編集長へなちょこ・しゅんが語るハワイの歴史
編集長へなちょこ・しゅんの本「行くべしオアフ島、見るべしオアフ島」の中で、まったく個人的興味から書いてしまった歴史のコーナーに予想以上の反響がありました。「けっこうおもしろかった」「もっと知りたい」 etc.....そうか、じゃあ、もっと書いちゃおう、ということで唐突に始めてしまったコーナーです。個人的見解が入りまくってるコーナーですのであらかじめご了承くださいまし。元祖ハワイタイムマシーンはこちら▼
  <21>  大東亜戦争
← 20 21 →
前回に引き続き、アーミーミュージアムの展示から始めたいと思います。このミュージアムの前に、大東亜戦争で戦った、米軍と日本軍の戦車が展示されています。日本軍のカラーリングが、なぜかドイツ軍のカラーリングになっていますが、それはそれで別問題として置いておきます(ほんまは文句言いたいけど)
大きさが、こんなに違います。戦争は戦力の差がものを言います。戦力の差=物資の差。この展示を見るだけで、どっちが勝ったかわかります。
さて、大東亜戦争といえば、映像として取り上げられるのは主に真珠湾攻撃ばかりです。なぜ他の映像が出てこないのか。理由は2つあります。

1■日本に勢いがあったのは最初だけで、ミッドウェイ海戦のあとは押されっぱなしでした。なので、後半の映像はアメリカが日本を一方的にいじめてるようなものばかりです。いじめてるような映像は、ちっとも自慢にならないので、あまり使われないわけです。ちなみに、この時代の映像はアメリカのヒストリーチャンネルではよく流れます。海に浮かんでいる日本兵を米兵がマシンガンで撃ってる映像なんかもあります。編集長はそれを見て、目から血が出るほど腹が立ちました。

2■アメリカ軍によって、日本軍がアジアで戦っていた記憶は消されてしまったから。戦後、アジアの戦場の映像は抹殺され、大東亜(東アジア)戦争という言葉は「太平洋戦争」に置き換えられました。これにより、日本国民はアジアを舞台に戦っていたことを忘れさせられます。いやいや、これ、編集長の作り話ではありません。たとえば、大東亜戦争という言葉を使用禁止にすることは、GHQの日本占領方針を書いた資料の中に、ちゃんと明記してあります。

太平洋戦争=真珠湾攻撃と、すぐに連想してしまいますが、実際は、この戦争はハワイと関係ないところで続けられました。っていうか、一方的にやられまくりました▼

1941 12月 真珠湾攻撃
1942 1月 タイ、米英に宣戦布告(日本とタイが同盟を組んでたの知ってました?)
4月 東京大空襲(真珠湾攻撃から半年もしないうちに首都が空爆されている!)
6月 ミッドウェー海戦(この大敗により、日本海軍は制海権を失う)
★ここから先、日本は実質受身の戦争になります。
8月〜 アメリカ軍、ガダルカナル島に上陸
ソロモン海戦(じわじわとせめられる日本軍)
1943 2月 ガダルカナル撤退
4月 連合艦隊長官 山本五十六戦死
8月 ビルマ独立宣言。しかも米英に宣戦布告!
10月 フィリピン共和国独立宣言
※大東亜戦争がアジア諸国独立のきっかけになったことは事実です。いい悪いは別として、ほんまに、このことは事実なので知っておきましょう。
1944 7月 サイパン陥落
アメリカ軍グアム島上陸
10月 レイテ沖海戦
1945 2月 ■ヤルタ会談■ドイツも日本も敗色濃いこの時期に、米英ソ連の3首脳がクリミア半島のヤルタ市に集まって恐ろしい相談をしました。簡単にいえば、戦後の世界をどう仕切るかという相談です。東西冷戦も、日本の北方領土問題も、もとはといえばこの会談が原因のようなもの。ちなみに、この会談の結果、日本には進軍しないと約束していたソ連が、満洲になだれ込んでくることになります。
アメリカ軍硫黄島に上陸
4月 アメリカ軍沖縄本島に上陸
戦艦大和撃沈
5月 ドイツ無条件降伏
7月 天皇が和平交渉を推進することを決められ、日本は、ソ連に調停役をお願いしようとします。が見事に断られます。だって、ヤルタ会談でいろんなことを相談した後ですからね。昔から、日本は状況把握とか外交に弱かったわけです。悲しいけど。
8月6日 広島に原爆投下。こら、日本の負けは見えてるだろうが!
8月8日 ソ連、日本に対して宣戦布告。こら、日本の負けは見えてるだろうが!
8月9日 長崎に原爆投下。お前らええ加減にせえよ。人体実験するな!
8月12日 ソ連軍、朝鮮半島に上陸。こらこら、どこまで降りてくるねん!
8月15日 天皇による終戦の詔勅(玉音放送)
8月16日 ソ連、北海道北部を占領させてくれと提案。どんな提案やねん!ほんまにええ加減にせなあかんで。いやしかし、占領されなくてよかったです。
8月17日 インドネシア共和国独立宣言
9月2日 ベトナム民主共和国成立宣言
日本、降伏文書に調印する
降伏文書調印は戦艦ミズーリの上、海上で行われました。なぜ、日本の地でやらなかったのか。これは、すでに抵抗力をなくした日本に、なぜ原爆を2発も投下したのか、ということと大きな関係があります。アメリカは、この時すでに、戦後の新たなる敵、ソ連を見ていました。日本が降伏したたった5年後に、アメリカは、ソ連と朝鮮半島を分断する戦争を始めるのですから。
ちなみに、降伏文書には、アメリカ、イギリス、中華民国、オランダというABCD包囲網の面々だけでなく、ソ連、オーストラリア、カナダ、フランス、ニュージーランドという国々の名前が並んでいます。どんだけ並べるねんって感じです。ソ連なんか、約束やぶって勝手に満洲に進軍してきたのに名前を連ねてます。ひどいもんです。
どんどん書いてしまいそうなので戻します。
第二次世界大戦の映画を見ればわかりますが、当時のアメリカ軍は白人ばかりでした。黒人部隊、アメリカインディアン部隊など有色人種は別編成にされてました。それだけ人数も少なかったということです。日系人部隊は、こういう特殊?部隊のひとつやったわけですが、他の部隊とは事情が違っていました。アメリカが戦っている敵、日本人の顔をしているのですから。
日系人部隊は、ヨーロッパで大活躍します。ドイツ軍を蹴散らし、危機に陥っているアメリカ軍を何度も救います。
その活躍ぶりはこちら▼
そして、日系人部隊の兵士たちがハワイへ帰ってきました。これは、何度見てもジーンときてしまう「我が子を抱きしめる1世」の写真です。
.................つづく
← 20 バックナンバー一覧 21 →

(c) 1999 Go-Hawaii.com All rights reserved