編集長へなちょこ・しゅんが語るハワイの歴史
編集長へなちょこ・しゅんの本「行くべしオアフ島、見るべしオアフ島」の中で、まったく個人的興味から書いてしまった歴史のコーナーに予想以上の反響がありました。「けっこうおもしろかった」「もっと知りたい」 etc.....そうか、じゃあ、もっと書いちゃおう、ということで唐突に始めてしまったコーナーです。個人的見解が入りまくってるコーナーですのであらかじめご了承くださいまし。元祖ハワイタイムマシーンはこちら▼
  <08>  世界の中のハワイ王国
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1835年にアメリカ青年によって始められた「さとうきびプランテーション」は、その後のハワイのカタチを大きく変えていきます。白檀貿易も、捕鯨船の寄港地としての商売も、物々交換の延長みたいな原始的な「経済」でした。が、プランテーションにより、ハワイは、まとまった商品をまとまったお金と交換するという「貨幣経済」の中に組み込まれていったのです。
当時の王様は、カメハメハ大王の末っ子のカメハメハ3世です。二世と4世はリホリホ(同じ名前)、5世はロットと呼ばれることがあるのに、3世の幼名はあまり知られていません。なぜかというと、二世のリホリホが急死したために10歳という若さで即位したからです。激動の時代に、なんとも気の毒です。
カメハメハ3世の時代に、ハワイの歴史に欠かせない2つの国に変化が起こっています。アヘン戦争の敗戦による清の没落を目の当たりにした日本では、尊皇攘夷という思想が注目されようとしていました。1853年のペリー来航で、この動きは一気に加速し、1868年の明治維新へつながります。

その頃アメリカ大陸ではハワイの未来を暗示する出来事が起きていました。

1821年 イスパニア(スペイン)からメキシコ合衆国が独立。
メキシコ合衆国は、地域の開発をするためアメリカ人移民を受け入れる。
メキシコ合衆国テキサス州で、アメリカ人人口が急激に増加。
1835年 メキシコ合衆国テキサス州で働くアメリカ人移民団が、テキサス州のメキシコからの独立を目指して反乱を起こす。
1836年 アメリカ人入植者がアラモ砦に立てこもってメキシコ軍と対峙。全滅。
ちょっと前に公開されていた「アラモ」という映画はこの時のお話です。
テキサス独立軍は「リメンバー・アラモ」を合言葉に、メキシコ軍と対峙、メキシコ軍を駆逐する。メキシコはやむを得ず、テキサス共和国の成立を認める。
テキサス共和国政府はアメリカ人によって取り仕切られていました。彼らは当然の流れとして、テキサス共和国のアメリカ合衆国への併合を望みます。が、メキシコはそれだけは許しませんでした。そんなわけで、しばらくの間、北アメリカ大陸に「テキサス共和国」が出現します。
1845年 アメリカ合衆国はテキサス共和国を併合。
1846年 テキサスを併合されたメキシコがアメリカに宣戦。
米墨(べいぼく)戦争起こる。
※アメリカ対メキシコの戦争。
1848年 アメリカはメキシコを破り、現カリフォルニア州、現アリゾナ州などの現アメリカ西海岸を得る。
カリフォルニアで金鉱が見つかり........
1849年 ゴールドラッシュが始まる。
 
ちなみに、ハワイ王国もアメリカ系移民の政略でハワイ共和国となったあと、アメリカ合衆国の領土になります。これはその回で詳しく書きます。

さとうきびに話を戻しましょう。もともとさとうきびは南国のものです。そんなわけで、さとうきびはハワイで順調に育ちました。まだまだ砂糖が高価なものだった時代です。砂糖の輸出は儲かりました。
さてさて、カウアイ島でさとうきびプランテーションをスタートさせた、ウィリアムさんという人が「さとうきびプランテーション」という仕組み自体を考えたように思われる方がいらっしゃいますが、それは違います。アメリカ本土では、綿花、タバコ、さとうきびなどのプランテーション事業がすでに興っていたからです。
それらプランテーションで働く労働力として、アフリカ大陸から多くの奴隷たちが連れてこられていました。ちなみに、奴隷制度を始めたのは16世紀のポルトガルだそうです。確かにこの当時のアフリカはポルトガルの勢力下にあります。その後、イギリス主導で大西洋間の奴隷貿易は頂点を極めます。残念なことに、アメリカを独立させた清教徒たちは、このシステムを受け継いでしまいました。
いかん、また脱線してる。ハワイに話を戻します。1835年といえば、カメハメハ大王がカウアイ島を勢力下においてからまだ25年しかたっていません。カウアイ島はまだまだ原始ハワイの雰囲気を残していました。首長のもと平民が漁業や農業に借り出されていました。ウィリアムさんは彼らを労働力として使うことを考えました。まずカウアイ島の土地をカメハメハ3世に借り、それから平民を首長から開放するためにお金を使いました。
貨幣経済に組み込まれたハワイ王朝は繁栄します。1845年にはマウイ島ラハイナからオアフ島ホノルルに首都を移転しました。さて、貨幣経済に組み込まれた結果、アメリカ大陸の出来事がハワイに大きな影響を与えるようになってきました。1948年にアメリカは西海岸をゲットします。そしていきなり金鉱発見でゴールドラッシュが始まります(アメリカは金鉱があることを知っていてカリフォルニアを奪ったという説もあります) ゴールドラッシュを受けて、ハワイ経済も活気づきます。写真はビショップミュージアムの展示です。当時のホノルル。
当時の事業家たちにとっておもしろくないことがありました。王に土地代を払うのがバカらしかったのです。そんなとき「偶然にも」宣教師団からカメハメハ王朝に提案がありました。ハワイの土地を首長も所有できるようにしよう、というものです。王朝は、首長から税金を集めることができる、というのです。こうして土地分割法「グレートマヘレ(マヘレは分けるというハワイ語)」が導入されました。これも1848年のことです。ちなみに、左の写真のような割合で、
黄色=王 青=首長 緑=政府
という分割になりました。それまでハワイには「土地を所有する」という概念がありませんでした。あえて言えば、すべて「王のもの」やったんですよね。それがこんなに少なく(黄色)なっちった....
.................つづく
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