■修学旅行事前学習 ------ 東大寺学園編
ハワイの歴史・文化について ---- もどる▼
ハワイの歴史について
1.ハワイの誕生

ハワイ諸島の連なりは、東太平洋海膨とほぼ直角に並んでおり、島のできた年代は海嶺に近いほど新しい。ここで海膨とは海嶺に比べて斜面の傾斜がゆるやかなものである。この場合海洋底が西の方へ動いているので西にある島ほど火山の年代が古い。ちなみにカウアイ島は560万年前には現在のハワイ島付近にあったと考えられている。またハワイ諸島」は火山噴出物からできている。このことから現在も火山活動中のハワイ諸島は、マントル対流の上昇部がマントルの奥深くから柱状に地表に出たところと考えられる。このようなところを「ホットスポット」と呼んでいる。これらの事実は海洋底拡大説でうまく説明することができる。ホットスッポットはその出口がマントル奥深くに固定されているため、海洋底が移動しても動かないと考えられる。したがって、海洋底が西の方へ動くと、ホットスポットからの噴出物でできた島は西の方へ動く。そして新たにホットスポットとなったところに島ができるというように、火山列島ができたと考えられる。

2.ハワイの原住民と植民

@ハワイの原始と発見
紀元前300年から600年にかけ、2000マイル南方の島々からやってきたポリネシア人がハワイ諸島に落ち着いた。初めてヨーロッパ人が訪れたのはキャプテンクックで1778年である。1820年宣教師が読み書きを教える。キングカメハメハ3世とその部下達が初めて憲法と法律を作り、公立学校の制度を導入した。1835年砂糖産業が開拓され、主要産業となった。1893年リリウオカラ女王が退陣し、サンフォートBがドールが率いる共和国に移行、1898年合衆国に併合となる。

Aポリネシア文化
ポリネシア諸島はハワイ、ニュージーランド、イースター島からなる三角形の中の島々で「ポリ」はたくさんの「ネシア」は島という意味である。主食は肉もしくはタロイモなどで彼らは移動しながら狩猟採集というはるか昔からの生活を20世紀に入ってからも続けており道具も移動時に持ち運びできるごく限られたものだけを使用している。実際には道具を導入する機械があったにもかかわらずあえて必要以上のものを選ばなかったのは自然資源の利用を最小限に抑える深い考えがあったのではないかと思われています。多数の島において見られる岩壁画には様々な深い絵が残されています。あとハワイはないがニュージーランドの先住民マオリ族はポリネシア文化の中でも優れた特色があるといわれ、特に螺旋文様は特徴として顕著で顔面や体に施される入れ墨やカヌーなどの彫刻にも用いられている。また緑石の石斧やの作業は他のポリネシア文化ではあまり見られない。

Bハワイ王朝
元々、ハワイは王国でカメハメハ一族が統治していた。カメハメハとはハワイ語でとても孤独な裏切り者という意味でそれは生まれるときに予言で「この子は裏切りの子でありいつか酉長を裏切るであろう」といわれたので父親はカメハメハを殺そうとしました。故に密かに育てられた幼年期から孤独な生活を余儀なくされました。
父のあとを継いだカメハメハは外交手腕がありハワイのビャクダンの着を輸出し財をなすと火器を手に入れ1795年5月ヌウアヌパリの戦いでオアフ軍を壊滅させハワイ全土を支配下におきました。ハワイ全土を統一した王となったのです。カメハメハ3世の時アメリカはハワイを併合しようと虎視眈々と狙っていたのですが、彼の努力により回避されました。1840年彼は憲法を作り男性」に選挙権を与えました。3年後英仏米によって独立国と認められました。カメハメハ4世のころ外国との接触が多くなり伝染病によって、免疫のないハワイ人の人口が100万から13万8千人になるまで減るという状況におちいりました。人の減少によりさとうきビ畑の人手も減りそれを補う為にアジアの国々から移民を受け入れました。このとき、日本からもたくさんの人が渡っています。それからハワイの文化はいろいろな国の影響を受け多様化していきました。カメハメハの血統が5世で絶えるとルハリオ王となりますが1年ほどで病に倒れ次のカラカウア王に移りました。彼は外国人の力を抑え、王の権力を強化しようとしますがうまくいかず1887年何百という外国人がハワイ同盟を作り王に新しい憲法を受け入れるように求めました。新しい憲法は王の権力を奪い今の日本のように象徴としてのみ王の存在を認め白人に選挙権を与えるというものでした。しかしアジア移民には選挙権は無かった。最後のハワイの王はリリウオカラ二女王で50を過ぎてから女王になりました。彼女はベイオネット憲法をハワイ人にとって良いものにしようとしますが失敗に終わります。1892年ハワイ議会はアヘンを輸入し売ることを許可する法案を出しますがその法案は中国に有利なもので当時女王はすべての法案にサインをせねばならず拒否権はありませんでした。1893年1月ホノルル港の船から軍隊が送られ、リリウオカラニは王権を略奪され、1894年サンフォート、ドールが大統領になりハワイ共和国が設立されます。1898年ハワイはアメリカ合衆国に融合され、1900年合衆国領土となり1959年8月21日に50番目のアメリカの州に定められたのです。

3.現在のハワイ

現在ハワイへは年間二百十万人もの日本人が訪れている。この二百十万のうち6割がリピーター(一度ハワイに行ったことがあり、また訪れたきた人)であり、ここからもハワイを愛する日本人が多いということがわかる。オワフ島にはワイキキという有名な所がある。
ここには、ABCストアーというとても強力なコンビニエンスストアーがある。狭いワイキキだけでも焼く40店舗もあり、まさに「三歩歩けばABCストアー状態」と言われている通りである。またワイキキは日本人でとてもにぎわっている。主要レストランを始め、ショップ、レストランも日本語のできるスタッフがいて、街を歩いても日本語があふれている。まさにワイキキは日本語入らずという感じで、日本円がつかえる店も珍しくない程であるという。ハワイでは、日本と違ってサービスに対してお金を払ういわゆる「チップ」という習慣がある。これは、サービスを職業とする人にとっては大切な収入源であり、上手に払えるようにばれば、旅の上級者に一歩近付いたといえるだろう。またチップは基本的に紙幣で渡すことが礼儀とされているので、注意が必要である。ハワイでは車は日本と違い右側通行である。また驚くことに、信号が赤でも、安全を確認して歩行者や車の通行の邪魔にさえならなければ、右折することは可能である。また3歳以下の子供のチャイルドシートへの固定が義務づけられている。」 以上

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