カテゴリー:-むかし話
ただ今自宅で休養中の亀治朗であります。
そろそろ仕舞い支度を考えるべきお年頃になってきました。
あと5回しかハワイでレンタカー使えないとしたら、あなたは何処に行きますか?
この記事は2019年09月のものです。
(ハイチュウさん、ごめんテーマぱくりました)
鶴亀一家がカウアイ島を訪れたのはまだ三男(現在28歳)が2歳か3歳の頃だったと思います。3人の子連れ旅ですからそれなりにお金がかかります。(当時の)ウェスティンカウアイなど夢の夢。ポイプのコンドミニアムも調べてみたけど当時の日本では高級な物件ばかりしか情報が入って来ません。(当然まだインターネットなんてなかった)
散々調べて見つけたのが東海岸カパアの小さなショッピングモール横のあるアウトリガー系のレンタルコンドミニアムでした。ステューディオの狭いベッド二つに家族五人が詰めあって眠ります。当然の結果として亀治朗は床寝となりました。


しっかし楽しい旅行だった。当時まだ日本人観光客、しかも3人の子連れ旅というのは珍しかったのでしょう。あちこちのお店で可愛がってもらいました。
ハナレイの海岸沿いにチャロズというレストランがあったんです。そこのおばちゃんウェイトレスさんに随分と良くしていただいて子供達は毎日毎日チャロズに行こうと言います。もっと他の所にも行こうという親の言うことを聞きません。結果滞在中ほぼ毎日チャロズでごはんを食べてその先ケエビーチで一日中遊ぶだけの旅になったんです。結果、島の反対側にあるワイメアキャニオンには行けませんでした。
チャロズとケエビーチ以外に行ったのは到着日に食料調達にスーパーに行ったついでに立ち寄ったキロハナと(当時はまだウィスキーを買って帰る必要があったので)ウェスティンカウアイのデューティーフリーに寄っただけ。今じゃ考えられないけどデューティーフリーの店員のおばちゃんがバナナくれたり、サンゴで指先切ったのを見てバンドエイド貼ってくれたり、思えばあの頃から「おばさん世代にはモテる三兄弟」だたのでしょう。しっかしキロハナの大邸宅はすごかった。あすこでのんびり優雅にディナーなど楽しみたいものです。
そんな貧乏旅行だったのでプリンスヴィルなんて夢の夢。立ち寄ったゴルフショップで買ったニットのセーターは今でも使っています。泊まってみたいなあ。
それと
ハイチュウさんが記事で紹介していたワイメアプランテーションコテージには是非とも泊まってみたいものです。あすこならきっと快適な長逗留が出来そうな気がしています。
2019年10月11日11:04 AM
投稿者: 亀次朗
カテゴリー: -むかし話, -レンタカーでハワイ, プラン75 或いは 爺ぃの悪あがき
2019年10月5日12:28 AM
投稿者: 亀次朗
カテゴリー: -むかし話, -レンタカーでハワイ, プラン75 或いは 爺ぃの悪あがき
「こげめし★回顧録」をご覧いただきありがとうございました。
引き続き「コゲメシ■路地裏劇場」の用意をしているんですけど設定が上手くいきません。
時間稼ぎと言ってはナンですが、過去の記事の中から長編になった三部作を発掘してみましょう。
波乱万丈の家族ハワイ旅行から約10年の時を経てコゲメシ家は鬼門の島ハワイ島に再上陸しました。
この時のメインテーマは便乱女(うちのおかみさんの実妹)と板前サーファーの結婚式でありりました。出発前からのドタバタをなんとか乗り越えてハワイ島に到着。待ち構えていたのは10年前の家族ハワイ旅行の古傷でありました(号泣)ではゆるゆるとお読みくださいまし。。。。
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コゲメシ的ハワイ島昔話後編
2015年4月20日11:40 AM
投稿者: 亀次朗
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カテゴリー: -むかし話, b焦飯◎三部作
「こげめし★回顧録」をご覧いただきありがとうございました。
引き続き「コゲメシ■路地裏劇場」の用意をしているんですけど設定が上手くいきません。
時間稼ぎと言ってはナンですが、過去の記事の中から長編になった三部作を発掘してみましょう。
コゲメシ家がハワイ島に初上陸したのは三男パエリアが三歳の事ですからかれこれ20年以上も前のお話です。
ホノルル空港からその日の内に乗り継いでコナ(ケアホレ)空港に到着、そのままレンタカーでヒロの街まで突っ走るという、のっけから強行軍のスケジュール。
それが伏線にあってかハプニングとトラブルの連続でした。
今となっては懐かしい思い出ですが当時は降りかかってくる災難に翻弄されてリゾート気分など全く感じませんでした。
ま、ともあれクリックしてみてくださいまし。。。
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コゲメシ的ハワイ島昔話前編(PDF)
2015年4月18日11:35 AM
投稿者: 亀次朗
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カテゴリー: -むかし話, b焦飯◎三部作
2015年4月16日8:02 AM
投稿者: 亀次朗
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カテゴリー: -むかし話, b焦飯◎三部作
まだ、モーハワイ・ブログが始まっていなかった頃のお話です。
ACL(前十字靱帯破断)で入院した2004年の春。
退院後、整形外科病院での生活復帰リハビリテーションを卒業した後、新横浜のスポーツ医科学センターに暫く通いました。
トレーニング帰りに新横浜駅前の書店で手に取った「行くべしオアフ島見るべしオアフ島」から始まったモーハワイとのお付き合いも早くも10年となりました。
その頃
ウェブサイトで繰り広げていた「ハワイでお店を出す話」。
舞台はアラモアナセンターの北、ウォールマートが出来る以前のKaiさんのハワイでの起業のお話でした。
私ら家族はそれ以前からアラモアナ北ホテルを定宿としていましたから、
アラモアナ地区に新しいお店が出来る嬉しさもあって、一遍にKaiさん海晴亭さんのファンになりました。
その年(2004年)のホノルルマラソン。
春に手術した右ひざもようやく動くようになって久し振りのホノルルマラソン復帰戦。
スタート直前にKaiさんで美味しい「完走祈願うどん」をご馳走になりました。
関西風のお出しにお餅や半熟玉子も入って栄養満点のうどん。
お陰様で子供達も完走する事ができました。
あの時小学校六年生だった三男パエリアも社会人です。
時の経つのは早いものです。
ホノルルマラソンスタート直前取材にKaiさんに来ておられたのが、たーとる美さんでした。
明るい太陽のように眩しい黄色のT-シャツ。
それ以上に明るい笑顔でマラソンに送り出してくださいました。
その後、何回か偶然Kaiさんでお会いする事がありました。
いつだか、マク夫さん、まくコ☆さん主催のホノルルマラソン。オフ会でもお会いしましたね。
つる姫さまと一緒に行ったバニヤンBBQにもお出でくださいました。
駆け抜けるように星になってしまった、とるみさん。
貴女の笑顔が忘れられません。
やすらかにお休みください。
2014年11月9日12:22 PM
投稿者: 亀次朗
カテゴリー: -2014草刈マス夫の休日, -Kai メモリアル, -むかし話, aコゲメシ★回顧録
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