オアフ島は今も昔も太平洋におけるアメリカ軍の主要な基地である。特に真珠湾は「アメリカの太平洋戦略の要」という理論上の位置づけがなされていた。だが、真珠湾の本格的な基地が開始されたのは第1次世界大戦終結後の1919年以降であった。その結果、大日本帝国海軍が真珠湾を攻撃した1941年当時、オアフ島にはアメリカ海軍の真珠湾軍港を初め、陸海軍、海兵隊合わせて8つの航空基地を擁するまでになっていた。アメリカ海軍は真珠湾飛行場を初め4カ所に合計108機の飛行機を、海兵隊はエヴァ飛行場に49機を、そして陸軍はヒッカム飛行場を初め3カ所に264機の飛行機の、合計422機を有していた。また、レーダー基地は陸軍のものが6カ所あり、このうちの5つが移動局で、いずれもフォート・シャフター空襲警報センターと連携していた。そして、真珠湾はアメリカ海軍の太平洋艦隊の母港であり、戦艦、航空母艦など多数擁していた。また、ハワイ海軍工廠があり艦船にかかわる修理等の全ての作業を行うことが出来たし、巨大な貯油施設、大量の弾薬が貯蔵されていた弾薬廠などがあった。
現在(1997年)、真珠湾を母港とする太平洋艦隊は約200隻の艦艇と、21万5000名の将兵を有し、司令部はハワイ州オアフ島パールハーバー近く、マカラパ・クレイターに置かれている。
ハワイの戦略拠点としての機能に関する考察
ハワイ諸島西経160〜165度、北緯20〜24度付近と、位置的には太平洋の中心よりややアメリカ側に位置します。東京からの距離は約6000km、アメリカ西海岸・サンフランシスコからの距離は約4000kmです。また、昭和17年6月5日のミッドウェー海戦で有名なミッドウェー諸島はハワイから東京側に約1500kmの地点に位置します。
さて、実際の戦争においては、ハワイはアメリカに前線基地的な扱いを受けていたようです。
その理由はいわずもがな、ハワイ諸島はアメリカから見れば、日本だけでなくアジア全域に対しての攻撃の橋頭堡ともなり、またあるいは敵の攻撃を食い止める防衛ラインとしての効果も期待出来る場所だったためです。
逆に第2次大戦などでの日本からすれば、ハワイを落とせばそのままアメリカ本土攻撃に対し、前述のものと同様の活用が出来ます。
この事実は、太平洋戦争において、ややもするとハワイが日本軍とアメリカ軍との戦場になりかねなかったと言う事にもつながります。
さて、史実とは切り離してハワイの戦略的有用性を考えてみると、まず、19世紀のパックス・ブリタニカの事例にも見られるとおり、地球表面の7割は海であり、海洋を支配することはそのまま地球支配の要となります。
それを踏まえた上で、太平洋を支配しようと思えばやはりハワイはその拠点たる場所であると言えます。
そういう意味では、ハワイはもっと戦争による被害を被っても何ら不思議はなかったという事になります。
過去の幾多の戦乱で、ハワイでの戦闘が少なかった事は偏に偶然の賜物と言えるのではないでしょうか。
真珠湾攻撃
日中戦争の泥沼化と日独伊三国軍事同盟によって日本は国際社会で孤立を深めていた。アメリカは日本の伸張を押さえようと経済封鎖を実行した。日本はアメリカとの妥協点を求めようとしたが、条件が折り合わず、ついに日米開戦を決意する。連合艦隊司令長官である山本五十六大将は、日本海軍が考えている西太平洋で米軍を迎え撃とうとする作戦では長期戦になり、物量で劣る日本はかならず敗れると考え、開戦直後のアメリカの準備がまだ整わないときに、空母を集中運用して真珠湾を奇襲し、そこにいる米太平洋艦隊主力をたたくという真珠湾攻撃を立案し、海軍ほとんどの反対を押し切って採択させる。昭和16年11月、南雲中将率いる機動部隊がひそかに択捉島単冠湾を出撃した。そして12月8日、6隻の空母から出撃した艦載機が真珠湾を攻撃、米戦艦アリゾナ、ウエト・バージニア、カリフォルニア、オクラホマ、ネバダが沈没、メリーランド、テネシーが中破した。しかし、外務省による宣戦布告の遅れにより、宣戦布告前攻撃となりアメリカ国民を激怒させ、また、南雲中将は真珠湾を1撃しただけで引き上げ、燃料タンクや修理施設を攻撃しなかったため、真珠湾は母港として機能は失われずにすんだ。
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