った部屋でフラのワークがあった。
小さいケイキが多分初めて学ぶフラで「Ke Ao Nani」という曲がある。
私は子供ではないのでこれを習ったことが無い。
いい機会なので受けたみた。
Ke ao nani はフラ・ノホ(座って踊るフラ)なので手のモーションだけ、もしくはチャントも。
この曲って短い歌詞だけれど、とてもいい曲で大好き。
簡単に言えば、空も土地も山も海も生き物みなが素晴らしいということを歌ったもの。
面白かった。

上の写真はマヒオレを作るアーティストのソロモンさん(写真左)。
ここには写っていないけれど、ご子息はアーティストであり、作家でもあるアラニさん。
ハワイアン・アートで有名な一家である。

マヒオレとはヘルメットのこと。チーフ・クラスの人が戦いの時にかぶっていた。
いろんな型のデザインがあり、ヘルメットのてっぺんというか、
とさかみたいになっている部分は鳥の羽根で飾られているもの、
いないものが作られていたそう。本体の素材はイエイエの繊維。
でも、1820年以降は戦争のスタイルも西洋化され、
1830年以降、マヒオレは作られなくなった。

写真手前の赤い顔をしたものはアクア・フル・マヌと言って
神のイメージ。戦いだから神はクーカーイリモクかな。
カメハメハ・グレートの神。


ビショップ・ミュージアムは私にとってハワイで一番好きな博物館。
展示物を見るのも、調べ物をするのにも、本を買うにも
今まで何度も足を運んでいる。
ここにくると、よき昔にタイム・スリップした感じになるときも。
居心地のよい場所である。

昨日の晩はスパム・ジャムにも行ったけれど、
人ごみが嫌いだし、私にはやっぱりビショップ~のほうが合っているな。


終わり。

Kolea 2


Post-3371月10日にアップした記事はこちら
読んでいない方、興味がある方は先にこちらの記事を読んでから先にお進みくださいませ。

これが最近のKolea、公園や学校など緑が多い場所でよく見かけます。1月とは毛の色も柄もすっかり変わって今はこんな感じ。秋にハワイに戻ってきた時とは全然違う風貌になるんです(前の写真も小さいからわかりにくいかもしれませんが)。違う鳥みたいでしょ?
この愛おしい鳥、秋から夏前までしかハワイに滞在しません。アラスカに旅立つ日が近づいています。
寂しいな、だってKoleaは私が一番好きなハワイの鳥、帰るときも戻るときと同じような過酷な試練が彼らには待ち受けているのですから。一羽でも無事に目的地まで到着して、また来年も一羽でも無事に戻ってきてと願ってやみません。

さきほども知人と一緒にKoleaを見ました。この知人はハワイアン。やっぱりこの鳥を愛おしく思っていて、「このまま暫く見ていよう」って言って一緒にそっと見ていました。


終わり。

Aumakua (アウマクア)


アウマクアとはハワイ語で家族や個人で信仰しているもの、神、ご先祖様のこと。
ハワイの人はマノー(サメ)、モオ(ハワイのトカゲのようなもの)、プエオ(ふくろう)、イリオ(イヌ)、ロリ(なまこ)などの生き物系があったり、プナのほうにはペレがアウマクアの家族も多いです。ほかにもいろいろ。

アウマクアというのはハワイのことを勉強するにおいて欠かせないもので、この単語にしてもハワイ語の入門のうちに習います。
それで、最近思ったことがあるのですが、ある生徒がいつも作るセンテンスにアウマクアの単語を入れているんです。中には不思議な文章も多い。
その話を私の先生に話したら「あの子の目を見てごらん。いつも何かを追っているから」と言うのです。いつも彼はアウマクアと話をしているのです。彼はネイティブ・アメリカンとハワイアンのハーフらしいということもわかりました。
ハワイアンは口にはあえて出しませんが、スピリットを感じる人が多いのです。そしてネイティブ・アメリカンもですよね。そしてハワイはスピリットの島です。

前に出会った男性は耳に素敵なタトゥーを入れていました。
何の意味?と聞いたらこれは自分の遠いおばあちゃんと言っていました。モオなのでモオのタトゥーでした。あ、モオってゲコと思われがちですが、違いますよ。コモド・ドラゴンみたいな感じって言われたりしています。
実際、私の友達がとあるオアフにあるヘイアウに行った時に撮った写真にくっきりいるはずのない巨大なモオが写っていました。
ペレもヒイアカもキノラウ(化身)がいくつかありますが、モオも彼らの化身の一部でもあります。

カウアイの知り合いの男性は足にタトゥーが入っています。
彼のアウマクアはマノー。この場所に入ったタトゥーは海に入った時、サメに襲われないそう。

ハワイアンは名づけにしてみても、アウマクアの言葉、夢のお告げなどが大事ですし。
今でもアウマクアを信仰している家族は沢山あります。

動物のアウマクアはないですが、私も宗教ではなくアウマクア信仰者です。
私の場合は私の先祖たち。いつも守ってくれて感謝しています。


終わり。

Kolea


Post-265コレアは私の大好きな鳥。可愛い。今ならUHで良く見かけます。
コレアはハワイ名で日本語でいえばムナグロ。
遠い遠いアラスカから渡ってきて秋になるとタヒチやハワイなど南太平洋諸島に辿り着きます。
冬の時期をこれらの温かい土地で過ごし、4月ごろ、またアラスカに向かって旅立ちます。

この鳥の生態は未だに詳しくは解明されていないそうですよ。
というのも、このコレア、長い間水につかることが出来ない鳥なのです。なのに遠いアラスカからどのように南太平洋にやってくるのでしょうか・・・。航海する船で休んでまた飛び立つのかなどなど、まだまだわからないことが沢山。
それに、渡ってくる間に8割は死んでしまうらしいです。そして辿り着いても縄張り争いで折角辿り着いた場所から追い出され、再び新しい地を求め旅立つのだそう。
毎年毎年、UHには沢山のコレアがやってきますが、同じ子たちなのかな。
コレアは5~6年の命らしく、その間に過酷な旅を繰り返して命を閉じるのかと思うと何だかいとおしくなりますね。
コレアを見るたびに彼らの旅の様子も合わせて考えたりしちゃいます。私にとって特別な思いのある鳥。


写真は先月撮影したもの。もう少ししたらこの鳥、羽の色が変わっていきます。
全体的にはもっと黒っぽくなりますが、部分的に白い部分があったり、斑点も出てくるの。

終わり。