編集長へなちょこ・しゅんが語るハワイの歴史
編集長へなちょこ・しゅんの本「行くべしオアフ島、見るべしオアフ島」の中で、まったく個人的興味から書いてしまった歴史のコーナーに予想以上の反響がありました。「けっこうおもしろかった」「もっと知りたい」 etc.....そうか、じゃあ、もっと書いちゃおう、ということで唐突に始めてしまったコーナーです。個人的見解が入りまくってるコーナーですのであらかじめご了承くださいまし。元祖ハワイタイムマシーンはこちら▼
  <22>  50番目の州へ
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真珠湾攻撃があったときも、日本に原爆が落ちたときも、ハワイはアメリカの「州」ではなく「テリトリー」でしかありませんでした。現在のグアムやサイパンと同じですね。その「テリトリー」が「州」になったのは1959年のことでした。ちなみに49番目のアラスカ州も州になったのは同じ1959年なんですが、そのひとつ前、48番目のアリゾナ州は1912年の成立です。どうして、こんなに間が空いているのでしょうか。というわけで、今回はハワイが州になるまでのお話です。
★「サイパンは北マリアナ連邦ではないのか?」というお問い合わせをいただきました。書き方が悪かったかもしれません。グアムは「アメリカ準州」で、北マリアナ連邦は「アメリカ自治領」です。グアムには英語で「テリトリー」と書かれていますが、北マリアナ連邦には「テリトリー」という文字はありません。が、北マリアナ連邦の行政はアメリカ管理となっていて、要はアメリカの領土みたいなもんです。
★中津川市民さんから、メールをいただきました。上の
「サイパンは・・・・・要はアメリカの領土みたいなもんです」 の記述に対してです。
内側の人(サイパン人)から見るとどうもアメリカ領土である、とは思っていないようです。詳しいことは分かりませんが、サイパンに旅行したとき、何かの雑誌の取材で白人のサイパン人の女の子のが最後に(自分が白人なのにあくまでも自分も現地チャモロ人としての発言で)「黒い顔してたってなにも食いつきゃしないわよ」と答えていたのを 強く覚えています。書き方が悪いので分かりづらいかと思いますが、この発言から、「自分達はサイパン人であり、アメリカ人ではない」との意志を受けました。なるほど、と思った次第です。
なるほど。ハワイと同じで、サイパンも自分の意思でなく、アメリカの一部(というか領土)にされてしまった島なのでしょうね。軽率なコメントでした。すいません。
まずは、さとうきびプランテーション創業当時まで遡らねばなりません。ハワイがまだアメリカの「テリトリー」にすらなっていないころ、ハワイに、製糖業が興りました。さとうきびを栽培し、砂糖を作る産業です。プランテーションを経営するのは白人たちでした。
プランテーションから5つの財閥が生まれました。
■ブリューア
■セオ・デイヴィーズ
■アムファック
■キャッスル&クック社
■アレクサンダー&ボールドウィン
いずれも名前は変わってますけど現在も会社として存続してるそうです。カハラマンダリンを経営してる会社もそのひとつですね。これら財閥が、労働力としてアジア系移民を受け入れたわけです。そしていつしか、ハワイの人口はアジア系が圧倒的に多くなっていました。
白人経営者たちは経済力をバックに、ハワイ王国に食い込んでいきます。そしてカラカウア大王が亡くなると王国を倒し、アメリカのテリトリーにしてしまいました。もちろん、目標は「州になること」です。
白人経営者たちは自分たちの商売のためにもアメリカの州になることを望みましたが、アメリカは躊躇(ちゅうちょ)しました。アメリカと日本の関係が怪しくなっていたからです。日系人がたくさんいるハワイを州にしてしまっていいのか。もし彼らが日本についたら、太平洋は日本のものになってしまうのではないか。確かに、地理的なことを考えると、アメリカが不安になったのもわからんでもないです。
大東亜戦争がはじまり、不安いっぱいのアメリカは、ハワイの日系人を強制収容所に送ります。が、全員をほうりこんでしまったら、さとうきびプランテーションが機能しなくなるので、一部の指導層だけを収容しました。
この屈辱的な対応に、日系二世たちが立ち上がったことは日系人部隊の章でも書きました。日系人の誇りを背負って戦った彼らは、何よりも強かった。戦争が終わったとき、アメリカは日系人たちを見直すことになります。勲章の数も、戦死者の数も、圧倒的でした。
生きて帰ってきた彼らが、ハワイの日系人社会を変えていくことになります。アメリカ軍には、GIビルという軍人のための奨学金があるそうです。彼らはこの奨学金を使って、大学へ行ったりアメリカ本土へ留学したりします。そして、就学後、弁護士や医者といった仕事についたのでした。

二世たちは、戦場で日系人の信頼を取り返し、そして社会に影響力を持つ存在になったのです。さとうきび畑の肉体労働者をしている親たちは嬉しかったでしょうね。親にとって子供が自分を越えてくれることほど嬉しいことはありません。

大東亜戦争が終わり、ハワイは再び、アメリカ49番目の州になるための運動を始めます。
パールハーバーの章で、日本と戦争をしたかったのは民主党アメリカで、共和党アメリカは反対だった、と書きました。では、戦争当時のハワイはどうだったか、というと、共和党が強かったそうです。事業主というのは保守党(この場合は共和党)支持になりますからね。が、戦争が終わり、日系二世たちの選挙権が有効になってくると、勢力が逆転します。労働者のため民衆のための政治を、というわけで、民主党が強くなってきたのです。
写真左は、若き日のダニエル・イノウエ議員です。イタリア戦線で右腕を失った元442部隊の兵士です。ダニエルさんは、1954年、ハワイ自治州の議員に当選します。もちろん民主党です。とうとう日系人が政界に進出するまでになったのです。
そして、1959年、ハワイははれてアメリカ50番目の州になりました。この時に、ダニエル・イノウエさんは、日系人として初めて、アメリカ合衆国議会の議員(下院)となられています(1963年には上院議員に)
ダニエルさんはほんの一例です。今、ハワイで見ることのできる多くの企業は、日系二世が起業したものです。いちいちあげてたらキリがないくらい。現代の話ですから、もうここでは紹介しないでおきます。
1950年代に、アメリカではマッカーシズムが起こっています。赤狩りとか言われたりする共産主義者攻撃ですね。ハワイは労働者が民主党を支持する、アメリカにすれば珍しく左より(日本の感覚で言えばというたとえ話です)な地域です。これがハワイ州立化を遅らせた、という見方もあるそうなんですけど、とにかくまだ歴史が浅すぎてよくわかりません。興味のある方は調べてみてくださいまし。
.................つづく
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