■修学旅行事前学習 ------ 東大寺学園編
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真珠湾攻撃
太平洋戦史上最も名高い真珠湾奇襲作戦の戦略目的は、アメリカへの宣戦布告と同時に奇襲攻撃による大打撃を加え、アメリカに戦争の遂行を断念させ、早期講和に導くことにあったが大国であるアメリカを屈服させることは不可能だった。戦術目標としては、ハワイにあるアメリカ太平洋艦隊に壊滅的打撃を加えることであった。作戦結果は、軍事的には成功したものの、政治的な目的とは正反対の結果を生んで大失敗となった。アメリカ側の損害は

撃沈 戦艦五 巡洋艦一 その他二
撃破 戦艦三 巡洋艦三 その他三

損失航空機 四七九であり、日本側の損害は僅かに 損失航空機 二九だけにとどまっている。真珠湾奇襲作戦は運命的な一戦であったが、この作戦計画が実行されるかどうかは危ういところであった。当時第一の戦略目標は何と言っても南方資源地帯の占領確保であり、ハワイに空母六隻もの兵力を派遣することはないという反対意見が多かった。実行するにしても、空母赤城、飛龍、蒼龍は途中で燃料補給を受けなければハワイまで到達できないなど、困難な条件が多かった。ようやく作戦の実施が決定され承認されたのは、昭和十六年十二月一日、作戦予定日の一週間前のことで、第一航空艦隊など作戦に参加する艦隊はすでにハワイを目指して航行中だった。実は、アメリカの諜報機関は真珠湾奇襲作戦計画を察知しており、大統領ほか米国政府の首脳は真珠湾が奇襲されることを知っていたが、米国政府は太平洋艦隊司令部には政治的配慮から一切情報を与えなかった。

「ニイタカヤマノボレ一二〇八」 日米交渉が決裂し、作戦実行予定日を通知する暗号電文が発せられたのは十二月二日のことだった。十二月八日に作戦を決行せよという意味だった。十二月七日、旗艦である空母赤城にDG旗が掲げられた。「皇国の興廃この一戦にあり……」有名な日本海海戦の際に掲げられたZ旗と同じ意味を持つ信号旗である。

十二月八日、夜明けとともに第一次攻撃隊が次々と発進した。戦闘機は爆撃機や攻撃機の安全を確保するため先に出撃し、飛行場の制圧に向かった。爆撃機、攻撃機はそれぞれ爆弾や魚雷を胴体に抱え、戦艦、巡洋艦など艦船を攻撃することになっていた。ハワイ上空には米軍機の影さえもなかった。攻撃隊隊長、淵田中佐は信号弾を放ち、突撃命令を下した。攻撃隊が真珠湾に達すると、米国太平洋艦隊の主力艦がまったく無防備な状態で停泊していた。

「トラ・トラ・トラ……」淵田中佐は奇襲成功という意味の「トラ」という暗号無電を何度も繰り返して打った。沖合で固唾を呑んで待っている空母赤城、そして広島湾の連合艦隊旗艦長門でも、この無電を傍受した。「長官、トラ・トラ・トラです」長門艦上の山本長官のもとに、その情報が伝えられた時、居合わせた誰もが小踊りして喜んだという。それは文字どおりの奇襲だった。まったく警戒もしていない停泊艦船に、攻撃隊各機は襲いかかり、日曜日の朝を迎えた美しい真珠湾をたちまち地獄絵図に変えてしまった。爆撃機は急降下の爆撃で逆落としに戦艦の巨体に爆弾をたたきつけ、攻撃機は低空から魚雷を放って巡洋艦の腹に大穴をあけ、戦闘機はわずかに応戦してくる米戦闘機を相手に獲物を狩る猛獣のように猛り狂った。

まもなく地上から反撃が始まり、対空砲や機関銃を撃ち始めたが遅すぎた。太平洋艦隊の主力艦たちは相当なダメージをうけていた。そして、第二次攻撃隊が傷ついた艦にとどめをさすように襲いかかった。太平洋を我物とばかりに威容を誇った太平洋艦隊は、僅かに二時間の攻撃で戦力のほとんどを失った。攻撃の成果に満足した奇襲部隊は攻撃隊を収容すると帰途についた。

しかし山本長官をもっと落胆させたのは奇襲攻撃が宣戦布告と同時ではなかったことである。駐米日本大使館の歴史的な不手際により、時間厳守という厳命が下されていたにも関わらず、宣戦布告の手続き時間を伸ばしたため、宣戦布告前に日本はアメリカをだまし討ちした形になった。戦争への不介入に傾いていたアメリカ国民世論は、パールハーバーのだまし討ちにあってから、一気に戦争意欲が盛り上がった。真珠湾奇襲作戦は大成功と言って良いのだが、政治的目的は大失敗に終わった。

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