モーハワイ☆コム

アーカイブ: 2008年3月

ハマった番組〜!!!



高校時代、ロックに目覚めさせてくれたバンド、 KISS。
70年後半デビューし、30年経っても人気のバンド。
顔には奇人的なメイク、奇妙な衣装をまとい、ステージは数トンのTNTを利用し、過激なライブが話題を呼んだ。 デビューして10年以上、メイクは四六時中付けており、素顔は一切知られてなかった。 武道館でのコンサートのため来日した際、パスポートの写真と確認するため一般人と遮断された個室でメイクを落とし、通関したと言うエピソードもあった。

そんな KISS のメイン・メンバー、 ベースの 「ジーン・シモンズ」 が赤裸々な私生活を公開する番組を始めた。 謎のベールに包まれてたバンドだけに興味が深い。 あのジーン・シモンズが彼女と (元プレイボーイ・プレイメイト) 子供達にタジタジ、と言うのも面白い。 、




高校時代、ロックなんて興味なかったのを一転させてくれたバンド、 KISS。
ライブ・アルバム 「Alive ?」 のジャケットを開き地獄絵図を思わせるステージの写真を見、1曲目を聴いた時点でトリコになってしまった。 
それまでハワイアンやジャズを弾いてたギターも一瞬にしてロックに・・・・

この番組が始まって当時の思い出がこみ上げて来て。。。

うずうずうずうず。。。。

んんんん・・・・抑えて抑えて・・・・

今夜ハワイアンを弾いてる友達のバンド聞きに行こう。。。

武闘派 Blog Essay



Part 3 of 3


11月から日系人部隊はフランス・イタリヤ国境付近の防衛に当たり、翌年の3月に再びイタリヤ前線に戻った。 4月にモンテ・ベルヴェディーアーとカラーラで勝利し、ドイツ侵略を一気に試みた。 

日系人部隊はアメリカ軍のどの戦隊より多くの犠牲を出している。 単純計算で行くと約 3,000人の負傷者に送られた 「パープル・ハート」の勲章は 9,486。 負傷率 314% と言う数値が出た。 一人3回負傷した事になる。 原因は負傷してもこっそり病院を抜け出して前線に戻る者が多かったからだった。 戦死者、戦傷者と行方不明になった者に分けると死傷率 93%。 異常に高い数値である。 彼らのスローガン、「Go For Broke」は直訳すると 「当たって砕けろ」「全力投球」「一かバチ」と言う意味がある。 彼らの戦いぶりはそれを表す。

MIS で活躍した日系人はアメリカ人に高く評価され、第二世界大戦が終わる前には収容場に送られた 12万人の日系人が解放された。 又、白人がマイノリティーであるハワイを州にする事を拒んで来た連邦政府は日系人部隊の活躍があったからこそ、決意でき、ハワイはアラスカに続いて50番目の州になった。  日系人の地位も「ブルー・カラー」から「ホワイト・カラー」へ変われたのも100大隊や442部隊の活躍があったからだと言っても過言ではない。

100大隊や442部隊に入隊していた人達数人に会ってきたが皆、「心穏やかなおじいちゃん」にしか見えない。 彼らからは自慢話を聞いた事がない。 ひどい仕打ちを受けてても不満を表さない。 むしろ感じるのは「遠慮」「謙遜」。
とても激戦をくぐって来た人間には見えない。

だが、やる時はやる。 「全力投球」で。 

彼らは日本人の心、「大和魂」を持って生まれたアメリカ人だ。


「アメリカ人」 が見せた 「大和魂」

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Part 2 of 3

100歩兵部隊の訓練生は好結果を生み出し、アメリカ政府は1942年、2月1日、遂に日系人の戦闘部隊の結成を許可し、1,500人をハワイから、3.000人をアメリカ本土から、計4,500人の志願者を募集するが、ハワイだけで予想をはるかに上舞う10,000人の申し出があった。 政府は即刻、応募人数をハワイから 2,900人、本土から1,500人に変えた。 しかし、本土からは1,256人しか集まらなかった。 結局、ハワイから 3,000人、本土から 800人を集め、ルーズベルト大統領は 442戦闘部隊の結成を公表した。

ハワイの日系人と本土の日系人の間には壁があった。 
ハワイの日系人はおっとりとしてるのに対して本土の日系人からはいらだちを感じた。 その上、本土の者はハワイの者を 「ブタ・ヘッド」 と呼び、ハワイの者は本土の者を 「カトンク」 と呼んだ。 「ブタ・ヘッド」の名前の由来は、英語で「Pig−headed」 と言う単語があり、『頑固』『融通が利かない』と言う意味がある。 「カトンク」はココナッツが頭に落ちた時聞こえる音、と言われている。

のびのびと暮してきたハワイの日系人兵。
家族が収容場で暮らす本土の日系人兵。
暮らしの環境が志願者の人数と人柄を大きく影響した。
ハワイとアメリカ本土の間に生じた摩擦もハワイ側の兵士がこの収容場を訪問した時点で消え去った。

442部隊はミシシッピー州の訓練場に送られ、中では語学、特に日本語が優れた者は MIS (軍事情報機関)に引き抜かれ、太平洋やビルマの戦場に、100歩兵部隊はイタリヤの戦場行きに決まった。

1943年の9月、100歩兵部隊は遂にモンテ・カッシーノの決戦に参戦した。 白人兵士が数ヶ月間苦戦しつつも落とせなかったモンテ・カッシーノを 「下等な猿軍団」 はたったの一週間で敵軍を潰した。その代償として勇敢に戦った100歩兵部隊は多くの犠牲者を出した。約1,300人もいた100歩兵部隊は翌年の2月まで生き残った人数はたったの 521人だった。 その後、アンジオの海岸線をナチス・ドイツ軍から守り通し、その勢いでローマを解放した。 だが、ローマの街にはアメリカやイギリスの友軍を先に通し、彼らに勝利を譲った。 これはアメリカ軍に対しての遠慮だったのか? ローマの人々に対しての気遣いだったのか? あるいは上層部からの命令だったのか?

色んな説がある。

1944年6月10日、ミシシッピー州で訓練を終えた442戦闘部隊は100歩兵部隊の代わりとしてローマの郊外まで送られた。 8月10日に、100歩兵部隊と442戦闘部隊の合併が決まり、100歩兵部隊は442の第一戦隊として生まれ変わった。 これまで築いた優秀な成績を残すため、100歩兵部隊の名はそのまま残された。 合併された日系人部隊はそのまま、フランスに行き、ブライヤーズの街を開放し、ビフォンテーィンでは敵軍に包囲された 『テキサス部隊』 を救出した。 5日間続いた戦闘、211人のテキサス部隊を救出するため、日系人部隊は800人以上の犠牲を出した。 この後、誰も日系人部隊の事を 「下等な猿軍団」 とは呼ばなくなった、と言われている。

続く。。。。。

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以前、「やってる・はやってる」 で 442部隊に所属してた方をインタビューし、感動し、聞いた事、思った事をエッセイにまとめてみました。

Part 1 of 3

「アメリカ人」 が 見せた 「大和魂」

1868年代にサトウキビ畑で働く為、簡約移民としてハワイに渡った最初の153の日本人が流した血と汗と涙が地に染み込み、日本とハワイの根強い関係が生まれた。 日当は約25セント。 それでも映画を観、サンドイッチやハンバーグ等も食べられる上お釣りも戻ってくる時代だった。 それを我慢し、日本に残った家族らに仕送りをしながら、コツコツと貯金をして行った。 ただし、銀行などの金融機関には頼らず、みなが一番信頼する人物にお金を預け、定期的に集会を行いそのお金の使い道を提案しあう「頼母子」(たのもし)を始める。 今でもハワイには 「Tanomoshi」 と言う単語が残っている。 
数年したら日本に帰っていく者も居れば、ハワイで出会いがあり、結婚して家族を持ち、当地に落ち着く者もいた。

月日が流れ、日系人二世、三世が生まれた。 相変わらず日本人の地位のほとんどが 「Blue Collar」であり、 「White Collar」の地位まで伸し上がった者はほんのわずかだった。が、 日本とアメリカを結ぶ貿易会社、問屋、酒屋などが生まれた。 ダウンタウン・ホノルルには日系人経営の店などが並ぶ様になった。ハワイの人口はこの時、約 40万人、内、日系人は約15万人と推定されている。 三世代にしてやっと楽になり始めたかと思われる日系人の生活が1941年12月7日の早朝、一瞬にして消し去られた。

日本軍による真珠湾攻撃が始まったのだ。

当時のハワイはアメリカ領土ではあったがまだ州ではなかった。 太平洋の真ん中に浮かぶハワイの島々はアジア大陸とアメリカ大陸を結ぶ架け橋であり、軍事的に重要な地である。 このハワイ諸島の内部からの侵略を恐れたフランクリン・ルーズベルト大統領は日本人のリーダー格になる人物を収容場へ送り込む様に命ずる。 だが、日系人が全人口の半数近くを示しているハワイでは到底無理だった。 しかし、カリフォルニア、オリゴン、ワシントン州などへ渡った 約11万人の日系人はアメリカ中部の砂漠の真ん中に急遽建てられた収容場へ強制的に入れられる運命になった。 内、65%がアメリカで生まれた 「アメリカ人」だった。

ほんの数人を除いて、ハワイの日系人は収容場行きは免れたが厳しい監視の下で暮らす日々が始まった。 当初、ハワイで軍関係の仕事をしていた者、防衛隊に入隊していた者は武器は取り上げられ、所属していた部隊等も廃止されてしまった。 そんな仕打ちを受けた日系人達が立ち上がり、当時、軍の指揮官であった エモンズ将軍に訴えた。 「我々はアメリカで生まれたアメリカ人だ。 母国はアメリカ。 母国を守る権利がある。我々の手で母国を守りたい。」 その言葉に心を打たれたエモンズ将軍は彼らのボランティア活動を認め、一部隊を結成し、後アメリカ本土へ送る許可を大統領から得た。

1942年6月10日、カリフォルニア州、オークランドに最初の組が到着した。 数日後、ウィスコンスン州のキャンプ・マッコイで厳しい訓練が始まる。 この時、部隊は100歩兵戦隊と命名される。

久々のアロハ・タワー〜!!



何年ぶりかな? アロハ・タワーに行ったのは。

と言うより、ゆっくり見て周ったのは・・・

先日、仕事で行って。。。終わったのは午後 4時半。
んんん・・・いいや、このまま終わりにしよう〜!
さてさて、どこかで何か食べて帰ろう〜!!

って事になり色々迷った挙句、「Gordon Biersch」 に決まり。
(Hooter’sも候補にあったんだけど。。。んんん。。。惜しい〜!)

表、海が見える席に付いてドリンクをオーダー・
一応まだ仕事時間だから。。。ストローベリー・レモネード??
面白そう。 これに決まり!

一緒に営業に来たゆかりは??

「あたし。。。!!!」


えええええ〜!!!!??? 
いいのかよ〜っ!!???

「いいのよ。 そのためここに決めたんだしっ〜!!」


Gordon Biersch に来てまでレモネード & キャロット・ケーキをオーダーした僕は・・・??? なんじゃ〜!!?? って感じ・・・

席の隣にプランターがあり、大きな黄色いハイビスカスが咲いてる。
気になったのはその花びら。 
風が強いわけでもないけどボロボロになってるし。。。

で、しばらく観察してたら。。。




すずめに食われてたんだ。。。
つぼみも食われたりして・・・


 
そうか・・・

ここは スズメのサラダ・バーなんだね〜!! (違うと思う)

しばらくしたらヤシの木を降りてきてみんなを威嚇してるアノーレを発見・
鳩に追われながら一生懸命喉を膨らましてアピールしてた奴も居た〜!



30分ほど飲み食い+生物観察を得て店を出たら・・・

おお〜!!
見事なレインボーが丁度 「Falls of Clyde」 の真上に〜!!!



たまに遊びに来ると、新鮮に感じるなぁ。。。

せっかくなんで〜・・・



オアフ島一周した時撮った写真。。。

Spider Lilly (クモユリ)
Laie 近くの Pounder’s ビーチで。

赤いハイビスカスは。。。。



Laie Mc Donald’s
トイレ・ストップに寄った時ちょこっと撮った奴〜!

んんん。。。。

やっぱり写真を撮るには夕時に限りますな〜ぁ!
(いっちょ前に!?)

今週は。。。食いすぎた〜!!!



うううう・・・・

なんか体が鈍い。。。

それもそのはず。

土曜日からまず、これでしょ?


Bravo’s Seafood Harvest Pasta

で、これで。。。


Romy's Kahuku Shrimp; Scampi & Steamed 1 lb.

これで。。。

Leonard's Malasada

これも。。。


Haleiwa Town Malalma Market 隣

ネイバーでも。。。


Wrangler's Steakhouse, Waimea Kauai Hamburger Steak with Mushroom gravy

で。。。写真撮り忘れたのが Kaiwa 、 ももも、 Kapiolani Coffee Shop での食事。。。。一週間ぶっ続けで外食したのは久しぶりかも。。。

明日から自炊生活再スタート。

いやっ、 一日、二日絶食した方がいいのかも。。。。


トップは Sam Choy’s Crab and Shrimp Louie

何年ぶりだろう???



最後行ったのが・・・・


ハリケーン 「イニキ」 が上陸した数年後。

と言うと。。。。

15年ぶり!? のカウアイ島・

ホノルル空港を飛び立ち機体は大きく右に旋回、真下には Keehi Lagoon や Reef Runway が見える。。。機はぐんぐん昇り、やがて進路を北西に向けて飛ぶ。

ホノルルーカウアイ間の上空は雲ひとつ無く海と空が水平線でつながって見える。



空港に着いたら予約してたレンタカーを取りに。
向かう先は会社のカウアイ支部とメネフネが一晩で造ったと言い伝われているいけす。



ここで日本事務所の竹内さんが 「メネフネさんにお供えをするっ!!!」 と日本から持って来た笹ダンゴとカウアイ支部の近くにあった花屋さんで作ってもらったミニチュア・レイを捧げる。
(ミニチュア・レイはブレスレット大。 店の人に 「メネフネさんにお供えする」 と言って作ってもらったが、 「代金? メネフネさんにあげるんだったらいらないよ!」 マジで!? カウアイ島の人の温かみを感じた。。。)

ワイメアで昼食をとり、島の西へ向かった。
行き先は Waimea Canyon。 
んんん十数年前通った道は。。。。

どこだっけ〜ぇ〜!?

ひたすら真っ直ぐに伸びる道を走ってると。。。
前には。。。

なに?

蜃気楼で前の車が変に見えるのか???

ちがう・・・ ホントに変な車だった〜!!!



なんじゃこりゃ〜!!?? 初めて見るぞ・
下くぐったら洗車してくれるんか? (なわけないし)

で、ここで大変なことに気付く。

ここはどこ!??

看板を見つけ、読んで見たら・・・
「Pacific Missile Range」・・・

Barking Sands まで来ちゃったよ〜!!!

急いで Uターンし、ワイメア・キャニオンの標識を探しながら走る。。。
ワイメア・タウンに差し掛かった時点で見つけた!
って。。。ここはさっき昼食ったとこじゃん。。。。??? で、ワイメア行きはルート 552!

竹内親子 「ちがう〜!! 550〜!!」

いやっ、 552 と書いてあったよ。。。。

「絶対 550だったっ〜!!!」

気迫負け。 550に入ってしまった。

が。。。見覚えないぞ、この道。。。
街を出たと思ったらいきなりっ!!

ぐぉ〜っ!!!! とものすごい角度で昇ってくし〜!!!!???

くねくねしてて。。。車二台やっと通る狭さで。。。極めつけは。。。

右手は 崖〜っ!!!!
以前通った道はもっと緩やかで。。。
しかもジャングルっぽいところを通ったよ〜!!!!
すると急に竹内が:
「あたし。。。高所恐怖症だったのを思い出した〜ぁ〜!!!

い、いまさら・・・・
僕だって・・・

上り坂が苦手なんだよぉ〜!!!!

シートベルトを握り締める竹内・・・
手に汗を握りながらハンドルにしがみつく僕。。。
対向車とすれ違った際ちらっ、とミラーを見たら・・・

ほげ〜っ!!!!!

ま、街があんな下に〜!!!
(ミラーを見たのはあれが最後)

しつこいほど道は昇り続ける。。。
で、やっと他のルートと合流。

標識を見ると。。。。

「Route 552」

ほっ、ほれみぃ〜!!!!!????

552で合ってたじゃないかぁ〜!!??
前回はジャングル通って来たのでキャニオンなんか最後まで見えなかったんだよ〜! で、バカにしてたらどで〜ん!!! とキャニオンがあって、 「ごめんなさい!」 って謝ったんだから〜!!
笑い転げる竹内親子。。。

で、やっとたどり着いた Waimea Canyon。
残念ながら曇り空だったが眺めは最高だった〜!



帰りは 552を通って生きました・ 
(ある意味、誤字ではありませんっ!)

Lihue タウンでちょこっとショッピングした後、空港へ。 
なが〜い、充実した一日だった。。。

次回は一泊した方がいいなぁ。
まだ Waialua のシダの洞窟や Hanalei とかも行ってないし・

こ、これはもしかしたら・・・ハワイ一かも!?



昨日カウアイ島の Waimea でランチした場所。
消防署の斜め向かいにある古い、木造の建物。
今にもパニオロ (ハワイアン・カウボーイ) が出て来そうな感じ。



んんんん。。。。雰囲気は良いが。。。。
味はどうだろう?

不安いっぱいで入ってみた。

ハワイでは 「ハンバーグ・ステーキ」 が美味いか不味いかで店を評価すると言っても過言ではない。 ローカルは 「ハンバーグ・ステーキが美味い店は他の料理も美味い!」 と言う。

って事で即、決まり。

出てきたのがこれ。

パティーは 100% ビーフ。
パンも牛乳もワインもな〜んも無い、ただの肉のパティー。
それをブロイルして焦げ目を付け、上からマッシュルーム・ブラウン・グレービーを掛けてるだけ。

恐る恐る一口食べてみたら・・・

ん? んん?? んんん〜!!??

 
こっ、これは。。。

これまで食べたグレービーソースの中では多分一番美味いかも!!

他にも ニューヨーク・ステーキなどもあるし・・・(ステーキハウスだから当たり前!?)
照り焼きチキンも引かれたが・・・

これは美味い!

絶対お勧めします・

裏に駐車場があるんだけど・・・
こう言う感じ!

食った〜! 撮った〜! の一日



久々のオアフ島一周。
行くとこ行くとこ写真撮っては食い。。。

まず、ワイキキを出て、Kapahulu の消防署でストップ・
消防車が表に出てたので シャッターチャンス!
後に乗っけてるサーフボードもちゃんと写ったぞぃ・ 

Next stop….

Leonard's!!!!!



ホカホカのマラサダをほおばりながら東側へGo!
ハナウマ湾へ〜!!
と思ったが時間が遅かったため入れてもらえなかった・・・
ので Blowhole へ。
丁度鯨の群れがいたのでしばらく観察したら
Makapuu へ。



Waimanalo を通過、Pali Highway を通って再び Town へ。
H−1 に乗り、次は西側へ Go!
「日立の樹」 に会いに行ったが。。。
木より小川の方が絵になったりして・・・



H−2 を北上し、今回は Dole は素通り。。。
Waialua のソープ工場へ。 その後 Haleiwa Town。
松本は。。。断念。
人、並びすぎ。
まずチキンを一匹ゲット。



Waimea, Sunset、 Pipeline を横目にし、 Kahuku に到着。
向かう場所は。。。



並ぶこと 30分。。。
熱い〜!!! 絶対日焼け止めを忘れないように!!!



散々待たされたが。。。
これが出てきた時点で許してしまう。。。



Laie Point で景色を眺めた後、 Pounder’s で砂遊び。 次は Punalu’u、 Kahana Bay, Ka’aawa、Kualoa。。。 クアロア・ビーチ・パークで一休み。



公園を出る頃、真向かいの牧場の馬が。。。



車のガラス越しとはいえ、結構いい写真撮れたぜぃ・

その後は Kaneohe Bay の社長宅へ襲撃〜!!
プールサイドで一服したら Likelike を通って Town へ。

朝10時ちょっと過ぎワイキキを出発、 帰ったのが午後7時。
なが〜い、 充実した一日だった〜・・・・