編集長へなちょこ・しゅんが語るハワイの歴史
編集長へなちょこ・しゅんの本「行くべしオアフ島、見るべしオアフ島」の中で、まったく個人的興味から書いてしまった歴史のコーナーに予想以上の反響がありました。「けっこうおもしろかった」「もっと知りたい」 etc.....そうか、じゃあ、もっと書いちゃおう、ということで唐突に始めてしまったコーナーです。個人的見解が入りまくってるコーナーですのであらかじめご了承くださいまし。元祖ハワイタイムマシーンはこちら▼
  <15>  リリウオカラニとハワイ王国の最期
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1887年、白人によるクーデターが起こります。白人勢力がハワイを共和制にすべきだ!と立ち上がったのです。これだけ聞くと、何のこっちゃ?と思います。当時の人口比率は左のとおり。白人たちの締める割合は30%ほどしかありません。30%の人間が「共和制にしたい!」と言ってあばれるのは、ただのわがままですな。

ちょっと補足します▼

共和制
主権が国民にあって、国民の選んだ代表者たちが合議で政治を行う政治のかたちのこと。共和制をとってる国を共和国と言います。アメリカは共和国です。名前に「共和国」ってついてる国がありますが、実際はちっとも共和制でない国がいっぱいありますね。あ、余計なこと書かんとこ。で、共和制の反対は▼
君主制
単独の首長により治められる政治のかたちのこと。首長は普通、世襲(親から子、または親族へ)されます。王が君臨する王国は君主制なわけです。日本には天皇がいてはりますが、政治は憲法によって治められてるので、立憲君主制というのだそうです。
★新宮隆さんからご指摘をいただきました。立憲君主制は戦前の日本の体制で、今は「象徴天皇制・議院内閣制」というのだそうです。すんません。というわけで、こうなります▼
日本の天皇は、世襲制ではありますが、政治には形式的な部分でしかタッチしません。
当時のハワイ
ハワイは、この時、王国でした。君主制です。カラカウア王が、ハワイという国を動かしてたわけです。が、グレートマヘレ以降、ハワイには、アメリカ系白人たちの資本がどんどん流れ込んできていました。土地を持ち、事業をおこなっているのは白人。労働者はハワイアンとアジア人、という図式ができあがっていて、発言力があるのはもっぱら白人でした。
カラカウア王
カラカウアは当然のことながら愛国心いっぱいです。白人たちに支配されていくハワイをなんとかハワイアンの手にもどしたい、と思っていました。そして、思うだけでなく、実際に行動しました。イオラニ宮殿を造ったり、日本と同盟を結ぼうとしたり。この精力的な国王の動きは、白人勢力にとって脅威でした。
ホノルルライフルズ
事業主である白人たちは、この体制を変えられたくありません。で、アメリカがイギリスの君主制から独立して共和制国家として誕生したように、ハワイを共和国にしたいと思っていました。共和制になれば、自分たちの思うがままに国を動かせるわけですから。で、ハワイ王国を改革したい「改革党」を結成しました。さらに、ホノルルライフルズという武装集団までもつくります。この武装集団がクーデターの際に活躍しました。
いやしかし....
アメリカ独立13州はイギリスの植民地からの独立でした。でもって、アメリカ大陸は、先住民のインディアンたちがいたとはいえ、そこに国家はありませんでした。が、ハワイ王国はちゃんとした独立国家なのです。その国のシステムを変えようとしたわけで、改革党がやったのは、改革ではなく「乗っ取り」でしかありません。
で、クーデターの結果、こうなりました。
■カラカウア王は議会の承認なしに政治に関与できない
■ハワイアン、アジア人には選挙権が与えられない
要は、白人たちの支配する国になったわけです。そんなアホな!
このとき、宣教師の孫たちで組織された宣教師党なるものもできていました。彼らは次の王になることが決まっているリリウオカラニに接近し、リリウオカラニを懐柔しようとします。
リリウオカラニのダンナさん(ジョンドミニス)が白人なので、白人のいいなりになるだろうと思ったのだそうです。もちろん、リリウオカラニは怒って追い返します。細かくかくとキリがないし、腹が立ってくるので、詳しく知りたい方はこちらをどうぞ▼
■ハワイ王朝最後の女王
■猿谷要 著:文春新書
1889年、イタリア留学から帰ったウィルコックスという若者が立ち上がります。ふざけんな!と白人たちに立ち向かったわけですが、彼は逮捕されて、この反乱はあっけなく終ります。
ダウンタウンに、彼の銅像があります。いや、実は、このページのために歴史を調べるまでは、だれ?と思ってました。こういう骨のある若者がいたんですね。すばらしい。
カラカウアはボロボロでした。1890年の冬に、カラカウアは、アメリカへ渡ります。貿易を有利にするため、そして持病のリウマチを療養するためでした。が、それは逆効果でした。翌1891年、カラカウアは棺に入ってハワイへ帰ってきました。リウマチが悪化してしまったのです。いやしかし、最悪な状況です。
必然的に、後継者リリウオカラニが即位しました。レレイオホク、バーニス、リケリケ、そしてカラカウアまでも失い、リリウオカラニは孤独でした。そして彼女が引き継いだ王国には、白人勢力がキバをむいていました。あまりにも辛い役回りです。が、これだけではありませんでした。その年の8月、夫のジョンドミニスが亡くなります。カラカウアと同じ、リウマチ熱でした。
リリウオカラニは、1人で闘っていました。
1893年、ハワイアンに選挙権を与え、市民権を持っていない白人からは選挙権を剥奪するよう、憲法を変えようとします。が、これは失敗し、逆に白人たちに勢いをつけさせてしまいました。
1894年、白人勢力が臨時政府を樹立。ハワイ王国はハワイ共和国になってしまいました。ついでに書いておくと、王国がなくなってしまったので、日本からの官約移民はこの年に廃止されています。ここからの移民は私約移民と呼ばれます。
リリウオカラニの気持ちを考えると、本当に辛くなります。
1895年、釈放されていたウィルコックスが再び立ち上がります。
誰でもこんな状況やったらそりゃ怒るで。がんばれウィルコックス! が、今回もダメでした。それどころか、この反乱の首謀者として、リリウオカラニが逮捕されてしまいます。あきらかに濡れ衣です。そして、イオラニ宮殿に幽閉されてしまいました。かつての王宮が、牢屋になったのです。ひどすぎます。リリウオカラニは、幽閉中に、名曲「アロハ・オエ」を作曲したんだそうです(下記で訂正してます▼)
お気に入りハワイアンソングでダイスケくんが、アロハ・オエについて書いてくれました。この曲を作ったのは幽閉の時ではない、のだそうで。うーむ、手元の資料では、作詞は1878年、でも作曲は幽閉中、となっています。いろんな説がある場合、どれが正しいって決め付けないほうがいいですね。とにかく、時代背景として、悲しい時だった、ということで(そんな締め方でええんかい・涙)
追加情報です。黄色のサローンに導かれのさゆりさんが教えてくださいました。幽閉中に作った曲のタイトルは「ケアロハオカハク」だそうです。さゆりさん、ありがとうございました。
.................つづく
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