| 移民のはじまりとその招致活動
1778年から1820年までの間にも多数の白人がハワイを訪れ、ここに定着したものも少なくなかったが、集団的移民は20年3月、ニューイングランドからキリスト宣教団が渡来したときに始まった。その後35年間に牧師、教師、医師、印刷技師、農業技師、実業家など、約150人を含む14の宣教団が渡来して多大の文化影響を及ぼした。また、彼らに続いてさらに多くの白人も移住してきた。
1875年、ハワイ政府は合衆国との相互協定の履行に必要な生産力(特に砂糖生産のための)を確保するとともに、原住民の激減に伴う極端な労働力の不足を補うため、移民の導入に積極的に動き出した。まず、1878年から6年間にハワイアンと人種的に近いと言う理由で約2000人のポリネシア人が主にギルバート諸島から招来された。しかし彼らは、労働生活や市民生活に適応できず、大部分がもとの島に帰ってしまった。他方、78年からさとうきび栽培のために来往したポルトガル人は成功し、1900年までに約16000人に達していた。この他、アメリカ人、ノルウェー人、ドイツ人、ロシア人、ポーランド人、マラガ地方のスペイン人、イタリア人などが続々と移住してきた。アジアからは同じくさとうきびのプランテーション労働者として、中国人が1852年以降大挙して押し寄せるようになり、恐れをなしたハワイと合衆国政府が中国人移民に対し度々制限措置をとるようになった。朝鮮人は1903年から05年にかけて7859人渡来したが、その後の増加はみられず1950年には7030人を数えるに過ぎなかった。
日本からの移民
日本人移民は1868(明治元)年に渡来した148人が最初。特に日本政府の移民制限措置が解除された84年から15年間は65034人もの人々が移住した。しかし日本人移民の中にはハワイを足場として合衆国本土に移民することを目的とし、ハワイになじまぬものも少なくなかった。その方が、日本政府のパスポートが取りやすかったからである。ちなみに、1900年6月から05年12月までの出入人口数をみると38029人がハワイに渡ったのに対し、42313人がハワイを去っている。しかしハワイに定着した日本人も少なくなく、主に労役にたずさわっていた。日露戦争後は日本人移民の目が満州(中国東北部)に向けられ、06年以降は日本政府が再びハワイへの移民を制限したため、その数は減少した。その後、24年に合衆国側から日本人移民が禁止されるまで、移住した人の大部分は結婚のためにハワイに渡った女性達で出生による日系人の増加も大きかった。
20世紀の移民
1908年、ハワイの全出生者4593人のうち日本人は2445人を占め、ハワイ政府の推計によれば全人口170000人のうち最も多かったのは日系人で72000人、以下、ハワイアンとその混血35000人、ポルトガル人23000人、中国人18000人、北欧系12000人、朝鮮人5000人、スペイン人2000人、プエルトリコ人2000人であった。その後合衆国による移民制限が厳しさを加えてくると、さとうきびのプランテーションはその労働力確保のために残されたフィリピン目を向け、1920年までに21031人を招来し、その後も受け入れを進めたため、60年にはフィリピン人は68641人となってさとうきび栽培に従事する労働人口中最大となった。第二次世界大戦後はあまり多くの移民は入っていない。今日ハワイは合衆国50州のうちでいわゆる白人が過半数を占めていない唯一の州であり、人種的偏見は非常に少ない。しかし最近の統計では、白人が最も多く、38.8%を占め、次いで日系人が28.3%、次ぎにフィリピン系とハワイアン系が最も多く、以下中国系、朝鮮系、黒人系の順となっているが、今日では混血があまりにも多いため人種統計は正確なものといえなくなった。 |