| ■カメハメハ王朝の成立
1778年、ジェームス・クックという探検家が欧米人では初めてハワイを訪れた。当時、ハワイ諸島はいくつもの部族集団から成り立っており、部族間での争いが絶えなかった。カメハメハ一世は、ハワイ島の有力部族の首長の甥であった。カメハメハ一世は首長の死後勢力を伸ばし、1795年にはハワイ本島を完全に制圧し、ハワイ王朝を樹立した。
カメハメハ一世が他の部族に勝利した背景にはハワイを訪れた西洋人の協力があった。特に重要な人物はアイザック・デーヴィス、ジョン・ヤングという二人のイギリス人である。二人はカメハメハ一世の希望でハワイ島に居住し、大砲や銃の提供と共にその使用法を教えた。また、カメハメハ一世も、彼らに土地や高い地位などを与え優遇した。
その後カメハメハ一世は、1810年にハワイ全島の統一を成し遂げた。
■カプの廃止
当時、ハワイではカプと呼ばれる禁令制度があり、人々の行動を束縛していた。カプというのは、タヒチの言葉でタプと呼ばれ、英語のタブーの元となった言葉である。カプは、主に性に関するものが多く、食事や生活に関して事細かな決まりがあった。
○食事に関するカプ
・女性は、豚・バナナ・ココナツ・サメ・アカエイ・マンタエイ・クジラなどの決められた食べ物を食べてはいけない
・調理は全て男性が行う
・男女が同一の獣の肉を食べてはいけない
・男女が共に食事をしてはならない
○生活に関するカプ
・夫はクク(妻が布を織る家屋)の他に、食事をとる家屋を夫婦別々に建てなければならない
・男女は寝るための家屋には共に入ってよいが、そこで飲食することは禁止される
・ムア(男性が食事をとる家屋。祖先崇拝、人生儀礼、豊饒儀礼などの儀式も行われる)への女性の立ち入りは許されない
・寺や神殿として機能する場では男性のみが礼拝を行い、女性の出入りは禁じられる
カプを破った者は、死刑もしくは神への生け贄という厳しい罰を受けたと言われている。数世紀に渡って、続けられてきたカプであったが、1819年カメハメハ二世の決断により廃止された。それと共に古代宗教も禁止され、さらにキリスト教や西洋文化が入ってきたことから、ハワイ固有の文化は次第に衰退していった。
■カメハメハ三世の政治
1824年に位についたカメハメハ三世は、様々な改革を行った。彼は本格的な西欧近代化政策を取り、1839年にはイギリスのマグナ・カルタを手本にハワイの権利宣言を公布した。さらに、翌年にはハワイ初の憲法を設立し、これによりハワイに立憲君主制が成立することとなった。
また、1850年には外国人が不動産を永久に所有することが認められた。そのため、白人移住者は次々と土地を購入し、1886年には政府が所有する領土の約3分の2までが彼らの手に渡った。土地を所有した人々は、大規模な砂糖きびのプランテーション経営を始め、1820年代から行われていた捕鯨と共に砂糖きび産業がハワイを支える産業となった。産業が盛んになったことを受けて、教会や学校が相次いで建てられ、文化的にも一層の西欧化が進められた。
カメハメハ三世の改革は、白人の協力のもとにあり、彼は白人の官僚を多く雇った。その結果、白人達の勢力が強まり、ハワイは次第に民主化へと傾くことになる。
■カメハメハ王朝の滅亡
白人がその勢力を増すなかで、最も力を持っていたのはアメリカ人であった。彼らは、ハワイを民主主義国家にすることを望み、王朝の縮小を求めた。
しかし、カメハメハ四世・五世が目指したのは、これと異なるイギリスの貴族主義的君主制であった。カメハメハ五世は、1864年に新しい憲法を制定し専制的な政治をしたが、1872年に若くして死んでしまう。
彼には子供がいなかったため、跡継ぎには王族のルナリオ王が選ばれた。ルナリオ王は、カメハメハ四世・五世とは逆に、アメリカ寄りの政策をとったが、在位一年で死去する。
その跡を継いだカラカウア王は、アメリカと通商互恵条約を結び、アメリカへの依存度を高めていった。しかし、同時にアメリカ勢力を驚異と見た彼は、アジア・太平洋地域に同種族の連合を形成し、ハワイ王国を世界に認めてもらおうと考え、世界周遊の旅に出発した。彼はこの旅で日本にも訪れており、明治天皇に日本人移民の要請などをしている。その結果、1885年に日本人が移民されたが、あまり効果はなく、1887年にはアメリカ勢力によって強引に新憲法が承認された。
カラカウア王の死後、彼の妹であるリリウオカラニ女王が王位を継いだ。彼女は王朝存続のために、ハワイ原住民の権利を取り戻す憲法を発布するなどの精力的な活動をみせたが、強大なアメリカ勢力には抗えず、1893年にはアメリカ勢力の暫定政府が樹立された。その翌年には、新しい憲法が発布されハワイ共和国が誕生し、1895年リリウオカラニ女王は王位を放棄した。これにより、百年近く続いたカメハメハ王朝は、その歴史に終止符を打った。
その後、ハワイが正式にアメリカの領土として併合されたのは1898年のことだった。
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