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その頃アメリカ大陸ではハワイの未来を暗示する出来事が起きていました。 |
| 1821年 |
イスパニア(スペイン)からメキシコ合衆国が独立。 |
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メキシコ合衆国は、地域の開発をするためアメリカ人移民を受け入れる。
メキシコ合衆国テキサス州で、アメリカ人人口が急激に増加。 |
| 1835年 |
メキシコ合衆国テキサス州で働くアメリカ人移民団が、テキサス州のメキシコからの独立を目指して反乱を起こす。 |
| 1836年 |
アメリカ人入植者がアラモ砦に立てこもってメキシコ軍と対峙。全滅。
ちょっと前に公開されていた「アラモ」という映画はこの時のお話です。
テキサス独立軍は「リメンバー・アラモ」を合言葉に、メキシコ軍と対峙、メキシコ軍を駆逐する。メキシコはやむを得ず、テキサス共和国の成立を認める。 |
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テキサス共和国政府はアメリカ人によって取り仕切られていました。彼らは当然の流れとして、テキサス共和国のアメリカ合衆国への併合を望みます。が、メキシコはそれだけは許しませんでした。そんなわけで、しばらくの間、北アメリカ大陸に「テキサス共和国」が出現します。 |
| 1845年 |
アメリカ合衆国はテキサス共和国を併合。 |
| 1846年 |
テキサスを併合されたメキシコがアメリカに宣戦。
米墨(べいぼく)戦争起こる。 ※アメリカ対メキシコの戦争。 |
| 1848年 |
アメリカはメキシコを破り、現カリフォルニア州、現アリゾナ州などの現アメリカ西海岸を得る。
カリフォルニアで金鉱が見つかり........ |
| 1849年 |
ゴールドラッシュが始まる。 |
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ちなみに、ハワイ王国もアメリカ系移民の政略でハワイ共和国となったあと、アメリカ合衆国の領土になります。これはその回で詳しく書きます。 |
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さとうきびに話を戻しましょう。もともとさとうきびは南国のものです。そんなわけで、さとうきびはハワイで順調に育ちました。まだまだ砂糖が高価なものだった時代です。砂糖の輸出は儲かりました。
さてさて、カウアイ島でさとうきびプランテーションをスタートさせた、ウィリアムさんという人が「さとうきびプランテーション」という仕組み自体を考えたように思われる方がいらっしゃいますが、それは違います。アメリカ本土では、綿花、タバコ、さとうきびなどのプランテーション事業がすでに興っていたからです。 |
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それらプランテーションで働く労働力として、アフリカ大陸から多くの奴隷たちが連れてこられていました。ちなみに、奴隷制度を始めたのは16世紀のポルトガルだそうです。確かにこの当時のアフリカはポルトガルの勢力下にあります。その後、イギリス主導で大西洋間の奴隷貿易は頂点を極めます。残念なことに、アメリカを独立させた清教徒たちは、このシステムを受け継いでしまいました。 |
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いかん、また脱線してる。ハワイに話を戻します。1835年といえば、カメハメハ大王がカウアイ島を勢力下においてからまだ25年しかたっていません。カウアイ島はまだまだ原始ハワイの雰囲気を残していました。首長のもと平民が漁業や農業に借り出されていました。ウィリアムさんは彼らを労働力として使うことを考えました。まずカウアイ島の土地をカメハメハ3世に借り、それから平民を首長から開放するためにお金を使いました。 |
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貨幣経済に組み込まれたハワイ王朝は繁栄します。1845年にはマウイ島ラハイナからオアフ島ホノルルに首都を移転しました。さて、貨幣経済に組み込まれた結果、アメリカ大陸の出来事がハワイに大きな影響を与えるようになってきました。1948年にアメリカは西海岸をゲットします。そしていきなり金鉱発見でゴールドラッシュが始まります(アメリカは金鉱があることを知っていてカリフォルニアを奪ったという説もあります) ゴールドラッシュを受けて、ハワイ経済も活気づきます。写真はビショップミュージアムの展示です。当時のホノルル。 |
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当時の事業家たちにとっておもしろくないことがありました。王に土地代を払うのがバカらしかったのです。そんなとき「偶然にも」宣教師団からカメハメハ王朝に提案がありました。ハワイの土地を首長も所有できるようにしよう、というものです。王朝は、首長から税金を集めることができる、というのです。こうして土地分割法「グレートマヘレ(マヘレは分けるというハワイ語)」が導入されました。これも1848年のことです。ちなみに、左の写真のような割合で、
■黄色=王 ■青=首長 ■緑=政府
という分割になりました。それまでハワイには「土地を所有する」という概念がありませんでした。あえて言えば、すべて「王のもの」やったんですよね。それがこんなに少なく(黄色)なっちった....
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.................つづく
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