編集長へなちょこ・しゅんが語るハワイの歴史
編集長へなちょこ・しゅんの本「行くべしオアフ島、見るべしオアフ島」の中で、まったく個人的興味から書いてしまった歴史のコーナーに予想以上の反響がありました。「けっこうおもしろかった」「もっと知りたい」 etc.....そうか、じゃあ、もっと書いちゃおう、ということで唐突に始めてしまったコーナーです。個人的見解が入りまくってるコーナーですのであらかじめご了承くださいまし。元祖ハワイタイムマシーンはこちら▼
  <06>  キリスト教宣教師団
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最初に、今回のお話のポイント的な場所を解説しておきます。まず、この時代、ハワイ王朝の首都はマウイ島のラハイナにありました。カメハメハ大王が特に深い意味もなく、カヘキリを倒したあとのマウイ島に宮殿をつくりはじめたのが1800年すぎ。最愛の奥さん、カアフマヌもマウイ出身です。で、いつしかラハイナがハワイ王国の首都になってしまいました。
ボストンからのキリスト教宣教師団が上陸したのはハワイ島のカイルア・コナでした。ハワイ島といえば、カメハメハ大王が生まれ育ったハヴィ(HAWI)、全島統一のために軍神を祭ったハワイ最大のプウホコラ・ヘイアウ(カワイハエ)があります。
キリスト教宣教師団は、1820年にカイルア・コナに上陸しました。前回でご紹介したとおり、カアフマヌによって、ハワイの原始宗教の崩壊が始まっていた時でした。キリスト教宣教師団は大歓迎を受けます。彼らは上半身裸の現地人が礼儀正しく統制が取れていることに驚きます。カメハメハ大王のお膝元ですから当然なのですが。さっそく、宣教師団は仮設教会を作りました。それがモクアイカウア教会。現存するのは1836年に建てられたものです。
宣教師団の一部は、そのまま西を目指し、オアフ島に上陸しました。そしてここでも仮設教会を作ります。それがカハイアハオ教会です。こちらも現存する立派な教会になったのはちょっと後で、
1842年のことです。
キリスト教宣教師団のことを書く前に、キリスト教の基礎知識を少し。ちなみに、編集長は無宗教です。念のため。それから、わかりやすくするため、詳細は省いて書いてます。ご了承ください。
ユダヤ教
モーセが「神」からの言葉を預かってスタートした宗教。ユダヤ人のための宗教で旧約聖書のみを聖書とします。十戒という10の神との約束ごとがあって、それを守らねばなりません。戒律をまもってはじめて幸せになれるという自力本願な宗教です。
キリスト
モーセと同じ「神」からの言葉をさずかった預言者。戒律の厳しいユダヤ教(自力本願)に対して、神はすべてを許してくれる、救ってくれるというという他力本願な教えを啓示しました。この教えはまたたく間に広がりますが、この教えが支持されたのは、他力本願やったからやと思います。
例えば、日本で、小乗仏教(自力本願・五戒を守らねば極楽浄土へ行けない)よりも大乗仏教(他力本願・念仏を唱えていれば極楽浄土に行ける)が受け入れられたのと理由は同じと思われます。
原始キリスト教 キリストが最初の弟子(使徒)たちと布教活動をしていた時から、新約聖書とその教えなどが成立する西暦150年くらいまでの間の原始的なキリスト教をさすそうです。
ローマ帝国の国教に 西暦313年にローマ帝国がキリスト教を公認(それまでは弾圧していた)します。西暦380年には、キリスト教はローマ帝国の国教となり、それ以降、政治的に利用されていくことになります。
イスラム教 西暦610年ごろ、ムハンマドがモーセやキリストと同じ神(唯一神・アッラーフ)から啓示を受けて、イスラム教がスタートします。神はムハンマドに「今まで言葉を預けたものは間違った解釈をしている」と言ったそうです。暗にキリストの他力本願な教えを否定しています。というわけで、イスラム教は、六信五行のある自力本願な(戒律が厳しい)宗教です。
つまり、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も「神」は同じです
ローマカトリック 西暦1054年。政治的な背景もからみ、コンスタンティノポリス教会(東方正教会)とローマ教会(カトリック)に分裂します。現ロシアなどにある教会は、この東方正教会系。こうして、教会は権力が集まる場所になっていきます。聖職者(神父)にも権力が集まっていきます。
プロテスタント 政治的に利用され、堕落していくカトリックに対し、聖書に立ち返ろうという運動が起こります。聖書に立ち返ろうということで、聖書の各国語への翻訳がはじまります。西暦1530年に最初のプロテスタント信仰告白書提出。プロテスタントの語源はローマカトリックへの抗議者(プロテスタント)から。
■カトリック=教会、神父さんをよりどころにするところが大きい。
■プロテスタント=聖書をよりどころにするところが大きい。プロテスタントの教会にいてはるのは神父さんではなく、牧師さん。
ハワイで結婚式を挙げることのできる教会のほとんどはプロテスタントです。
イギリス国教会 ローマカトリックだったイギリス国王が、離婚したいためにローマカトリックを脱け(カトリックでは離婚は禁止されている)ます。そして、西暦1534年イギリス国教会を成立させます。離婚はしたいけど、国を治めるには宗教は必要だった、ということでしょうか。イギリス国教会の内容は、ローマカトリックに近いですが、細かいところが違うそうです。なので大分類ではプロテスタントに入れられるそうな。
清教徒(ピューリタン) 当時、イングランドにいたプロテスタントたちの総称です。プロテスタントは、政治や権力に利用されるキリスト教をなんとかしようとしているわけで、一般人からすれば「純粋やのー」となります。で「ピュア」な人たちで「ピューリタン」なんだそうです。日本で「バカ正直やなあ」とか「ウブやなあ」というような感じでしょうか。この清教徒たちが、イギリス国教会に迫害を受け、逃れるようにしてイギリスを飛び出し、西暦1620年にアメリカへ上陸します。以降、アメリカは清教徒たちの新天地となります。
というわけで.... ハワイにやってきたのは、清教徒の末裔の宣教師団でした。
ハワイの人々は、今までカプ(タブー)とよばれる(ハワイの)神との約束事をたくさん持っていました。ほとんどは根拠のないようなもので、前回でご紹介したとおり、特に女性差別的なものが多くありました。そのカプを排除したカアフマヌに、他力本願なキリスト教がどう映ったかは簡単に想像することができます。厳しい戒律もなく、聖書を読んでいれば救われるわけですから。こうして、ハワイの酋長クラスの女性たちが、次々にキリスト教へ改宗していきました。
※写真は晩年のカアフマヌ。ビショップミュージアムの展示です。
ハワイ島には、キラウエア火山があります。時折怒ったように流れ出す溶岩は、人々に神を信じさせるのに充分な役割を持っていました。そのキラウエア火山の影響を一番うけるハワイ島のPUNAというエリアに女性酋長カピオラニがいました(カラカウア大王の奥さんのカピオラニとは別人)
カピオラニも真っ先にキリスト教に改宗し、ペレの存在を否定します。人々は罰があたると警告しますが「罰が当たらなければキリスト教に改宗するか!」と切り替えしたそうです。で、キラウエアの火口まで降りて、ペレにお供えしてある食べ物を食べたり、火口に石を投げ入れたりしました。人々は恐れおののきますが、カピオラニは無事に家まで帰りつきます。罰は当たらなかったのです。これにより、多くの人々がキリストに改宗したそうです。
キリスト教は唯一神教です。他の宗教を否定します。
ハワイの原始宗教は否定され、そして当然の流れとして、
キリスト教宣教師団は、フラを禁止します。

.................つづく

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