| ■フラダンスとは?
我々日本人に最も馴染み深いポリネシアン文化といえば、フラダンスであろう。「ハワイ」「ポリネシア」と聞くと、この光景を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。それだけ、あの特異な踊りは我々に強い印象を与えている。フラダンスは「ポリネシアン文化」という異文化を象徴している、といっても過言ではないだろう。しかし、我々はこのフラダンスについて、あまり多くのことを知らない。
フラダンスといえば、あの「太鼓のビートにのって、民族衣装を着て、手や腰を激しく振る踊り」を考える人が多いであろうが、あれはフラではない。あれは「タムレダンス」というもので、フラダンスの起源といわれているが、タヒチの民族舞踊である。
ハワイの伝統舞踊である「フラダンス」の現地語、つまりハワイ語での正式名称は「フラ(hula)」といい、原義は「踊る」である。しかし、もちろん「踊る」だけではない。その一つ一つが決まった物語を持っている。ポリネシア語の詩、独特の振りが、物語を構成しているのだ。もちろん、フラはその他にも民族衣装、多種多様な楽器によって構成されている。
・Lei 花、葉、バナナの繊維などを、つないだり、編んだり、巻き付けたりして作る首飾り。神の力(マナ)を得るために着用。現在は一般市民に親しまれ、大衆化している。
・Ipu ( Ipu Hake ) ひょうたんの形をした打楽器。
・Pahu 楽器。ヤシの木でつくられた太鼓。
・Puili 楽器。竹を割って作った棒。叩いて音を出す。
・Uli Uli 楽器。マラカスのようなもの。ラーミアの実からつくられる。
・Ili Ili 楽器。火山の石。叩いて音を出す。
上記のように、フラは他の文化の舞踊同様、高度で、洗練された、芸術の1つなのだ。
■フラの種類
フラは、その物語の内容によって、フラ・カヒコ(古典形式のフラ)とフラ・アウアナ(新しい形式の自由なフラ)の2種類に分けることができる。カヒコの物語が、多くの宗教的意味を持つ神話、伝説、神への賛歌を起源とし、時代背景をふまえた王朝への賛歌、大地と自然への詩、などハワイの歴史と文化のいろいろな要素を含む一方、アウアナの物語は、主に男女の愛の要素を含み、その詩はいわゆるハワイアンソングである。我々がテレビ、観光などでよく目にする、ムームーをつけ、ウクレレ、ギターの音楽にあわせて踊るフラは、アウアナである。どちらも詩の意味を理解し、心をこめて踊られることに違いはなく、ハワイの住民から愛されている。しかし、外国人の視点から見ると、カヒコは伝統のフラ、アウアナは観光のフラ、と分けることができる。この違いは、二つのフラが持つ歴史の違いによるものである。
■フラの歴史
フラは、前にも述べたように、タヒチから持ち込まれたものだといわれている。そして、ハワイの伝説によると、ハワイ島の南東部のプナ地区で初めて踊られたとされている。フラの歴史は、ハワイ島から始まった。
フラは神話の中にもその起源や、神々がに興じている様子を描かれているフラは、もともと神への礼拝の儀式の際に、男女の踊りとして奉納されていたものだった。それが、本来の踊りであるカヒコである。カヒコは、神聖であり、勇壮であり、また厳粛でもあった。そのため、神殿(ヘイアウ)儀式では、精神の修養、訓練を重ねた特別な男性しか踊ることを許されていなかった。ここからもわかるように、フラは立派な宗教儀式であるだけでなく、神話や物語の伝承という役割も担っていた、きわめて重要なものだったのだ。
豊漁や豊穣の願いを神に託すために、多くのチャント(詠唱、メレ・オリともいう)が詠われた。しかし、古来のハワイに文字がなかったため、その神話、伝説などの物語を継承するのに、フラの踊り手(当時は)はチャントを発達させ、さらに、詩に韻をつけて覚えやすくした。その韻をつけた言葉をメレ・フラ(メレとは詩という意味)といいここから、フラに多様な物語性が生まれていった。
フラの物語の多くにはカオナという隠れた、裏の意味があった。その意味の多くは男女関係に関することであり、アウアナが持つ物語が誕生する1つの起源であったと思われる。
以上に述べたことの大半は、フラ自身によってその歴史が伝説として語られている。歴史的な証拠は一切なく、実際のところ、はっきりとは言えない。フラがヨーロッパの世界に認知され、はっきりとしたことが言えるようになるのは、18世紀のクック船長のハワイ訪問からで、当時盛んにフラが踊られていたことが記録されている。古代から、伝統的に踊られてきたフラであるが、その後19世紀の前半、キリスト教の宣教師達により、「野蛮で、淫らなもの」とみなされ、教会と関係の深かったハワイ王室によって、フラを公の場で演じることは厳しく禁じられた。キリスト教の宣教師達は、自然崇拝が布教の邪魔になると判断したのである。これにより、ハワイの伝統文化は暗黒期にはいる。(このような現象はポリネシアのいたるところでおきた。)しかし、その間も教会の目が届かない所ではフラは継承されていた。
19世紀後半に即位したカメハメハ5世や、カラカウア王が、ハワイの伝統文化の重要性を認識し、先住民の文化を取り戻すため文化復興の運動がおこる。王はフラの復興に力をいれ、フラを奨励し、完全に復権した。この流れをくんでいるのは、もちろんカヒコである。また、もう一方で19世紀後半になると、欧米からの音楽や楽器が導入され、その結果として、従来の打楽器のリズムのみで踊るカヒコとは違い、ウクレレなどの楽器の演奏でメロディと共に踊る新しいスタイルのアウアナが発達した。アウアナは、英語混じりのハワイ語の歌詞、もしくは全て英語だけの詩に併せた踊りとしても発達し、ハワイの観光開発と併せて繁栄し、現在も続いている。
フラのその後(福田)
1970年代頃から、ハワイの先住民族の意識が高揚し、ハワイアン・ルネッサンスという運動となり、政治権力、文化、芸術、宗教などの広範囲に及ぶ変化をもたらした。
アウアナの繁栄により、やや影が薄くなってしまったカヒコも復権し始め、フラ全体としても大衆化した。それに加え、プロダンサーの養育も行われた。今現在では多くの生徒が、クムフラ(先生)から振り付けやステップ、カオナを含むチャントの内容、背景、また発音など、フラ・ハラウ(フラ道場)でフラを熱心に学んでいる。伝統的な踊りの復元や、伝統的な手法に基づいた新しいフラの創造も盛んに行われている。
これからも、フラはポリネシアン文化の象徴として、また、ハワイの住民のアイデンティティとして、踊られ続けるに違いない。 |