編集長へなちょこ・しゅんが語るハワイの歴史
編集長へなちょこ・しゅんの本「行くべしオアフ島、見るべしオアフ島」の中で、まったく個人的興味から書いてしまった歴史のコーナーに予想以上の反響がありました。「けっこうおもしろかった」「もっと知りたい」 etc.....そうか、じゃあ、もっと書いちゃおう、ということで唐突に始めてしまったコーナーです。個人的見解が入りまくってるコーナーですのであらかじめご了承くださいまし。元祖ハワイタイムマシーンはこちら▼
  <12>  さとうきび畑と列強の太平洋進出
← 11 13 →
ハワイがおかれている状況をわかりやすく見るために、少し歴史を逆もどりします。カメハメハ3世のところで書いたとおり、ハワイの経済は製糖業(さとうきびプランテーション)に左右されるようになっていました。たくさんの製糖工場ができ、人々の生活だけでなく、ハワイ王国の財政にも影響を与えるようになっていました。
ハワイで作った砂糖のほとんどは、アメリカに輸出されていました。奴隷を開放したアメリカ南部の砂糖よりも、ハワイの砂糖は安かったのです。やがてアメリカ国内の製糖業者が反発します。アメリカは奴隷を解放したのに、ハワイにはまだ奴隷制度が残っている(移民労働者のこと)、そんな国の砂糖をたくさん輸入するな!というのです。
アメリカは国内の製糖業者と世論を抑えるため、ハワイ産の砂糖に高い関税を課しました。あれれ、これってアメリカが今でもやってることですな。そんなことはどうでもよくて、そうなると困るのはハワイのさとうきび業者です。儲けのほとんどを税金でもってかれるのですから。さて、製糖産業はハワイ王国の財政に直結しています。ハワイ王国にとってもこれは困る話です。そして、とんでもない解決策が見いだされました。
19世紀の太平洋です。アフリカ大陸を浸食しつくした列強が次に狙っていたのは太平洋の島々でした。そしてそこにアメリカが加わろうとしていました。
太平洋進出中のアメリカに軍港を与えるかわりに、砂糖の関税をなくしてもらう、という取引です。そして選ばれたのがパールハーバー(真珠湾)でした。なんちゅう取引やねん! もちろんハワイアンは反対しました。製糖業なんて、元を正せば、アメリカからやってきたアメリカ人の商売です。なぜそんなものとハワイの土地を交換せねばならぬのか!
この話が進んだのはカメハメハ5世のころです。5世の時代、1872年にスコーフィールドというアメリカの将軍がパールハーバーを視察にきています。5世は、製糖業者の接待におぼれていたという記録があるので、残念ながら推進派だったと思われます。
カメハメハ5世の後継者がいないため、次の王は選挙で決められました。1873年ルナリロ王即位。ルナリロ王の内閣は、5世のときとはがらりと変わって、アメリカ人でかためられていました。そして、「アメリカ軍の真珠湾使用」と「ハワイ産砂糖の無関税」の取引が締結されます。あーあ、やっちゃったよ。ルナリロ王は、この取引のためだけに王になったような印象を受けます。だって、翌年、亡くなってしまうからです。1874年、ルナリロ王永眠。
宗教家Bさんから再びメールをいただきました。
--------「アメリカ軍の真珠湾使用」と「ハワイ産砂糖の無関税」の相互条約はルナリロ王時代に出されたものですが、実際に稼動しはじめたのはカラカウア王の時代になってからのことです------
ううむ、確かにそうでした。ありがとうございます。カラカウアは、王になってすぐアメリカへ渡りますが、この条約を推進するためです。別にルナリロ王だけがやっちゃったわけじゃなくて、これはハワイの王室の責任ってことですな。複雑な気持ちになったりして。
無関税となったことで、ハワイの製糖産業は一気に活性化します。そして、世界各国から移民を受け入れていくことになります。この、もっともややこしい時代に王になってしまったのが、カラカウア王です。カラカウア王の活躍は次回。
.................つづく
← 11 バックナンバー一覧 13 →

(c) 1999 Go-Hawaii.com All rights reserved