| はじめに
我々がハワイに行って目にする「パールハーバー」は、おそらくアメリカという国家意志の正当性を誇示し、確認しあうためのモニュメントであろうと思う。この類のモニュメントは歴史的な象徴では決してなく、あくまで一歴史観の象徴であり、真珠湾攻撃をこのような局所に押し込んでしまうのはどうも納得がいかない。モニュメントを見て納得した風を装うのは、国旗を見て、「ああ、この国のことは全部分かった」というのと同じである。今回、真珠湾攻撃を、戦前の長きにわたる日米対立というよりダイナミックな視点から検証してみた。
戦争に至るまでの日米対立
日本という国家が国際社会に一躍飛び出したのは1905年の日露戦争が直接の契機となっている。日露戦争以前において日米両国の関係は実に良好だったといってよい。ロシアの南下政策を嫌がっていたアメリカ国民の感情とも、日本の政策は完全に合致していた。
しかし、それが一転、日露戦争での勝利となると徐々にこの関係に亀裂が生じ始める。まずそれまでイギリスの傀儡としてしか目されていなかった日本が、夢にまで見た「世界国家」として、あらゆる大国とのバランス・オブ・パワーの渦の中に放り込まれた。日本はここで最初のアメリカとの衝突を体験する。
当時アメリカは1898年のハワイ侵略をきっかけとし、サモア、グアム、フィリピンと太平洋を制覇。新進国として世界の舞台に登場し、日本の目と鼻の先まで彼らは勢力を拡大していた。このころからアメリカは世界戦略に着手し始め、1904年の米陸海空軍の統合会議では早くも日本がドイツ、フランス、イギリスという大国と並んで仮想敵国として、戦略シミュレーションにかけられている。世界戦略上必然といってもよいこの対立は、20年を経て中国に飛び火する。第一次大戦をパスし、着々と中国進出を果たしていった日本に対し、少しも中国での権益を得られず、足踏み状態のアメリカは明らかに日本に対しいらだちを感じていた。中国への投資が盛んな時代において日本の既得権益はまさに目の上のたんこぶである。
第二の衝突はいかようにも避けがたい「人種問題」であった。日露戦争はあくまで二国間の衝突という形を取りながらも、それまで白人にしか参加権のなかった世界を股にかけた陣取りゲームに突如として黄色人種が顔を連ねた事件であった。また、アメリカ国内でもヨーロッパ系移民と比べれば微々たる日系移民を新聞が「このままでは西海岸を大量の日系移民が支配することとなる」と大げさに警鐘を鳴らし、これらが相まって「黄禍」のイメージを生み出していく。馬鹿げたことに政府高官までも危機意識をあおられ、結果1924年の排日移民法へと結実する。
アメリカは人権主義の先鋭という一面もあることにはあるが、その逆にセンセーショナルな「世論」というのも実に深く政治の根幹をなしている。政治において、その間隙を詭弁を弄して埋めていくというのも大きな特徴である。
歴史教科書を見る限りでは、1941年の日米開戦があまりにも唐突に出現する。日本軍が盲目的な行動を起こしたといいたいのかもしれない。しかし、今まで見てきたような前提を踏まえてみると、やはり歴史は重層的で、かつ「植民地をめぐる競争熱」「黄色人種に対しての恐怖感」等、わずか半世紀〜一世紀後に生きる現在の我々にとってでさえ理解不能な部分が多々ある、という原点に帰らざるを得ない。
真珠湾攻撃とは
日露戦争より始まった日米対立は、実に根深く長期にわたって両者の間に横たわっていた。後でも述べるが「突発的で卑怯なだまし討ち−真珠湾攻撃」が直接、対米戦争へのきっかけとなったということなど絶対にあり得ない。あまりにも単純化されたものの捉え方というものだろう。以前、「アメリカと戦争が始まった、と聞いて実にすっきりした」という戦中を生きた人の話を聞いたが、これは正に的を得て妙である。何とも言い難い両者のねじれとでもいうべき感触が戦争を引き起こした、という方がまだましである。
とかく1941年12月8日、「パール・ハーバー」の事件が起こる。当時まだアメリカの州ではなかったハワイの攻撃に対し、アメリカ側が全面戦争をも視野に入れた戦争計画を打ち出してくるとはおそらく日本の軍政府は考えていなかったであろう。真珠湾攻撃の大成功を持って終結に向かう限定戦争を予期していたのだ。むしろ日本の関心は東南アジアにあり、筋道を立てていくのならば日本の攻撃によって相当な権益の剥奪を受けたイギリスとの正面戦争の方が真っ当である。この部分は明らかな戦略上の失敗である。単なる米軍基地の攻撃に「リメンバー・パールハーバー」と言われて、さぞ肩すかしを喰らった気分だったろう。
今回、この学習でいろんな本を読んでみたけれど、そうそう相対的な歴史的見地に立っているものはなかった。まず、題名に「真珠湾」とでも書かれているのならば即刻ダメである。全ての歴史が真珠湾を中心に回っているようで、どうも違和感を感じた。そこで敢えて真珠湾を注視することを避け、色んな戦闘データを見比べてみると真珠湾というのは言うほどのモンではない。仏ではないけれど一度社会的通念を捨ててみると、実に歴史がよく見えてくる。不謹慎かもしれないがそれが学問的態度であろうと思い、数少ないながらも学問書の方でそれを探すと結構いいものが見つかる。
聞けば日本の大学で「戦争学」を開講するとなると、それはダメらしく「平和追求」にさせられてしまうらしい。タブー視されている分野ではある。
おわりに
近代戦争史というのはいまだに未決定な部分が多く、書籍の類も混乱の極みにあると言える。しかし、日=卑怯、米=正義、というのは歴史観としては成立しないだろう。真珠湾攻撃にしても散々日本はガミガミ言われてきたけれども、最近、どうやら真珠湾奇襲の一時間前に米軍から日本の特殊潜航艇に対し攻撃があり、見事撃沈させられてしまった、という話を聞いた。さらに厳密に言うと、中国軍を装った米航空師団フライング・タイガーが中立国アメリカの立場にいながら昭和16年の段階で日本軍を攻撃し、これこそ宣戦布告無きだまし討ちであるとの話も耳にした。こんなもんである。決して日本に正義があったなどとは言わないが、まあ水掛け論の域を出ない。
我々はあの場所に行っていかなる態度をとるべきかと考えたところ、少なくとも反省する必要はないだろうと思い至る。それは浅はかで、やはり戦争問題を全く進歩させていない現状を維持するだけであろう。
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