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アランチーノ『濱本大輔』エグゼクティブ・シェフにインタビュー!

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カハラ店にやってきました。良い天気です。

本日は特別にお時間を頂き、
アランチーノで活躍する日本人エグゼクティブ・シェフ『濱本大輔/はまもとだいすけ』氏にインタビューです!
美味しい料理を日々生み出し、皆を笑顔にしている濱本シェフの素顔に迫ります。

183「こんにちは、今日はよろしくお願いします。」

濱本シェフ「こんにちは。こちらでいいですかね、どうぞ。」

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とても気さくな方です。

 

【どうして料理人になったんですか?】

濱本シェフ「まず、高校卒業してからトヨタ自動車に就職したんですよ。
父親が料理人だったんで、大変だから料理人はやるな。一流企業に入りなさい。と」

183「トヨタ自動車に?なるほど。そこは、親の言いつけ通りに。」

濱本シェフ「そう。トヨタではインスペクター(検査員)をやってたんです。
でも毎日同じことの繰り返しで、これは自分の続けるべき仕事ではないなと。でも、『石の上にも3年』の言葉通りに、3年間はしっかり働いてお金を貯めて、それで料理学校に通うようになりました。」

183「最初からイタリアンの勉強を始めたのですか?」

濱本シェフ「そうですね、僕が生まれたのが、小豆島なんです。日本でオリーブオイルが初めて作られたところで、
給食とかにもオリーブオイルが出てくるくらい身近なものでした。父親も良くスパゲッティを作ってくれてたので
それで自然とイタリアンになったんだと思います。」

183「お父さんもイタリアンだったんですか?」

濱本シェフ「洋食ですね。自営業のオーナーシェフでした。今はお店を閉めて仕出し屋さんをやってます。
僕が生まれた頃はそれこそ、キッチンにベビーベッドがあってその中に僕が居たんですよ。」

183「キッチンで育ったようなもんですね(笑)、料理人になることに関してお父さんは何か言いませんでした?」

濱本シェフ「何も言ってませんでした。高校卒業してから、父親のもとを離れて名古屋近辺で働いていたので割と疎遠になってましたし、その頃、料理人として父親と働いたことも無かったですしね。」

「そうそう、父親と働くと言えば、本当はハワイに2005年に来る予定だったのが、
ビザが却下になっちゃったんですよっ!Eビザが。」

183「えっ!?」

濱本シェフ「Eビザが取れるよと、アランチーノの稲村社長に言って頂いて、もう完全に来る予定で家も何も売り払っちゃって来ることばっかり考えていて。大使館の面接に行ったら、『ダメですよ』って言われてっ(驚)」

濱本シェフ&183「あははははっっ!」

183「なんででしょうね?」

濱本シェフ「分かりません。経験などの細かい部分とかなんでしょうが、あたった面接官がツイてなかったですね。
もうホント、ドラマですよ!?売り払って何も残ってない、でもその時は嫁も居たし子供も居たし。」

「もうどこにも行くところがないので、実家に帰って、もう一年だけハワイ行きをトライさせて欲しいと家族にお願いして、家の仕事を手伝いながら料理人としてそこで初めて父親と1年間働いたんですよ。
その時は、僕も他でシェフとしての経験もあったので、父親のやり方に『そこはそうじゃないんだよ』とか、ケチつけちゃったりして(笑)よくケンカとかしてましたけど、その一年があって良かったなと思って。」

183「そうですよね、親と一緒に仕事をしてみるって良い経験ですよね。」

濱本シェフ「翌年、無事ビザは下りました(笑)。」

 

【そもそもハワイに来たのはどうして?】

濱本シェフ「料理学校が3月に終わりますよね?4月から入社式で、その後なかなかどこにも行けないだろうなと思ってハワイに2週間ロングステイをしたんです。」

「その時に、アランチーノに食べに行ってたんですよ。
21歳の時に夢としてアランチーノで働きながらハワイに暮らすぞ!って決めたんです。」

183「アランチーノさんに決めたのは何でですか?味が気に入ったんですか?」

濱本シェフ「いや、わからない(笑)、ハワイにハマっちゃって。いや、美味しかったんですよ、やっぱりアランチーノが(笑)!2週間の内、半分くらいアランチーノに食べに来ましたよ。」

183「そんなにですか!?」

濱本シェフ「その時には料理人じゃないし、経験もないし、ビザもないし、働かせてくださいって頼む勇気もなかったんで、とりあえず日本に帰りました。日本に帰ったら、4月から毎日朝から晩まで修行の日々で、もうハワイ云々の余裕はなかったんだけれども、頭の片隅にはいつかはハワイで働きたいと考えながら修業は続けてました。」

183「ハワイ行きに関しての家族や親族の反対は?」

濱本シェフ「意外と無かったんですよ。」

183「あ、良かったですね!それでその後、経験を積み、申し入れをして無事アランチーノさんにと。」

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【アランチーノでの困難・現地の同僚とのコミュニケーションのコツ】

183「でも、最初はやはり大変ですよね?」

濱本シェフ「そうですね。結局英語も勉強してないですからもちろん話せないですし。
けれど、稲村社長からは、『メニューを全部変えてくれ』と言われ、レシピを変え、スタッフのトレーニングをする必要がありました。
来た時にレストランのオペレーションを見たんだけれども、まず味見をしない。計量しない。いつも味がバラバラ。
もうそこからしてダメだったんで。
まずイタリアンで大事なのが、パスタを茹でる茹で塩が決まった塩であること。
毎日同じ塩でないと同じパスタは作れないんです。」

183「なるほど。」

濱本シェフ「お湯に対して1%の塩を絶対に入れなければいけないのだけれども、
その時のみんなは、こう目分量で入れちゃってるもんだから。店も繁盛せずに暇だったんですよ。」

「2004年にマリオットがオープンして2006年の僕が来るまで、ずっとそんなことをしているもんだから、
オープン時は忙しかったようだけれども、結局お客さんが帰ってこないわけだから2006年の時は本当に暇でしたよ。」

183「一回限りになっちゃうんですね。」

濱本シェフ「取りあえず、僕がやることはちゃんと美味しいものを提供すること。
『毎回塩を計る、毎回味見する。』つたない英語だけれども、毎日毎日それをスタッフに言い続けました。
それが嫌になる人は辞めていきます。それはそれで構わないと思って。」

「今では、僕の右腕として働いている女性の方がいるんだけれども、
彼女が僕の半年後頃にアランチーノに入ってきて彼女に全部教え込みました。
それで彼女が一人前になって、彼女の協力もありその後、スタッフも全員指導が行き届いた状態になりました。
08年、09年、10年と段々良くなっていって、今に至ります。」

183「右腕の方は、日本人の方ですか?」

濱本シェフ「いや、彼女は、若くしてカリフォルニアからインターンで来た女性でした。
今では8年も一緒に働いてくれてます。
アメリカ人で一ヵ所に8年も勤めてくれるなんて珍しいですよ。
でも、レストランとしてはこういう人を育てて行くことが大事だと思います。」

「ハワイに居る人は話を聞いてくれる、メインランドの人だったら『ハァ?』と言われちゃうでしょうね。そういう所は、ここハワイでのコミュニケーションで恵まれている部分でしょうね。」

 

【今まで生み出したアランチーノの料理で一番のお気に入りは?】

濱本シェフ「やっぱり、去年のホノルルマガジンでベストオブハワイに選ばれた『ウニのパスタ』ですね。
皆さんに一番食べて頂いているということもあり実感が湧きます。」

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(photo by arancino)

183「確かに美味しいです、私も好きです。大評判ですね。」

 

【料理のアイデアが生まれるときは、どんな時?】

濱本シェフ「野菜を見に行ったり、食材に触れているとインスピレーションが湧いてくる感じがします。」

183「食材に触れていると、リラックスするものですか?」

濱本シェフ「リラックスするというよりか、食材に触れてるとなんかこうワクワクしてきますね!」

 

【今、困っていることはありますか?】

濱本シェフ「カハラ店のお客様ご利用状況ですかね。
スペシャルオケージョンの時は、もちろん満席を頂いていて嬉しい限りなんですけれど、
スローシーズンの時にお客様にいかにカハラ店に興味を持って頂くか?ですね。」

「ワイキキのビーチウォーク店もマリオット店も毎日満席なので、今までそこまで考えることも無かったのですが。カハラ店に来てそういう問題が生まれて来てるので。」

183「交通手段の問題があるんでしょうね?
それでも、僕は現時点で穴場感があり、落ち着ける環境であるワンランク上のカハラ店になんとか足を運びたいですけど。他店とはやはり違った体験が出来ますし、素敵な場所ですからね。」

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濱本シェフ「交通の問題もやはりありますね、でもそれも踏まえた上でお客様に魅力を持ってご来店頂けるようにならないと。また先の夢もあるので。」

183「あっ、そうなんですね?ちなみにその先の夢をお伺いして良いですか?」

濱本シェフ「ハワイだけに留まりたくない。メインランドにも行きたいし、西海岸を経由して最終的にはニューヨークにも挑戦したいんです。最初は、ハワイに来るのが夢でしたけど。」

183「世界に羽ばたくのですね。」

濱本シェフ「きっと、言っていればなんとかなるんですよ。ハワイに来る時もそうでした。
嫁さんとかは叶うと思ってなかったと思うんですけど、でも言い続けてたらなんとかなっちゃったんで。」

「なんとかなると思っています。」

183「同感です。言葉に出して思い続けるって大事ですよね。名言頂きました。」

 

【何か運動とかしてます?】

濱本シェフ「週二日、休みの日にウォーキングしてます。」

183「どこら辺を歩くんですか?」

濱本シェフ「ワイキキに住んでいるので、家から海(「ワイキキビーチ)まで出てって、ダイヤモンドヘッドをぐるっと回って帰ってくる。一時間半くらいですね。色んなこと考えて歩いてます。」

183「結構歩きますね。ホノルルマラソンに出たことありますか?」

濱本シェフ「僕、無いんですよ。嫁さんと息子が今回出ましたけど。僕はパスタ作る方にまわってました(笑)」

183「はははっ、濱本さん今回カラカウア通りでマラソン見てらっしゃいましたよね?僕、走っててお見かけしましたよ。」

濱本シェフ「ははっ、本当に!?息子が今回初めて参加だったんで、ちょっと心配で見に行っちゃってました。
その後、カハラモール行って、アイナハイナ行って、また戻って来てって、結局ず~と追いかけちゃいました。(笑)
お陰様で無事完走出来ました。」

183「おお、すごいっ!今回ひどいコンディションでしたからね。でもおっきな虹がバァーっと出てあれがすごい良かったですね。」

 

【ハワイで幸せを感じる時は?】

濱本シェフ「僕ってあまり海が好きじゃなくて、サーフィンもしないし、ゴルフもしないし、何にもしないので、
何でハワイにいるの?って良く言われるんですけれど、やっぱり思うのは、
日本の時には無かった『家族の時間』がある。」

「日本に居た時は、朝8時の電車に乗って、終電で帰ってきて、夜中ご飯食べて、寝て、また朝出かけてっていう繰り返しだった。ほとんど家族と会う時間が無かったです。家族の時間が持てるっていうことが本当に素晴らしいです。」

183「それがあるからこそ、良い料理が生み出せるってこともあるんでしょうね。」

 

【シェフ自身の口からカハラ店をアピールしてください】

濱本シェフ「今、結構、いろんなお店が「地産地消」と言っていますが、確かにそれも良いのだけれども、
やっぱり日本にも美味しいものがいっぱいあって、これだけ流通も発達しているから、日本の良いものも提供してあげたい。
例えば日本で一個400円もするトマトだったりとか、そういうものも使って行きながら
また、地産地消とかのハワイで出来た野菜も使いながらミックスして新しい料理を提供できたらいいなと思っています。」

「日本の食材が国内で売れないということであれば、美味しい料理を出すことで
海外の方に味を知ってもらって国外で売れるようなお手伝いもしていければとも思っています。」

183「それは、濱本シェフがいるカハラ店ならではの料理に反映されていくということですかね。」

濱本シェフ「僕としては他の店も回らないといけないので、カハラ店を皮切りに他に展開していければ良いかなと思います。まずは、カハラ店です。」

てっきり、「カハラの景色と僕の料理はサイコーです!食べに来てください。」とおっしゃるかと思いましたが、すごく謙虚な方です。
日々精進かつ、お客さんに美味しい料理を提供し喜んでもらいたいという気持ちが常に念頭に置かれているように感じられます。
料理に携わる業界全般のことも考えているようです。

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インタビューを終えると、バレンタインスペシャルの前菜メニューを特別に見せてくれるとのことで、
いそいそと厨房に入られました。

気さくな語り口調、柔らかい表情、楽観的な思考、それでいて確固たる想いで自分の成すべきことに
真摯に取り組む真面目さ、妥協しない強さを併せ持つ人物。

それが、私が受けた濱本シェフの印象です。
今思えば、話し出す前から彼の醸し出す雰囲気が全てを物語っていました。
話してみてそれを確信したような感覚です。

次回は、バレンタインスペシャル前菜メニューをご覧いただきます。
驚きますよ!

お楽しみに~。

(By イチハチサン)

—-
<濱本大輔:オフィシャルプロフィール>

アランチーノレストラングループ総料理長、濱本大輔。
1973年オリーブの名産地で知られる香川県小豆島に生まれる。父親は地元で人気の洋食屋さんのオーナーシェフだった。
キッチンで働く父の背中を見て育った濱本は高校を卒業して一旦はトヨタ自動車に入社し3年ほど働いてみるも、父の影響を受けた料理の世界に思いを馳せ、退社を決意。すぐに料理学校(豊田学園調理専門学校)の門をたたく。1996年卒業後、名古屋のレストランLo Stemmaに入社、長谷川シェフのもとに修行を積む。その後イタリア、フィレンツェを訪れCabalo Neroで研修を受ける。帰国後、名古屋のRistorante IL VECCHIO MORINO、東京世田谷Ristorante Equiriblio等の人気イタリアンレストランでさらに技術を磨く。

元々海外志向が強かった濱本は、以前ハワイ旅行で訪れたアランチーノのオーナーに「見習いコックでも、皿洗いでもいいから働かせて欲しい」と直談判、2006年めでたく見習いコックとしてアランチーノに入社。最低賃金であった。貯蓄を削る生活が続いた。しかし経験豊富で技量もあった濱本は、入社わずか3ヶ月でレギュラーコックに昇格。そして料理長補佐、料理長と登り詰め、2012年、わずか6年という短期間でついに50人以上を擁するアランチーノ・レストラングループのキッチンスタッフの頂点、総料理長に就任。

濱本総料理長の楽しみは、オアフ島はもちろん、他島各地の農家を訪れ、土に触れ、オーナーと野菜達の話をすること。自分で確かめた契約農家からの安全で新鮮な有機野菜をふんだんに使う。アランチーノの人気メニュー、バーニャカウダがその一例だ。旬の素材にこだわり、繊細かつクリエイティブなイタリアンを目指している。濱本総料理長の華麗な料理の数々は、ハイエンドなイタリアン”アランチーノ・アット・ザ・カハラ”(ザ・カハラホテル&リゾート内)にて楽しむことが出来る。

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